落葉(らくよう)の香り

入江 涼子

第壱話

 時は平安の中頃、都に中流貴族出身の女がいました。


 名を葉子ようこと呼ばれています。葉子にはかつて、背の君がいましたが。今から、四年程前に儚くなっています。

 葉子は当年取って、二十八歳でした。背の君は二歳上で儚くなった当時、二十六歳です。今に存命なら、もう三十になっていたはずでした。

 それだけが口惜しくて葉子は残念だと思っています。ちなみに、彼女の父君が巷では源宰相げんのさいしょうと呼ばれていました。参議と言う役職にあり、葉子は都だと中の上と言える身分の家の出身です。

 彼女には背の君との間に、一人娘がいます。名をさくら姫と言い、今年で十歳になっていました。艷やかで滝のように流れる黒髪、切れ長で怜悧さが漂う目元、すっと通った鼻筋のとても美しい姫へと成長しつつあります。葉子は櫻姫を残して出家する事だけは出来ないと思っていました。まだ、父君が健在であるとはいえ、宮仕えか再婚も視野に入れないといけません。

 悩みは絶えない日々を葉子は送っていました。


 葉子は父君の源宰相と几帳越しで話をしています。傍らにはお付きの女房の和泉が控えていました。


「……葉子、もう秋じゃのう」


「ええ、神無月になりましたね」


「して、孫の姫は元気か?」


「元気ですよ、そろそろ婿取りの件も考えないといけませぬ」


「おお、そうであった。姫も再来年辺りで裳着を迎えるしの。が、恋文は姫宛に来ておるのか?」


 父君が問いますと、葉子はふむと少し考えを巡らせます。


「……それが。私宛にちらほらと来ています、姫宛もあるにはあるのですけど」


「む?そなた宛?」


「はあ、確か。中には名家の公達と思わしき方からも届いています。名は藤侍従の君だったか」


 そう言って、葉子は額を押さえました。困ったと言わんばかりに眉をしかめます。


「侍従の君、左の大臣さのおとどの御子息ではないか!やめておけ、あちらも本気ではなかろうて」


「でしょうね、仕方ないので。女房に代筆でお断りの文を出そうか、考えています」


「それが良い、本来なら。そなたは世を捨てていてもおかしくない身の上じゃしな」


 父君は悲しげな顔になりました。数年前に儚くなった葉子の背の君を思い出しているようです。背の君はかつて、江中将ごうのちゅうじょうの君と呼ばれていました。中将の君は娘の櫻姫に顔立ちが瓜二つで凛々しく、宮中の女房方の人気を独占する程の美男で有名でしたが。なかなかに、堅物でも知られていました。真面目で身持ちが固く、どんなに恋歌やそれらしい呼びかけをしても靡かないと女人方からは噂をされていた程です。

 実家は父君が大江家の出身で治部大輔じぶのたいふと言う役職でした。中将の君も中流の家柄ですが。偶然、葉子の父君とは長年の友人でした。それが縁で中将の君は彼女の夫となります。中将の君が十九歳、葉子は十七歳の年の事でした。


「……父上、私はこれから侍従の君にお返事を書きたいと思います。そろそろ、お暇しても?」


「相わかった、葉子。櫻姫の相手については儂も考えてみる。そなたもそこのところは頼んだぞ」


「分かりました」


 葉子は頷くと、膝立ちになります。にじり寄りながら、和泉に目配せをしました。すぐに和泉は気が付き、襖障子ふすましょうじを開けに行きます。静かに、自室へと戻ったのでした。


 夕刻近くになり、葉子は和泉に言って藤侍従の君にお返事の文を書いています。さすがに代筆では失礼に当たるとなり、直筆でしているのでした。


〈秋風の 素早く吹きて 立ち去りし 思ひはいかに あるや知らぬか〉


 意味は(素早く吹き抜ける秋風のように立ち去っていくのでしょうか。あなた様の思いがどれ程か、私には考えようがありません)となるでしょうか。要は(あなた様は遊びで文を送っていらしたの?)と察する事ができます。無駄な事は省き、葉子は薄紅色のご料紙に散らし書きしました。これで侍従の君が諦めてくれたらという狙いがありますけど。はてさて、どうなりますことやら。ご料紙を細く折り畳み、白菊の花に結わえ付けます。侍従の君に届けたのでした。


 

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