The・意識異常、ヒトリ

脳幹 まこと

pitiful mortal


 今日、人生通算二〇〇〇回目の空振りをした。

 つまり三週間前から計画し、明けても暮れても繰り返し、暗唱し、考えられる応答を頭に叩き込んで、万全の態勢で臨んだわたしのプレゼンが、また空振ったのだ。

 心底つまらなさそうな表情をした若手社員の顔が、ずっと目にこびりついて離れなかった。

 上司たちはゴルフの話題に花を咲かせる。良し悪しの段階に達していない。わたしのプレゼンは、つまるところ子どもの騒ぎ声以下の存在価値だったのだ。

 それ以降の業務時間は、何をしていたか覚えていない。

 昔からなぜか癪だと思われ続けてきた。

「いない方がマシ」と暗に言われてきた気がする。察しろ、と。わたしの巨大な自意識はそれに抗い、居座ってきた。何だか迷惑だ。公的に迷惑をかけている気がする。

 それだけならまだ良かった。人間として劣悪なだけなら、まあ、まだ救われた。

 なのにわたしの自意識は、そのいちいちを覚えている。失敗の自分史を覚え続けている。二〇〇〇回の空振り。二〇〇〇個の失敗。リセットボタンのないストップウォッチ。

 不愉快だ。

 大切そうに抱えてるそれな、お邪魔ぷよなんだよ。いくら揃えても消えないの。何にもならないの。

 どうしてそれがわからない? 何をそう痛がっている?

 勝手に恨みを溜めないでくれ、頭をもやで満たさないでくれ。まわりとの距離がまた広がるから。


 自意識をはっきりと意識した、つまり初めて空振りをしたのは、小学校二年の算数の授業だった。

 掛け算の九九を暗記せよ、という先生の期待にこたえようとしたのだ。

 意気揚々と手を挙げて「どの段でもいけるよ」と豪語した。先生は「じゃあ六の段」と返した。

 なんだ六の段。七の段じゃないのかとちょっと笑った。実際、六の段の次に言うつもりだったのだと思うのだが、もう遠い昔の話だ。

 ろくいちがろく、ろくにじゅうし、ろくさんにじゅういち。

 何が何だかわからなくなって、そのまま黙り込んだまま座った。先生は何も見なかったように、授業の続きをした。周りの生徒もそれに従った。

 ああ、笑っているなと思った。距離が生まれた。こんなことで。

 ぎこちなくなった。今までならサッと出せたものに、余計なステップがかかるようになった。

 吟味しなくちゃ、見合ったことをしなくちゃ、正しくしなくちゃ。

 それからは慎重になった。

 他の人の何倍も筆算に時間がかかっても、落とし物がないか何度も戻ることになっても、常に周囲の様子を伺うようになっても、構わなかった。

 自分との和解が済んだら、今度は他人の軽率さが目に余るようになった。

 どうしてそんなに適当なんだ? なぜ自分の行為に怯えない? わたしのように振る舞わない?

 ろくでもない人たち。そんな彼らにお手本を見せようとしては空振る毎日。

 ひとつずつカウントがふえていく。ろくでもない、値打ちのないカウント。ディスカウントするまでもなく無価値。おまえの人生。


 ぶくぶくと自己だけが膨んで、そのたびに距離は遠くなっていく。

 自分以外を受けつけるだけのスペースがない。絶えず自分だけで満たされていく。

「30歳から始める自己分析」のプレゼン資料を丸めて捨てる。時間は貴重だと誰も彼も言うが、こんな時間ならさっさとシュレッダーにかけたい。

 机の上にある夥しい入門書を見つめ、溜息をつく。付箋がたくさん貼ってある。毎日のようにプレゼンをしてきた。ロードマップが一〇八個ある。どれも書きかけだ。完成予定日は未定。

 一つの意思決定をするのにすごい時間がかかる。自意識の承認をくぐり抜ける必要がある。そうしないとシャワーを浴びることも出来ない。わたしはわたしに見合っているか? 否か? 敵はどこにいるのか? 見えない障壁はないか? あの時のような感じはしないか? わたしの進むべき道は、光り輝いているのか?

 反省会はいつも、五分ほどでまわりへの愚痴に変わる。

 そうだ、あの時「ろくにじゅうに」とさえ言っていれば、わたしの人生は今頃光り輝いていたんだ。だが、あれは本当に言い間違えだったのだろうか。今となっては、半ば確信をもって言える。巧妙な誘導だったのだ。そう、あのムカつく表情で聞いてたあの社員、あいつが悪い。修学旅行で木によじ登って落ちたのもあいつのせいだ。あの時の担任の目は、あいつと同じだった。

 あいつは、いや、あいつらは色々な姿を借りて、わたしの邪魔をする。本当は空振ってなどいない。きちんと何度も点検したもの。慎重に。ちゃんと地に足をつけて。考えて。冷静に。

 だからこそ明日こそ訂正しなきゃ。みんなを、みんなの意識を。わたしの働きでコミットするんだ。

 怒濤の波が打ち寄せる中、本来……のわたしは一〇〇〇〇回ほど空振りした後に来るであろう、最期について考えた。

 まあなんであれ、悪意なんて欠片もないし、誰も気にしやしない、そういう終わり方になりそうだ。

 たとえばポリ袋を食って死ぬカメだとか、とっくに打ち棄てた釣り針を口に含んで死ぬ魚みたいに。

 人間のエゴが気になるなら、木の枝や葉っぱや土が軽く積もった天然の落とし穴にかかって死ぬでもいいか。ドッキリでもない。何の作為もない。勝手に突っ込む。誰一人影響を与えない。

 叡知の結晶を名乗る自意識たちは、きっと自分の消滅に慌てふためき、周りに助けを乞うだろうが、山奥では何もできず、数か月後に山菜採りに来た老夫婦に見つかるとかそういう感じだ。


 自分を制御出来ている人が羨ましい。

 こっちなんて毎晩のように首を絞めに来る。貧相な身体のくせに。いつから逸脱したのかはわからないが、ひとしきりまわりのせいにしてから「どれもこれもおまえが悪いんだ」と罵られる。

 周りにとって「いない方がマシ」なのは、どちらなのか。わたしという少数派がいなくなったら、意外と何もかもうまくいくのかもしれない。

「そんな悲しいこと言うなよ」と口ずさんでから、右手の握りこぶしを思いきりコメカミにたたきつける。

「わたしだって頑張ってるんだよ」と口ずさんでから、もう二発たたきつける。

「みんな大切、つながる命」と口ずさんでから、もう三、四発。

 じぃーんと全身が鈍く痺れるのを感じながら、フラフラ立って、外に出る。誰にも邪魔されない。

 今夜はたまたま雨が振っていた。シャツを濡らす。


 ひとりだ。

 どうしようもなく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

The・意識異常、ヒトリ 脳幹 まこと @ReviveSoul

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