(7)

 石魔法医であるエンプワーリは、往診のためにたびたび家を空ける。エンプワーリが庭仕事をするノノヴィのためにつばの広い帽子を買ってきた次の日も、彼は朝早くに家を出た。ノノヴィの耳にタコができそうなほど、日差しと怪我に気をつけてと言い置いて。


 ノノヴィはこれまで家屋の規模の割りには広い庭へと出たことがなかった。エンプワーリの許可が必要だと思ったからというのもあったが、「花の声」に耳を傾ける覚悟を固めるまでに時間がかかったからだ。


 ノノヴィが「花の声」を聞いたといっても、みな最初から虚言か変人と決めてかかる。だからいつからか、ノノヴィは「花の声」をできる限り聞かないようにしていたのだ。それでもどうしても耳に入ってくることはあって、知りたくもないことを知ってしまったこともあった。


 けれども今のノノヴィはエンプワーリを欺いている状況である。きっと庭の花々はエンプワーリや――もしかしたら彼の「愛したひと」についてなにかしら知っているかもしれない。これからもエンプワーリを騙し抜くためには、ノノヴィが「花の声」から情報を得るのは必須であろう。


 乞うた以上庭仕事はきちんとするつもりでいたが、同時にノノヴィは「花の声」からエンプワーリを欺く情報を得るチャンスとも捉えていた。


『わあノノヴィだ』

『ノノヴィこんにちは』

『久しぶり、元気にしていた?』

『そんなに久しぶりなの?』

『あたし、ノノヴィと会うの初めて!』


 庭へ出て、ノノヴィが色とりどりの花々に話しかければ、すぐさま多種多様な「声」が返ってくる。それらを聞く限りでは、どうやらエンプワーリが「愛したひと」を知る花もいれば知らない花もいるようだ。そして花はその種類によって時間の捉え方がまた様々であることをノノヴィは思い出すことができた。


「わたしはノノヴィだけど……あなたたちの知っている『ノノヴィ』じゃないの」

『ええ? どういうこと?』

『あなたはノノヴィ! アタシ知ってるわ!』

『でもノノヴィは違うって言ってる!』

『じゃあ、あなたはだあれ?』


 花々は戸惑った様子でまたいっせいにおしゃべりをする。それでもノノヴィは、不思議とそのすべての「声」を聞いて理解することができた。


「わたしもノノヴィ。少し前にエンプワーリさんの家にきたの。……よろしくね」


 花々は基本的に幼子のように純粋無垢だ。ノノヴィが自己紹介をすれば、すんなりと納得する。ノノヴィは、花々は総じてあまり人間に対する執着心がなく、ゆえに細かいことには頓着しない様子であることも徐々に思い出せた。


 だからきっと、花々はノノヴィが質問すれば知っている限りのことは答えるだろう。花は花であるからして、人間同士のあいだに生じるような義理人情とは縁がないのだ。


 ノノヴィの予想通り、花々は彼女の問いにするすると答えて行く。なぜノノヴィがそのような質問をするのか、といぶかしむこともない。陽気な声で、エンプワーリのことや、その「愛したひと」のことについて教えてくれる。


『――でもノノヴィもあたしたちの声が聞こえるんだもの、あなたは「花の一族」なのでしょう?』


 ――「花の一族」。エンプワーリが「愛したひと」である、もうひとりの「ノノヴィ」はそれであると言う。


 花々によれば、花の一族は美しいが短命を約束された運命にあると言う。そして名の通りに花に縁があり、ノノヴィのように「花の声」を聞くことができるらしいのだ。


 花が嘘をついたところは聞いたことがないので、恐らくそれらの情報は真実なのだろう。


 ノノヴィは、なぜ自分が「花の声」を聞くことができるのかについて、深く考えたことはなかった。物心ついたころから当たり前のように聞こえて、一方孤児院にいた人間たちにはそれらは聞こえていない様子だったため、自分にだけ聞こえる声だと捉えていた。


 けれども、実際は少し違ったらしい。


 ノノヴィは、思わず顔を知らない両親に思いを馳せた。もしかしたら、どちらか、あるいは双方が花の一族の血を引いていたのかもしれない。そしてなにかしらの事情があって――ノノヴィを捨てた。


 ノノヴィは自分が捨て子であることになにかしらの意味を見出したことはなかった。……正確には、見出すことを避けていた。


 しかし今、両親についてありありと想像をめぐらせてしまったからなのか、なんだか己が捨て子であるという事実に、寒々しい気持ちにさせられた。


 ノノヴィはその感傷を振り払うように、ぐっと顎を上げる。


「それで……エンプワーリは『石の一族』なんだっけ?」

『そうよ! 無骨な「石の一族」……それがエンプワーリ』

『「ノノヴィ」はエンプワーリが好きだったけれど、彼は「石の一族」だったからね……』


 エンプワーリが石魔法医をしているのは、「石の声」を聞くことができるからだ、ということはノノヴィも知っていた。けれども彼が石の一族であるということは初耳だった。


『「花の一族」と「石の一族」は相容れない存在』

『でも、「ノノヴィ」は幸せそうだった』


 しかし花々の知る「ノノヴィ」は――エンプワーリが「愛したひと」は今はもういない。


 エンプワーリは短命な花の一族である「ノノヴィ」と死に別れる運命を前に、生まれ変わっても前世の記憶を引き継ぐ魔法を開発した。だがその魔法は不完全なものだったのか、未だにエンプワーリが愛した「ノノヴィ」は見つかっていない。……おおむね、そのようなところなのだろう。


 エンプワーリはノノヴィが、彼が愛した「ノノヴィ」の生まれ変わりだと信じきっている。その自信がどこからきているのかは定かではないが、ノノヴィが「愛したひと」の生まれ変わりだと頭から信じて、疑っていないことはだれの目にも容易に見て取れるだろう。


 たまたま名前が同じだったからか、花の一族の血を引いているだろうから顔つきが似ているのか――。


 ノノヴィにはわからない。


 いや、わかりたくなかった。


 エンプワーリが未知のその魔法を開発し、「ノノヴィ」に対して使ったという事実を、ここにいるノノヴィはまっすぐに見られなかった。そこにいたるまでにあっただろう葛藤、苦悩。そして「ノノヴィ」がいなくなってしまったあと、自らの魔法を信じて彼女を捜す切実さ。


 それでもノノヴィは一度にそれらを想像してしまったがために、鉛を呑み込んだかのような気持ちになった。


 「ノノヴィ」はここにはいないのに、エンプワーリは騙されて、「ノノヴィ」が帰ってきたと喜んでいる――。


 ノノヴィはその事実に、完全な自業自得だと知りながらも、己の所業に吐き気すら覚えた。

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