秋に鳴らす鍵盤

秋色

piano


 最近行きつけのカフェに学生時代の友達二人を誘って行った。店の前には白い彼岸花が咲いている。ここは最高の景色とレシピの店。そして癒しの……。




「海老クリームソースのスパゲッティセットを三つお願いします」


「今日はお友達もご一緒なんですね。お飲み物は何になさいますか?」とマスター。


「紅茶を食後にお願いします。二人とも専門学校時代からの友達なんですよ。最近行きつけで気に入っているお店があるって言ったら、ぜひ行きたいって」


「そうなんですか? 宣伝して下さり、ありがとうございます」


「本当に絵美の言うとおり、ステキなお店ですね。それに窓から見える景色も」私の右隣のカウンター席に座ったアイが言った。この店、トミズカフェは、カウンター席からも窓の外の風景が見えるような造りになっている。


「ここは四季折々の海の景色を楽しむ事が出来ます。では準備してまいります……」マスターは下がった。


「古い下町に越してきて、ちょっとどうかなぁと思ってた時、このお店を発見したの」


「ビックリしたよ、初めは。絵美が下町の築四十年の一軒家に引っ越したって聞いて」左隣に座ったカオリが言う。


「自分でも思ってもみなかった。不動産屋さんから誰も借り手のない格安の家を勧められるまではね。だけど一緒に暮らしてたカレシが仕事辞めて、今は飲食のお店の夜バイトだから、これまでの部屋、借り続けられなくなっちゃって」


「ふぅん……。驚いたし心配してるんだよ」とアイ。


「本当、アイにもカオリにも心配させちゃったよね」


「いや、今元気そうなんで安心した。でも築四十年って家、住みにくくない?」カオリが心配そうに訊く。


「そりゃね、すきま風は防げないかな。もう秋だし最近は朝と夜、ヒンヤリするのよね」


「それに古い家ってなんか怖いでしょ?」

 アイはこういう話、好きだった。


「あー、それね。私、あまり霊感体質じゃないから。あ、でもね、最近変な事あるんだ。夕方近く、カレシしかあの家にいない時間帯に、ポロンポロンってピアノの音が裏の空き家から聞こえてくるんだって。メロディーにもなってないような、下手な弾き方で」


「いや、何それ? 怖い。カオリ、どうしたの? 涙こぼしてる」アイの顔が引きつっていた。


「ごめん。私、ピアノの音ってトラウマなの」


「ちょっとどうしちゃったの、カオリ。震えてるよ。私が気味悪い話をしたんで食べる前に気分悪くなった? あの、トラウマ関係とか良かったらここのマスターに相談してみたら? 博学で頼りになるのよ」




 *****




 五分後、店の奥のソファーで休ませてもらっているカオリを私達はオロオロしながら見守るしかなかった。


 マスターが優しく話しかける。


「ピアノがトラウマなんですか? という事は生まれた時からではないでしょう? いえね、ピアノの強弱のある演奏が苦手という、生まれつきデリケートな方も中にはいらっしゃるので」


「生まれつきではないんですけど。あの、実は昔怖い体験をして……。聞いてもらえますか? いい大人なのに怪談なんて、と思われるかもしれませんが」


「いえ。誰でも様々な理由で怖いと感じるものがあるものですよ。よろしければお話し下さい。力になれるかもしれません」


「子どもの頃に遡るんです。小学生になったばかりの頃。わが家は、弟と私の二人兄弟、それに両親とでアパート暮らしでした。私は友達の持っているピアノに興味持ってたんですけど、もちろんアパート暮らしのわが家にピアノを買えるわけもなく、それでもピアノを習いたいと言ったら、その月謝も渋られました。その代わりにピアノの音が鳴る立体絵本みたいな玩具を父が買って来てくれたんです。絵本の中のある箇所を押すとピアノみたいな音が聴こえてくるような。その場しのぎだなと子ども心に思ったんですが、しばらくはそれで弟と楽しく遊びました。


 やがて念願叶い、親はローンで家を購入しました。そして親戚のお姉さんから要らなくなったピアノも譲ってもらえたんです」


「ほう。夢が叶ったんですね。それでやっとピアノを弾けるようになったんですね」


「だと良い話なんですが……。結局その頃には私は高校受験だ、部活だって忙しくなって。あ、部活はスポーツ関係で音楽は関係ありません。結局、ちょっと街の音楽教室みたいなのに入ってピアノを練習しただけでやめてしまったんです。恥ずかしい話」


「いえ、別に恥ずかしい話ではないですよ。楽器の練習というのは、本当に継続力がいるし、生活環境が変わる若い頃には挫折する人も多いですよ。余程、音楽を愛する人しかその道を続けられないのではないでしょうか?

