第2話

 浅瀬に散らばった星の中にひとつだけ、燃えるような赤色の星がある。クラスの子たちが騒ぎを聞きつけ、集まってきた。水の中で輝く赤い星を囲んで、みんな騒ぎだす。


「ほんとだ、赤い星だ」

「触っちゃだめなんだよ。色つきの星は危ないから、先生に言わなきゃ」

「馬鹿。先生に言ったら、ここに来たってばれるだろ」

「じゃあどうするんだよ。放っとくのか?」

「僕、どうすればいいか知ってる」


 そう言ったのは凪だった。そのひと言にみんなが静かになる。凪は水面下で光る赤い輝きを、緊張した面持ちで眺めていた。


「父さんに教わったんだ。色つきの星を見つけたら、リアンの人にメッセージを返せるんだって」

「あっ」


 凪はひょいと赤い星を拾いあげた。全員が止めようもなく、その手にある赤い星を眺めている。学校では、色つきの星には絶対に触らないようにと教えられていた。星にはリアン人の記憶が含まれているが、色つきのものは危険だという。何が危険なのかは知らない。そんなことには興味もなかった。ただ、凪は違う。凪のお父さんは星の研究をしていて、リアンのことも、星についてもよく知っている。だから凪は普通の人より世界の仕組みに詳しく、賢かった。普段おとなしい凪が「こうしたほうがいい」と言うときには、たいてい従ったほうがいい。だからみんな黙って目の前で行われることを眺めていた。不安に耐えきれない様子で、女の子が口を開いた。


「それ、どうするの?」

「こうやって、両手で星の記憶を味わうんだ」


 凪は手で赤い星をそっと包みこんだ。輝きが手の内に消え、全員が緊張した面持ちでそれを見つめている。凪の目は好奇心に光り、とても楽しそうにみえた。いつもよりその声もはずんでいる。


「普通の星の記憶はすぐに消える。でも色つきの星には強い願いが込められていて……特別なんだって。色つきの星の記憶を味わうと、リアンの人たちに『受け取りました』ってメッセージを返せるんだ。今のところ、向こうに送れる反応はこれしかないって、そう父さんが言ってた。やってみるね。こうやって──」

「……凪?」


 凪はぎゅっと眉を寄せ、険しい顔になる。目線は定まらず、どこか遠くを見ているようだった。今、凪は赤い星の記憶を味わっている。重たく落ちる沈黙に、男の子が空を指さした。


「あれ見ろ!」


 夜空に赤い点のような光が輝いていた。リアンの大都市と私たちの世界を隔てる空の真ん中に、その赤色は光っている。みんな夜空を見上げていた。そのとき、真横の女の子が短く叫んだ。凪の両手が赤く光っていた。凪が手をひらくと、輝く赤色が空に上がっていく。全員が空へのぼる赤色を目で追っていた。やがて空の赤い光はひとつになり、ひときわまばゆく輝くと、瞬く間に消えた。リアンの夜景がぼんやりとみえる、いつも通りの空に戻っている。みんな安堵の息をつき、だんだんと騒がしくなった。


「凄かったな!」

「リアンの人にも見えたかな?」

「絶対見えたよ!」

「すごかったね、凪! ……凪?」


 凪は茫然と手のひらを眺めていた。赤い星は消えてしまったが、そこにあった何かをまだ見つめているようだった。凪は怯えた目をしていた。震える唇は言葉を紡ごうとして、寸前でやめてしまう。重たく口を閉ざしたまま、凪は私の手をつかみ引っ張った。


「え? ちょ、凪……!?」


 砂浜を急ぐように凪は歩いた。つかまれた拍子に、私は持っていた星を全部落としてしまった。それを拾うために立ち止まる暇もなかった。凪はすごい勢いで海から遠ざかっていく。背後でクラスの子たちの笑い声がしたが、私たちを見て笑っているのかもしれない。


「待って、痛い!」

「……ごめん」


 凪はようやく止まった。いつの間にか、浜辺の上のアスファルト道路まできている。私の手はつかまれたままだ。


「どうしたの?」

「帰ろう」

「なんで? あんなに楽しみにしてたのに」


 夜に抜け出してこっそり星採りに行こうと言い出したのは凪だ。来る前はすごくはしゃいでいたのに、様子が変だった。私はみんなのいる砂浜を見下ろした。あそこにはたくさんの星がある。まだひとつしか味わえていないし、他の星も食べてみたかった。輝く星には素晴らしい記憶がたくさんつまっていると、大人たちはよく話している。美しい海辺の風景や、ふわふわのスポンジケーキの味、かわいい動物の記憶なんかもあるという。


「ねえ、戻ろうよ。みんなにいい星を取られちゃう」

「父さんが言ってたこと、本当だったんだ」

「なに?」


 文句を言いかけてやめた。凪は見たこともないほど怯え、青ざめている。気分が悪いのかもしれない。寒くもないのに震えていた。


「大丈夫? 帰る?」


 白い顔で頷き、凪は歩きはじめる。手は離されたが、私は凪の右手をとった。そうしたほうがいいと思ったからだ。しばらく歩くと、ぽつりと迷子のような声がこぼれてくる。


「本当だった。本当に、あの星はリアンの人たちの希望だった」

「それがなに?」

「希望がたくさん、落ちてきてるんだ。こんなにたくさん。希望や夢が、いっせいに心から失われてる。今ごろ、リアンの人たちは」


 語尾を震わせ、凪は空をみあげる。つられて私も夜空をみた。大都市リアンの夜景は変わらずそこにあるが、黒煙と赤い炎は広がっている。火事は大きくなっているようだ。遠すぎてよくわからないが、町の大半の建物が燃えているようにみえる。私は夜空に手を伸ばした。あの空の向こうに声が届くことはない。行くこともできない。さっき凪が送ったあの赤い星の光は、向こうに届いたかもしれない。でも、それがなんだというのか。リアンと私たちの世界は永遠に交わらない。時々降ってくる星の記憶で、ようやく向こうにも人がいるとわかるくらいだ。私にはリアンは遠すぎて、幻の国に思えた。


「ねぇ。さっきあの赤い星から、どんな記憶がみえたの?」


 凪は無言で首をふる。私たちはその日、静かに家まで帰った。輝く星々の砂浜には未練たらたらだったけど、気分の悪そうな凪をひとりにしておけなかった。それから凪は二度と星採りに行こうとは言わなかった。あの赤い星について、何度尋ねてみても決して教えてくれなかった。

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