5
ゴブリンは笑っている。ギギギと嫌な声を上げながらこちらに近づいてくる。
嫌なオーラを纏っている。あれが魔物特有の魔力、そして魂か。普通の動物や人とは相容れぬ存在であることが一目見て分かる。私が天界に居た頃はあんな生き物いなかったのに。
きっと、弱そうな獲物を見つけて喜んでいるのだろう。ゴブリンは雑食性だが、人肉を求めて人を襲うことはほぼない。どちらかといえば、人間の持っている荷物が目的だ。
今の私は狩り易そうな人間の子供。武器も持っていないから反撃されるリスクも少ない。その上、私の背中には美味しそうな木の実が幾つも詰まっている。此奴はそれに目を付けたのだろう。
ゴブリンは知能が低い魔物だと言われているが、それはあくまで他の魔物と比べての事。他の仲間とコミュニケーションを取り、棍棒という道具を扱うことを考えれば、大抵の動物よりは余程賢い。
今だって、私が街へと逃げないように先回りして、私を森側へ追いつめるように威嚇している。その割に直ぐ襲ってこないのは、体格差を危険視しているから。人間よりも小柄な上魔法も得意でないゴブリンは、仲間と連携して狩りを行う。単体で無謀に襲い掛かるほど馬鹿な生き物じゃない。
早めにこの個体を対処しなければ、鳴き声で仲間を呼ばれてしまうだろう。それは面倒だ。
一応魔物対策講座でもゴブリンの対処法は学んだ。
普通の冒険者であれば難なく倒せる程度の魔物であり、ゴブリン側も普通の冒険者相手には勝てないと分かっているので襲われることもそれほど多くない。
ただし、戦闘が全くできない冒険者の場合は、その場で荷物を放り投げて逃げることを推奨されている。本来ならば私もそうすべきだろう。
けれど、もし投げ捨ててしまえば依頼達成できずにお金も貯まらない。それは嫌なので、できれば正面突破したい。
私はゴブリンと目を合わせた。一体だけならまだ楽だ。
ゴブリンは警戒している。私が怯えも戦いもせず、ただ静かに見ているだけだから。
「ゴブリン、私は今忙しいの。そこをどいて。」
私はゴブリンに話しかけた。正確には、ゴブリンの魂に対して、だ。
その瞬間、ゴブリンの魂がうねった。嫌がっている、いや混乱しているのかもしれない。
ゴブリンは笑みを消し、苦しそうな表情を浮かべた。頭を抱え、呻き声を上げてその場に倒れ込んだ。魂を揺さぶられれば無理もない。
ただ、それでも私に従うつもりはないらしい。獲物から敵へと認識を改め、すぐに起き上がって私を睨みつけた。
「やっぱり魔物相手だとダメなのかな。」
魔物は天界が奪われてから生まれた生き物だから、私の『お願い』が効かないのかもしれない。普通の犬や猫は通じていたから行けると思ったんだけど。
或いは、魔物には聖龍の強制力が働かないだけか。私の意思自体は通じていそうだから、頑張れば対話できそうなものだ。
だってほら、意味不明の苦しみを味わったはずのゴブリンが、さっきよりも道をしっかり塞いで通せんぼしたがっている。
「ギギ、グギギ!」
普通痛みを味わった生き物は一旦引き下がるか、より攻撃的になる。
しかし、このゴブリンはまるで私が道を通りたがっているのを知っているかのように、逃がさないよう必死だ。私の『帰りたい』という意思は伝わっている。
ただ、その願いを叶えさせる気はないらしい。
仕方ない、もう少し粘ろう。
空を見上げると、もう大分日が落ちて、もう直ぐ夜になるだろう。空には既にフクロウ型の魔物が徘徊しており、無理に空に飛び立ったら今度はあいつらに襲われそうだ。
だから、あのゴブリンを何とか戦意喪失させて帰って貰うしかない。
私には武器が無い。一方で相手のゴブリンは手にした棍棒をブンブン振り回している。小さな体格と比べると、あの棍棒はかなり大きく見える。木材を選んでいるのだろうか、密度も高そうだ。
そうだ、あの棍棒を利用してやればいい。
「ギギ!……ギ?ギギギ?」
ゴブリンが混乱している。それはそうだろう、高々と掲げた手の中から突然棍棒が消え去ったのだから。
しかし、何も跡形もなく消え去った訳じゃ無い。その棍棒は、今彼の丁度頭上に浮いている。何も浮遊能力は自分に掛けるだけの力じゃない。他の物を浮かせることだってできるのだ。
数メートル程棍棒はふわふわと宙に浮きあがり、そのまま戸惑うゴブリンの頭の上に思い切り落としてやった。
「ギャッ!」
潰された蛙にも似た声を上げながら、ゴブリンは額を抑えて地面に転がった。相当痛かったのだろう。自由落下どころか加速度を余計につけて落としたから当然かもしれない。
それでも、この程度で死ぬほど弱くはないらしい。悶絶しながらも体を丸めてブルブルと震えている。
今のうちだ。倒れ込んでいるゴブリンを横目に、隣を通り抜けて街の方へと急ぐ。ゴブリンの目が一瞬こちらを向いたが、すぐに逸らされた。もう諦めたらしい。