 それで怖かった体験とは?」


「それが昔の音の鳴る絵本の方は、捨てられないまま押し入れに入れていたんですけど……。高二の秋でした。ある日曜の夜、もう夜中近くですが 家族でもう寝ようかって話してた時、突然、押し入れから絵本のピアノの音が鳴りだしたんです。チョウチョ、チョウチョってメロディが。それで急にまた止まりました。私があまりに怖がったので、両親は次のゴミの日に、ゴミに出したみたいです。


 これが私がピアノの音にトラウマになった原因なんです」


「こわ……」と私。


「そりゃ引くよね」とアイもうなずく。


「おや、そうですか? 怖い体験をされたお気持ち、察します。ですがこれは割によくある現象なので、もう忘れて気にされる必要もないのですよ」


「え? よくある現象?」私達は声を揃えた。


「はい。電子式だったら半導体基板の接触・腐食によるものです。


 また、押して音が出る電池式の物だと接点が当たることによって通電しますので、膨張して接点が近くなると、ちょっとした振動や静電気で通電するんです」


「え? そうなんですか? どちらかはよく分からないですけど。でもそれまでは何ともなかったのに」


「静電気ですと、経年で静電気が起こりやすくなった可能性はあります。あと、知り合いに、夜中、トラックが無線しながら、近くの国道を走るので子どもの玩具が突然 鳴り出すという人もいましたよ。


 知らないうちに、近くに無線のアンテナが立っていて強い電波が出ているせいで鳴る事もあるそうですし」


「なんだ、科学的に説明のつく事だったのね。良かったじゃん。長年のトラウマが消えて」アイの声は明るい。


「うん。何と言っていいのか……」


「でもさ、まだ絵美の家で夕方聞こえてくるピアノの音の謎は解決していないよね」とアイ。


「それなんですが、絵美さんの住んでいる地域では、ご近所付き合いはないのですか?」


「いえ、それが町内会に入ってしまったんです」


「入ってしまった!?」アイから突っ込みを入れられる。


「ええ。ここではみんな町内会に入るって言われて。いずれ一緒に掃除とかするようになるんだろうけど、とりあえず回覧板制度があって、左隣の家から回ってきた回覧板を右隣の家に回してるんです」


「お隣は、当然、裏の家のご近所でもあるんですよね」


「あ、そう言えば、裏の家の敷地は広いから右隣の家の裏にも当たるんです」


「一度、回覧板を回す時に聞いてみたらどうですか?」


「そうですね。何か分かるかもしれませんね。そうしてみます」と私。




 *****




「いらっしゃいませ。今日はお一人なんですね」


「ええ。マスター、おかげさまで私のカレシの聞いたピアノの音の謎も解決しましたよ」


「おや、そうなんですか? どのように解決したのでしょう?」


「回覧板を右隣の山口さんの家に持って行った時、庭にいた山口さんに訊いてみたんです。裏の空き家からピアノの音が聞こえないかって。そうしたら山口さんがそれなら知ってるって言ったんです。あの家は完全な空き家でなくて、時々老健施設に入所しているおばあちゃんが娘さんに連れられて帰って来て、その時に昔、得意だったピアノを思い出しながら弾いてるそうなんです。今は脳梗塞の後遺症があって弾き方をほとんど忘れてしまったそうですが、若い頃おじいちゃんとよく聴いていた曲を思い出しながら弾いているらしいです。それを裏のおばあちゃんの娘さんから聞いたと言ってました。山口さんもそう言えばピアノの音を聞いた事あるような気がするけど、オタクのカレシさんは耳がいいのねって」


「そうですか? ではそちらも解決ですね」


「そうそう、カオリがこの間のお礼を伝えておいてって言ってました。


 あの時謎は解明したけど実は何だかスッキリしなかったらしくって、それで私の話を聞いてその理由が分かったそうです。何か中途半端にピアノに憧れてた子ども時代のおもちゃに良心の呵責を感じてたって。でもまだまだ先も長いし、私の家の裏のおばあちゃんみたいにいつかピアノを弾きたいと思うようになるかもしれないねって笑っていました」


「とりあえず何かしらの心の化学反応を待つって事も大事ですよね」



 そう……なんだ。



 カウンターの中に入ったマスターの背後で私は心の中で呟いていた。


 ――心の化学反応を待つ……。


 うちのカレシもいつか、その静電気が溜まってスイッチが入るようになるだろうか? 前の職場で傷ついて、人に関わらないような仕事しかしたくないって言ってるけど。


 お隣さんが聞いたかもしれないって程度のピアノの音をよく聞くというカレシはきっと午後の、まだ陽が沈まない時間に一人でとてもとても静かなところにいるんだ――



 そんな心のつぶやきがまるで聞こえていたかのように、マスターは大きなクッキーの入った袋を差し出した。


「これ、謎が解決したお祝いです。カカオで免疫力を上げてくださいね。前にカレシさんはココアが好きだと仰ってましたよね」


「ありがとうございます」



 袋の中のココアのハート型クッキーを覗いてみる。

 クッキーはしっかりと白いアイシングで覆われていた。ちょっとやそっとで大きなハートが砕けないよう、しっかりと守っているかのよう。甘く優しい香りが漂った。




〈Fin〉




















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