第3話

 ☆


 私は将来、パティシエになりたいと思っていた。母はよくお菓子作りを教えてくれたし、私がクッキーを作ると凪は喜んでくれた。毎日のようにメレンゲを泡立て、おいしそうなスイーツの写真を集めていたが、そんな私の夢は十歳でついえた。戦争が始まったからだ。スーパーの棚は空っぽになり、食べられるものも減った。父は庭で野菜作りをはじめたけど、収穫はほんのわずかだった。食料は配給制になり、食卓に並ぶ品数はどんどん少なくなった。それでも、うちはまだ食べていけるだけマシだった。私の両親と凪のお父さんは星採りの仕事をしていたから、お給料がよくてなんとかなっていた。クラスの子たちはもっと悲惨な目にあっていた。遠くの親戚の家へ引っ越す子や、働きに出る子が増えた。私と凪の家族は支えあい、元から血の繋がった一家のように寄り添い暮らした。両親は変わらず忙しく働いていたが、私に「勉強だけはおろそかにしちゃだめだ」と何度も言った。



 ☆☆



 私は医者を目指すことにした。戦時下で医者の需要は高まり、比較的安全な場所で働くこともできる。お給料だって、星採りの仕事の次にいい。私が十二歳になった頃のことだ。敵国から有毒爆弾がまかれるようになった。国のはずれでまかれていたその爆弾が、ある日、どういうわけか私たちの住む街中にもまかれた。家にいた私は無事だったけれど、偶然買い物に出ていた凪と、凪のお父さん、お母さんが巻き添えになった。凪は一命をとりとめた。でも、医者からは二度と歩けないと言われてしまった。病院のベッドで、駆けつけた私に向かって凪は、他人事みたいに言った。


「あの爆弾、致死性なんだ。解毒薬はないんだって。体の中に入った毒は、遠くない未来に僕を殺す。徐々にそうなるって」

「馬鹿言わないで。私が……医者になって、なんとかするから」


 私は凪の白い手を握った。声が震えそうになるのを必死でこらえた。うつむくと、ベッドに投げ出された凪の両足が視界に入る。爆風を浴びた足は紫色に変色し、腫れている。医者からは、一刻もはやく両足を切り落とす必要があると言われたらしい。けれど凪はその場で断ったという。看護師さんがさっき私に教えてくれた。足を切っても切らなくても、もう毒は体に入ってしまっている。両足を切れば助かるのかと凪は尋ねたそうだが、その医者は答えられなかったのだ。どちらにしても助かる見込みはない。その場の全員がそう理解していた。明日死ぬか、数年後に死ぬかの違いだ。私は奥歯をかみしめた。今ここで泣くことだけは、なんとしても避けなければならない。凪はこんな目にあっても泣いていない。その凪の前で、私が泣くことなんてできない。


「お願い。今すぐ手術をして……絶対、私が助けるから!」

「でも」

「お願いだから」


 縋りつくように凪をみると、凪も同じような瞳をしていた。私たちには希望が必要だ。どこにもそんなものは見当たらないなら、私が凪の希望になるしかない。凪は静かに頷いた。暗い顔ではあったが、私の願いを聞き入れてくれたのだ。



  ☆☆☆☆☆



 手術をした後、凪はうちで暮らすことになった。凪の両親は爆弾で死んでしまったし、足を失った凪がひとりで暮らすことはできない。今や配給はほとんどなく、暮らしはかつかつだったが、それでも両親は凪を暖かく我が家へ迎え入れた。赤ん坊の頃から私と一緒に育った凪は、両親にとっても我が子同然だったのだ。


 私は医者になるために猛勉強をした。高度な教育の受けられる学校へ通いはじめたが、十四歳になった頃、突然学校が閉鎖された。私の通っていた学校だけじゃない。国のすべての学校が閉鎖され、私たちは武器工場か戦地へ送られるようになった。同じ歳の男の子がどんどん減り、私は昼も夜もなく工場で武器を作らされた。家に帰るのは夜遅くで、数時間眠れるほどの休みしかとれなかった。私の医者になるという夢は完璧についえてしまった。勉強なんてもうまともにできる状態じゃない。睡眠不足と過労でいつ体を壊すかもわからない。その頃になると、すっかり寝ついてしまった凪は、ずいぶんと体調を崩していた。ある春のうららかな日、私は工場労働を無断でさぼり、つきっきりで凪の看病をすることに決めた。通いのお医者さんから、ここ数日が山場だと言われたのだ。けれど工場からは休みなんてもらえないし、両親は職場からずっと帰ってこない。政府に何をさせられているのか知らないが、両親は数週間おきにしか家に帰ってこられなくなっていた。だから私は罰を覚悟で工場を無断欠勤し、凪のそばに付きそった。まだ意識のある凪は、ぼんやりと窓から庭先を眺めていた。私が水を与えると、かすれた声で言う。