地面を滑るように高速で移動し、街へと一目散に駆け抜けていく。ここから街に帰るにはそれなりに時間がかかる。
早く帰って報告しないと、この大きな木の実を抱えたまま夜を過ごすことになってしまう。新鮮じゃないと高く買い取ってもらえないから、金銭的に大打撃だ。
まだ大丈夫だろうが、この時間は受付が大分混んでいるはず。万一混み過ぎて続きは明日ね、なんて言われたら困る。
「すみません、通してください!」
急いで街を囲む石壁の門番に声を掛け、冒険者証を見せつける。
「ああ、冒険者か。そんなに慌てなくても、まだギルドは閉じないぞ。意外と夜遅くまでやっているからな。それに、今日は緊急依頼もないだろうから混んでいないだろう。それより、街中で走り回って怪我するなよ?」
優しい男性の門番は冒険者証を確認次第すぐに返してくれた。まだ日が完全に落ちてからそこまで時間は経っていないのか、それは良かった。
時計を持ち歩いていないから正確な時間がよく分かっていなかった。今後は遠出する機会も増えるだろうし、購入しておくか。
---
「ミストちゃん、お疲れ様!どうだった?森の方まで出かけるのは初めてでしょう?魔物に会わなかった?って、結局武器も防具も持ってないじゃない!肉食性の魔物は滅多にいないとはいえ、危ないわよ。」
あ、そういえばそうだった。依頼内容に気をひかれてすっかり装備を揃えるのを忘れていた。
「ゴブリンに合って襲われかけました。」
そういうと受付嬢の顔色がさっと青くなった。
「ゴブリンに!?だから装備を揃えておきなさいって言ったのに!それで、大丈夫だった?見たところ怪我はしていないようだけど……」
「大丈夫です、急いで逃げてきたので。荷物は迷いましたが、抱えたままで大丈夫でした。」
「そうなのね、無事でよかった。それでは確認しますので、採取したものと測定結果用紙をお願いします。後は道具も返却してくださいね。」
受付嬢に諸々を渡した後、どっと疲れが来たので近くのベンチに座った。薄い布が掛けられただけの硬い石の座り心地はお世辞にもいいとは言えないが、無いよりはずっと有難い。
久しぶりに浮遊能力を切って椅子の上に座り込んでいると、突然ひんやりとした冷気が頬に当てられた。
驚いて思わず飛び上がると、いつの間にか隣にいたシースが冷えたジュースを片手に笑っていた。
「おう、Eランクおめでとう。これは昇格祝いだ。」
「びっくりした、ありがとうございます。昇格と言っても、勝手に上がっただけで何もしていませんよ。」
「それでもいいんだ、幼い子がここまで1人で生きてこれただけでも十分なんだから。」
初めて出会った時から、彼は私に随分優しい。
森の中で何もない森の中で目覚めた私を目ざとく見つけて真っ先に保護してくれたし、その後も私を孤児院に送るか里親探しをするか迷っていた。
結局私自身が断って自分の力で生きていくと言った時は酷く反対されたが、結局冒険者という1つの道筋を提示してくれた。
「シースさんは優しいですね。別に親でもないんだから、ほっといても問題ないでしょうに。」
「そりゃあお前と俺は他人同士だから、お前にとってはどうでもいいことかもしれないけれどよ。それでも子供が困っていたら助けたくなるのが大人ってもんだ。……恥ずかしい話、この年になっても嫁も子もいないもんだからさ、例え他人の子でも優しくしてやりたいんだ。」
照れ隠しにガハハと豪快に笑った彼は、私の肩をポンポン叩いた。ごつごつした肉刺の多い、冒険者の手だ。
彼の見た目は30代前半程度、確かにこの年代で結婚していないのは晩婚社会でもない限り珍しい方だろう。
寧ろこの世界は前世よりも比較的前時代的というか、価値観が若干近世に近いところがある。男は結婚して家族を養ってようやく一人前であるし、女の幸せは家庭で生きる事。
そんな中彼が未だ独身であることは、彼にとって若干の恥であるのかもしれない。
「私は気にかけてくれるだけでも有難いですから。実際私がこうやって冒険者として生きていけるのは貴方のおかげですし。」
「そう言ってくれて嬉しいよ。でも、まあ、子供は大人の事情なんて気にせず自分の人生に集中してくれればいいさ。あ、そうだ。」
シースはぐるりと酒場内を一周見渡し、ある一点を指差した。私もつられてその方向を見ると、そこには依頼掲示板とは別の場所に、いくつもの張り紙が張ってあった。
「お前、パーティーに参加する気はないか?」
次の更新予定
2024年11月3日 15:00 隔日 15:00
聖龍様の仰せのままに カルムナ @calmna
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