第参話

 なかなかの美男である侍従の君でしたけど。


 確かに、きりっとした目鼻立ちにすっきりとしている顎の線から、性格もさばさばした感じが伝わってきます。けれど、葉子はそれどころではありません。自身の貞操が関わっているのですから。

 着ている衣は何度も砧打きぬたうちして艶を出した薄紫色の下襲したがさねに、薄い海老色えびいろの狩衣、藍色の指貫と言う姿ではありました。とても、雅やかでもし大勢の女房方が見ていたら、黄色い歓声を上げる様子でしたけど。ここには葉子一人しかいません。しかも、恐れしか持たれてはいませんけどね。


「秋の方、何故なにゆえに文のやり取りをやめたのですか。私に不満がお有りで?」


「……不満はありません、けど。私の立場をお分かりではないと思いましたので」


「それは!」


「私には背の君がいました、しかも子もおります。なのに、侍従の君から文をいただいても迷惑でしかありませんでした」


「……そうでしたか、なら。秋の方、私は失礼致します」


 侍従の君はそう言って、葉子の髪を離しました。代わりに彼は懐を探ります。


「秋の方、せめて名を教えてはくださいませんか?」


「私の名など、教える程ではありませぬ。お捨て置きください」


「分かりました、では。お別れの証にこれを」


 侍従の君が懐から、一本の蝙蝠かわほりを取り出しました。それを葉子に手渡します。侍従の君は足早に、部屋を出て行きましたが。ただ、茫然と葉子は見送るばかりでした。


 あれから、娘の櫻姫の裳着のお式が行われます。季節は春になっていました。弥生の中頃の夕刻にてですけど。

 葉子はさらに年を取っていました。三十歳になっています。櫻姫は十二歳、再来年辺りには婿取りも決まっていました。

 姫の裳の腰結い役は祖父でもある源宰相がつとめます。それを葉子や女房方、親戚などが見守っていました。


「お方様、ようやっと。姫様の裳着のお式になりましたね」


「ほんにの、ここまでが長かった」


「……侍従の君について、妙な噂を聞きました。後で申し上げます」


「分かった、頼むぞえ」


「ええ」


 葉子が頷くと、和泉は手をついて簀子縁に退がっていきます。葉子はどこまでもついて回る侍従の君に、頭が痛むのでした。


 別室にて、裳着のお式も一段落したので葉子は寛いでいましたけど。和泉が後片付けなどを済ませ、やって来ます。その気配を察して居住まいを正しました。


「お方様、お待たせしました」


「良い、侍従の君の事であったな」


「……ええ、その。つい、数日前に知り合いから聞きまして。侍従の君はある人妻に当たる女人と駆け落ちしたとかで。おかげで、都ではかなりの醜聞になって未だに噂になっているそうです」


 葉子はその人妻に心当たりがありました。たぶん、父方のいとこに当たる女人だろうなと思います。まさか、侍従の君は本気で自身を恋うていたのかと今更ながらに恐ろしさすら感じました。何とも気まずい中、葉子は和泉と目を合わせます。


「……和泉、知らせてくれた事には礼を言う。が、姫や父上達には他言は無用じゃ」


「分かりました、しかと肝に銘じます」


「もう、退がって良い。私は休む故」


 和泉は手をついて、頭を下げます。退がると葉子はまた、額に手を当てたのでした。


 ――終わり――

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落葉(らくよう)の香り 入江 涼子 @irie05

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