アンドロイドは殺人鬼の夢を見るか

ニノハラ リョウ

本編

「おはようございます。マスター。今日は21xx年10月31日。今日いいお天気ですよ」


 部屋のカーテンを開け放ち、ベッドで睡眠中のマスターに声を掛ける。

 このカーテンを開けるという作業も、電動スクリーンカーテンが主流の今では珍しいらしい。

 

 昨日に引き続き、今日も天気は予報通り良さそうだ。

 窓から差し込む朝の光に照らされたベッドの上で、モゾモゾと白いシーツが蠢いて、ひょこりと黒髪の頭がのぞいた。


「……おはよう。トリ。僕のことは『マスター』ではなく『旦那様』と呼ぶよういつも言ってるだろう?」


「申し訳ございません。……記憶インプットしました。

 それでは旦那様、朝食の準備を整えてまいりますのでお支度をお願いいたします」


 一礼して旦那様の寝室を去る。

 それにしても……いつも旦那様を『旦那様』と呼ぶよう言われているとのことだが、どうして私の記憶メモリに残っていないのだろう?


 僅かに疑問を覚えながら、キッチンへと向かう。

 カッティングボードの上にトマトとレタスとベーコンを用意して、ナイフでスライスしていく。

 すっぱりと切り落としたトマトの断面からゼリーに包まれた種がとろりと溢れ出した。


 トーストした二枚のパンの間にトマトとレタスとベーコンを挟む。

 今度はブレッドナイフを手に取って、サクリとサンドイッチにあてると……。

 パンの固い耳の部分がグシャリと潰れた。


 手に持ったブレッドナイフに視線をおとせば、刃が僅かに角が取れているのが見てとれた。


「……あとで研がないといけませんね。それともそろそろ新しいのを買いましょうか……」


 自分の記憶を検索して、ナイフ類の購入履歴がない事を確認する。


「私が管理する前に購入された物なら、新規購入の方がいいかもしれません」


 そう呟きながら、ふと洗ったばかりのナイフに視線を落とす。

 ……記憶の中にナイフ類の購入履歴はなかった。……はずなのに、妙に新しいあのナイフは一体。


 そこまで考えて、そんな機能はないはずなのに、ぞくりと肌が粟立ったような気がした。


 ふるりと一つ頭を振って、マスター……いえ旦那様のお好きなコーヒーをドリップする準備を整える。

 この作業も今では酔狂な一部の人が行うものらしい。


 細く長く粉砕された豆の上に湯を垂らす。

 恐らく室内には馥郁としたコーヒーの香りが広がっている事だろう。


「あぁ、いい匂いだね。今日も美味しそうだ。ありがとうトリ」


 そう言って現れた旦那様がダイニングテーブルに着かれたと同時に、出来立てのBLTサンドとコーヒーをサーブする。

 そして少し離れた場所に新聞を。


 全てが電子データ化され、情報は常に最新のものがあらゆるデバイスから手に入るこの時代に、既に紙自体が嗜好品となった昨今に、情報を新聞で得るというのは、これまた随分酔狂な事であった。

 カーテンも、ドリップコーヒーも、新聞も、全ては古き物。それを愛用される旦那様は自らを懐古趣味レトロロマンと称している。


「あぁ、トリ。見てごらん。また殺人事件だって」


 ぺらりと新聞をめくっていた旦那様が愉快そうにつぶやいた。

 旦那様のお言葉に、私は外部から情報を収集する。

 

「……一週間前に隣町で起きた殺人事件ですね。被害者は女性。鋭利な刃物で首を切られたことによる失血死。目撃者は皆無。犯人像も不明なまま、警察は手をこまねいている……と」


