何もかも嫌になっちゃった

 恵菜えなはコンビニでのバイト中、大変怒っていた。

(店長、田中先輩には彼女いないって言ってたのに、いるじゃん)

 昨晩店長から、シフト変更依頼のLINEがきた。最初は断ろうとしていた恵菜だったが、「田中くんいるよ」との一言で「やります」と請け負った。新学期早々彼氏に振られ、絶望する恵菜の前に現れたのが、一流大学の法学部にいる田中だった。都会に憧れて適当な大学に入って上京した恵菜からすると、彼はまさに王子様だった。顔はいまいちだったが、背が高く痩せ型で、声も低く、髪の色がアッシュグレーで推しているKーPOPのアイドルに似ていた。どうにか仲良くなるきっかけを探っていたところへのシフト変更。このチャンスを掴もうとバイトへやってきたのにこの仕打ち。どういうことだ。詰め寄りたい気分だったが何故か店長はいなかった。田中曰く店長も急用らしい。

(クソじゃん店長)

 フツフツと怒りが込み上げ、補充しているタバコを握りつぶしそうになって、気を紛らわせようと外の景色に目を向けたが、本日は生憎の天気。太陽の光も届かないくらいの厚い雲と大雨だった。

(まぁじ最悪)

 雨は嫌いだ。髪が広がるからだ。せっかく一昨日ミルクティ色に髪を染めたのに、髪がうまく巻けないしまとまらないので、いつもより家を出るのが遅くなってしまった。それでもバイトに間に合ったのは、中学生の時陸上部だった時の脚力があるからだ。遅刻しそうだからいつもニューバランスのスニーカーになってしまうが、真っ白で可愛いスニーカーで気に入っているし、走っている自分は青春を感じるから好きだ。走ったら汗で髪が崩れるのはいただけないが。

 コンビニにたどり着くまでは浮かれていた。今日は特に田中に可愛いねと言われたくて気合を入れたのに。

「渡辺さん、補充ありがとう」

 昼休憩に行っていた田中が帰ってきた。よく見ると今日休んでいる女性スタッフとおそろいのリングを左手にしているのに気がついて、げんなりした。田中は、よりによって今日休んだ女性スタッフと付き合っているらしい。田中と同じ一流大学の法学部に所属しているから頭はいいのだろうが、真面目での大人しくて地味でつまらない女と付き合っているなんて田中にはがっかりだ。しかも田中は出勤してきてすぐ付き合っていることを告げてきた。彼女持ちのために汗の匂いを気にし、汗ふきシートと制汗スプレーで格闘しながら化粧を直していた恵菜がばかみたいだ。

「お客さん来ないから、補充意味あるのかわかんないですけど」

 制汗スプレー振りすぎて自分がシトラス臭いなと思いながらそっけなくそう返したが、田中は気がついてないのか、「まあねえ」と腰に手を当て客が一人もいない店内を見渡す。恵菜は田中の昼休憩をつなぐためだけに呼ばれたのではとさえ思う。その証拠に、店長も「最悪昼十二時から三時までのどっか一時間だけでいいからさァ」と言っていた。思い出したらまた罪のない紙タバコを潰しそうだった。

「まあ、でも、在庫あるのに店頭にないせいで怒られるのも嫌じゃん?」

「それはそうですけどぉ……」

 なんで昼休みにタバコ買いにくるおじさんおばさんたちはあんなに短気なのだろうか。せったーだのめんとーるなんみりなど謎の呪文を唱えるのみで番号で言わない客もいるし、理解できない。

「そいえば、三瀬みつせさん、いとこのお葬式ですっけ」

 三瀬は田中の彼女である。

「うん……」

 店長に言われた言葉を思い出しながら、恵菜がそう言うと、田中の表情が曇った。恵菜がその表情を「この無言何?」とぽかんと見上げていると、田中がぽつりと発した。

「いとこ、女子高生だったらしいんだけど、一昨日飛び降り自殺したんだって、三丁目の古いラブホから」

「え、飛び降り?」

 三丁目。そう言えば一昨日髪を染めた美容室が三丁目だ。帰り道、不穏な雰囲気の人だかりができていたのを恵菜は見かけた。野次馬に興味がなかったし、彼女はいい感じに染まったかわいい髪をいち早くSNSに上げるためわくわくと撮影場所を探していたため、気にも留めなかった。

(自分の髪にしか興味なかったわ、飛び降りこっわ)

 そんなどうでもいいことを考えている恵菜をよそに、田中は続ける。

「三瀬、最近いとこと話すことがあったらしくて、なんでその時に思い詰めてたの気づいてあげられなかったんだろうって自分を責めててさ。だから、会うことあったら渡辺さんも気にかけて上げてほしくて」

(はあ? なんで私が。だっる)

「はぁい、わかりました」

 笑顔で取り繕いそう返しておいたが、そんなことしてやるつもりは毛頭なかった。恵菜からすれば三瀬は恋敵だった女である。優しくする義理はない。

 雨はまだ降っている。田中の話を聞き流しながらめんどくさそうな顔で「来る時に振らなくてよかった」などと考えていると、高校生くらいの学生服姿の少年が傘もささずに雨の中走ってきた。てっきりその勢いのまま店に入ってくるかと思っていたのだが、少年は軒下で雨宿りをしたかっただけらしく、俯いたまま動かない。

「渡辺さん」

 田中に呼ばれたので振り返ると、骨組みが一本反っていて、若干錆びているビニール傘を渡された。

「渡してきて」

「え……これ」

 てっきり、田中のものかと思ったのだが。

「一ヶ月くらい前の忘れ物で、警察に届けるのも捨てるのもめんどくさいよねってことでそのままになってたんだけど、ちょうどいいから。ついでに肉まんどうですかって言ってきて。もうすぐ廃棄の時間だから」

「うわぁ……」

 軽蔑する声が出てしまった。しかし先輩命令なので逆らう気にもならず、両手で傘を受けとり、重い足取りでコンビニの自動ドアを開けた。恵菜の気持ちにそぐわないコンビニの入退店時の軽快な音楽が流れる。

「あ、あの……」

 その少年の顔を見た途端、傘を差し出したものの、恵菜は驚いて言葉が出てこなくなってしまった。少年も突然出てきて話しかけてきた恵菜に驚いたようで、顔を見た瞬間来た道を戻るように雨の中走って行ってしまった。恵菜は壊れかけのビニール傘を両手に握りしめたまま、レジに戻った。その姿を見て田中が不思議そうに声をかけてきた。

「どうしたの渡辺さん」

「……。泣いてました、あの子」

 俯いたまま、恵那は田中にそう返答した。答えになっていないということに気が付かないほど、驚いていた。なぜなら恵菜の人生で見たことがないくらいに少年は泣いていたからだ。大号泣というやつである。その少年の涙黒子のある頬が、涙を拭いすぎて真っ赤になってしまうほどに。

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