第弐話

 文を送ってから、半日と経たずに侍従の君から返事が届きました。


 葉子や和泉は大変に驚きます。何故、断りの文を出したはずなのにと戸惑いました。けれども、使いの男が「必ず、お返事をもらってこいと言われていますので」と申し、なかなか帰ろうとしません。葉子はさらに困り果ててしまいます。

 ちなみに、侍従の君の文はこんな内容でした。


落葉らくようの 香りに惹かれ 一夜には 宿にせむとは 思ふことかな〉


 葉子はこの歌を読み、頭を抱えて悩みます。いや、一夜にはとか宿にせむとか。かなり、思わせぶりな文字の羅列に驚くやら、恥ずかしいやら。まかり間違って、浄土の背の君に顔向けが出来ないような事にはしたくないと思います。

 けれど、あちらはなかなかに諦めが悪いと言いますか。葉子は腹を括ろうと考えました。


「……和泉、ご料紙と筆などを用意しておくれ」


「よろしいのですか?お方様」


「仕方ない、お断りの文を出しても。折れてはくれぬ方だからの」


 苦笑いしながら、葉子は和泉に答えました。こうして、侍従の君との文のやり取りが始まったのです。


 侍従の君は折に触れて、半月に一度くらいの頻度で文を送ってきます。葉子はあまり、深くは考えずに文をやり取りするくらいならと言う気持ちでいました。今、季節は進み、冬になっています。もう、神無月から三月が過ぎていました。新年が明け、雪が積もっています。

 葉子は年を取り、二十九歳になりました。ちなみに、侍従の君からは相変わらず、文が来ています。


「……母上、雪が積もっていますね」


「そうさの、櫻」


 葉子が火桶に当たりながら、傍らにいる娘の櫻姫に答えました。さらりと櫻姫は髪を揺らしながら、小首を傾げます。


「母上、まだかの侍従の君から文が届いているのですか?」


「届いているが、いかがした?」


「侍従の君についてはあまり良い噂を聞きません、父上みたいに真面目ではないとか」


「……櫻、父上が稀有なだけじゃ。巷の殿方は大体、色恋を遊びと捉えるきらいがある故」


「だとしても、母上をそれに巻き込まないでほしいです。わたくし、侍従の君は気に入りません!」


「櫻……」


 櫻姫が言った事に葉子は答えに詰まります。まさか、娘がそんな事を思っていたとは。驚きが大きくてすぐに言葉が出てきません。


「……あ、ごめんなさい。母上も渋々、お返事を出しているのに。わたくし、お部屋に戻ります!」


「分かった、櫻。侍従の君にはもう、文のやり取りをやめたいと書いてみる故。それで良いかや?」


「けど、侍従の君は母上を大層気に入っている様子。簡単には諦めぬと思います」


 なかなか、櫻姫が穿った事を言うので葉子は内心で舌を巻きます。いつの間に、こんなに成長したのやらと思うのでした。深々と雪が降り積もる夕刻近くの事になります。


 さらに、三月が過ぎました。季節は卯月に入り、初夏になっています。櫻姫の裳着のお式が近づき、葉子は父君や女房達と手分けして諸々の準備に大わらわの日を送っていました。すっかり、藤侍従の君との文もご無沙汰になっています。

 実は新年になり、櫻姫から言われた一件の後に「文のやり取りはもう、これきりにしたい」と葉子から、はっきりと返事を出したのでした。それからと言う物の、あちらからはぱったりと文は来なくなったのです。


「……和泉、櫻の着る単衣ひとえや袴、五つ衣、打衣、表着うわぎ、唐衣に。髪に挿す櫛や簪などはいかがする?」


「そうですね、姫様がお召しになる衣装や御髪おぐしに挿す櫛などは。殿にお頼みしてみましょう」


「そうじゃな、とりあえずは。私が仕立ててやらねばならぬが」


 葉子はそう言いながら、櫻姫用の衣に使う反物を手に取ります。美しい橘の襲の一式でした。その後、葉子は女房達と一緒に反物を仕立て上げるのです。


 衣装が仕上がり、姫の髪に挿す櫛などの用意も出来たのはこの年の秋でした。神無月になり、前栽せんざいでは鈴虫などが鳴く季節です。葉子は夜に一人で自室にて休んでいました。ふと、嗅いだことがない香りがします。葉子は慌ててうたた寝から目覚め、辺りを見回しました。足音を忍ばせ、やって来る人影が几帳越しに見えます。


(……なっ、誰?!)


 葉子は立ち上がり、重ねていた袿や単衣を脱ぎ捨てました。自室から、そっと庭に抜け出ようとします。けれど、くんっと黒髪が何かに引っ張られました。振り返るとそこには跪き、片手で葉子の黒髪の端を掴む男の姿があります。


「……やっと、会えましたね。秋の方」


「……あなたは」


「私をお忘れですか?」


「知りませぬ、早う離してくださいまし」


「強情な方だ、離しませんよ。私を受け入れてくださるまでは」


 葉子は知らぬ存ぜぬな態度でいましたけど。自身を「秋の方」と呼ぶこの男の正体に気が付きました。そう、この男こそがかの藤侍従の君だと。

 よく見たら、月明かりに照らされた侍従の君はかなりの美男でした。

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