「あの夜のこと、おぼえてる? 僕たちが、浜辺で……星を集めた日」


 私は頷いた。あの夜のことは一生忘れないだろう。凪は窓の外の青空に、震える指を伸ばした。


「時々、思うんだ。……僕たちの星も……リアンの人たちに、届いているかもって。……父さんは、よくそう言ってた。……僕たちが、希望を失えば……リアンにも、星が落ちているはずだって。……僕が失ったものや……君が失ったものは……あの空の向こう側で……昔の僕らみたいな子が、喜んで……僕らの星を、集めているのかな」


 凪は苦々しく笑っている。私はこらえきれなかった涙を流し、笑った。それからほどなくして、凪は命を引き取った。



  ☆☆☆☆☆…………──…………☆☆☆☆☆☆☆



 十五歳になった私は、夜の浜辺にひとり立っていた。凪と一緒に星を集めたあの浜辺だ。対岸の街は瓦礫となり、明かりのひとつもない。私はいくらでもここに立っていられる。もう帰る家も、待つ人もいないからだ。両親は数週間前に空爆で死んだ。街の人たちもほとんどが死に、私の家も焼け落ちた。浜辺へきたのは、落ち着いた場所でリアンの街を見たかったからだ。見上げると、黒い夜空のヴェールを透かして、燦然と輝くリアンの大都市がみえる。高層ビル群が増え、その輝きはいっそう増している。以前よりも街並みが立派になっているような気さえした。昔、一度だけリアンからたくさんの星が落ちてきた。私と凪が浜辺に星を集めに行った日だ。あれ以来、私たちの街に落ちてくる星は激減した。最近ではひとつの落星もない。。私は夜空を睨みつける。──今、リアンの人たちは数えきれないほどの星を受け取っているはずだ。星の研究をしていた凪のお父さんによると、私たちが希望を失えば、それがリアンに星となり降りそそぐという。きっと、彼らは私たちの星の美しさに魅せられたに違いない。私の心にあった、たくさんの星の輝きを──私はパティシエになる夢を失った。穏やかに暮らす日々をすこしずつ、齧りとられるように失った。凪は両親を失い、その足も失った。医者になる夢はかなわず、私は凪の希望になりそこねた。数々の幸せに恵まれるはずだった未来は、味わった星が消えるみたいに一瞬でなくなった。思い出のつまった家も、焼け落ちて今はもうない。両親もいない。友達もみんな死んでしまった。凪も──。


 ただひたすらに憎かった。リアンに降り積もった私の夢を、凪の希望を返してほしかった。今すぐ、この夜空から星が落ちてくればいい。リアンの人たちが不幸になればいい。彼らが喜んで星を集める光景が、悔し涙とともに浮かんでくる。かつて子供の私が浮かれてそうしたように、彼らも星を味わっただろうか? それは私の心にあった大切なものなのに──……!


 夜空の向こうのリアンに向かって、手のひらをかざした。この空から星が大量に落ちてくるまで、私は絶対に死なない。彼らが不幸になり、またたくさんの星が落ちてくるのをこの目で見るまでは、なんとしても生き延びてみせる。昔の自分のために、凪のために。そして、これからの自分のためにも──底しれない憎しみを眼差しにこめる。視線にありったけの怨嗟をこめ、リアンの明るい光を睨みつける。あの大都市の庇護下にいる人たちが、みんな苦しめばいい。私や凪が味わった数々の喪失と絶望を、あますことなく味わってほしい。いま見えるリアンの高層ビルの明るい光が、すべて吹き飛べばいい。私だって、なにもリアンの人たちに一瞬で死んでほしいわけじゃない。ただ幸せを毎日少し失って、苦しみにのたうってもらいたかった。それだけなのだ。おぞましい惨劇と抗えない苦痛を浴びて、日常がめちゃくちゃになればいい。いっそ死んだほうがましだと思えるぐらいの地獄のなかで、それでも死ねずに生きてほしい。私と凪がそうだったように。


 夜空の真ん中に赤い輝きが現れた。私はその赤い光を見たことがあった。子供の頃、この浜辺で、凪が赤い星の記憶を味わったときだ。あの日の凪の怯えようを思い出し、ようやく気がついた。は、と苦く笑みがこぼれた。あれは私の赤い星だ。今まさに、リアンで誰かが私の星を拾い、込められた願いを受け取っている。赤い光はひときわ大きく輝くと、怯えたように瞬いて消えた。



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赤い星 冷世伊世 @seki_kusyami

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