月に帰るー二〇二四ー
磐長怜(いわなが れい)
それは歌舞伎町のどこかにある。
ぎとぎとした電飾の下、客引きが別の客引きとふざけている。俺をちらとも見ない。騒音の中、男が足を投げ出し座るように眠っている。気づかない。女が客と揉めて、殴られてこちらによろける。不思議と当たらない。白っぽく大きな水たまりさえ、足元から逃げる様だ。俺は悠々と歩く。
満ちる前が華と言わんばかりの十三夜、道を逸れて雑居ビルの前に立つ。引き違いのガラス戸に、狭く急な階段。それでもう横幅いっぱいの三階建、典型的なウナギの寝床だ。二階に上がると、申し訳程度の廊下の先、どん詰まりに店はあった。
うっすら灯りはついているものの、人間では見分けもつくまい。当然施錠されている。古めかしい壁に似合わぬタッチパネルが光る。
――【お代は?】
英数字に切り替えて打ち込む。
【HONESTY】
――解錠の音がした。
中には老爺と言っていい歳の男が、ガラスケースを前に立って待っていた。
「おめでとうございます。お土産はいかがですか?」
「流刑地の土産なんか要るかよ」
言いながらそれとなく目を滑らせる。人の爪だの歯だの、ぱっとしない。
「お戻りになれば流刑地の金は用無し、ですからある程度こちらで落として頂くんですが」
「……」
【ジャンク品】と書かれた段ボールの中に、青いしずく型のネックレスを見つける。
「それは有名なアニメの模造品ですね」
「じゃあ、これ一つ」
手をやった先に確かに金はあった。
「まいど。…それでは、羽衣一枚。それと、形代をどうぞ」
「形代?」
「屋上で、地球の穢れを息にのせて吹き付けるんです。それでもうお帰りになれますよ」
「ふん」
「どうぞ、後ろの扉から」
老爺の言葉が終わる前に扉を開けていた。
裏手の非常階段は三階を飛ばして屋上に伸びている。穴の開いた鉄の階段は上るたびに音が鳴る。ふと周りを見ると、窓には全て目張りがしてあった。クラブとかカラオケ、そんなところだろう。妙な気配りだ。
屋上は月の光が真っすぐに届いた。来た時よりも随分早く帰れそうだ。羽衣を取り出し、街の光も、青い雫のことも忘れていく。
カチャン。
何を取り落としたかもう忘れてしまった。忘れる前に一つだけ、形代を取り出し、口づけるように近づける。
――ふっ
そこには誰もいない。
月に帰るー二〇二四ー 磐長怜(いわなが れい) @syouhenya
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