「らしいね。新聞の見出しでは、『現代の切り裂きジャック』って書かれてるよ。

 ……この記者はずいぶんとセンスがいいね」


 旦那様のお言葉を耳に留めながら、更なる情報を収集する。


「『現在の切り裂きジャック』は銃火器の規制が強まった昨今、苦肉の策で鋭利な刃物による殺害を企てていると……。

 被害者はわかっているだけで二十名、そして全て女性。犯行現場は……全てこの家からも近いですね。

 ……旦那様、夜遅くの外出には必ずこのトリをお連れください」


「そう言ってもなぁ。トリは見た目ははかなげな女性だし。ボディガードになるかなぁ?」


 私のありきたりな茶色のロングヘアにこれまたありきたりで平凡なヘーゼルの瞳を眺めながら、平坦な声で旦那様が疑問を呈する。


「私の見た目を決定したのは旦那様です。そして見た目によらず私の力が強いのもご存じのはずですが?」


「……そうだね。何せ君は……僕が造ったアンドロイドだからね」


「……はい」


 そう、私は目の前の旦那様の手によって作られたアンドロイドだ。

 ロボット工学の第一人者でありながら、酔狂な人物だと言われている旦那様は、何故か人型に寄せたアンドロイドを作り上げた。

 ……人型に寄せるなど、ロボットとしては不都合極まりないのにも関わらずだ。


 私を造った後、旦那様は人型のロボットの開発を止めてしまった。

 ……理由は分からない。私の記憶データベースにも残されていないし、外部の情報を収集しても当たり障りのない言葉しか溢れておらず、旦那様の本心は見えてこない。


 たった一体だけの人型アンドロイド、それが私『トリ』だ。


 私には自己学習型AIが搭載されており、まるで人間の”人格”のようなものが設定されている。

 それに基づき行動し、旦那様の身の回りのお世話をする。

 懐古趣味の旦那様曰く、私のような存在はメイドというらしい。


「……まぁ、あまり遅くならないし、暗がりには気をつけるよ。

 そういうトリこそ気をつけてね? 今日は買い物に行くんだろう? 君は見た目だけは儚げ美女なんだから」


「……心得ております」


「……それに、前回の犯行が二週間前なら……そろそろ殺人鬼の活動時期かもしれないしね。確か前々回の事件は四週間前だったはずだ」


 旦那様の言葉に思わず首を傾げる。

 確かに前々回の事件は四週間前だが、何故私は前回の事件も前々回の事件も記憶メモリの中に保存していなかったのだろう?

 外部から情報収集した限りでは、事件はどれもこの家の比較的近いエリアで発生しているようだ。


 だったら……いち早く事件を把握して、旦那様に注意を促すなり、それこそボディガードにつくのが私の役目であろうに……いったい何故?


 そこでふと、事件が起きたとされる日に何があったか思い出した。


「……アップデート……」


 私の呟きは、思わぬ形で旦那様に拾われた。


「あぁ、よくわかったね。今夜アップデートするから」


「……最近多いですね?」


 思わずと疑問を呈してしまう。あぁ、可笑しい。マスターである旦那様の行動に疑問を呈するアンドロイドとは一体何なのだ。

 だが、前回のアップデートは2週間前、その前は1ヶ月前だから、かなり頻度が高い。


「そうだね。最近色々と……あってね。

 まぁ、君は寝ているだけだから……。帰ってきたら始めるから、夕食の準備を済ませておいてくれるかい?」


 そう告げるだけ告げて、旦那様は研究所に出かけていった。


 ……頻繁なアップデートに首を傾げる私を残して。


 ……アップデートに疑問を抱いてる私を残して。


 こんな疑問を持つこと自体がバグなのかもしれないと思いつつ、AIは勝手に演算を始める。

 

 果たして、アップデート前のと、アップデート後の、それは同一の存在と言えるのだろうか?


 もちろんアップデートだから、今まで蓄積した記憶データは全て残っている筈で。

 旦那様とのやり取りも、基本的な生き方も何もかもが、私の中の記憶データベースに記されている筈だ。


 だけど……


 購入した記憶の無い真新しいナイフ。

 知っていないとおかしいのに知らない事件の数々。


 そして……


 そこまで考えてふるりと一つかぶりを振る。

 私は所詮AIでしかない。人間の脳波のように微弱な電流で動き、人間の脳のように記録を記憶媒体に記憶する存在。

 イレギュラーは存在しない。……だからこそ、全ての私は私なのだろう。……例えどれだけの違和感を抱えようとも。

 そもそも違和感を抱える事の方がバグなのだ。



 そして夜が訪れる。


「じゃ、トリ。アップデートを開始するね。……おやすみ」


「おやすみなさいませ。旦那様」


 段々とシャットダウンされていく機能と共に、狭まる視界に最期に映ったのは……嗤う旦那様だった。



 夢を……見る。

 アンドロイドが夢など見るはずがないのに、私の操作意思ではない操作で私の身体が動いているからには、これは夢なのだろう。


 私は夢の中で一人の女を追いかけていた。

 長い茶髪を翻してこちらに背を向けて走っていく女を、虎視眈々と獲物を追い詰める野生動物のように。

 手には何故か一振りのナイフ。


 そして……。


 力が尽きて、歩みの遅くなった女性の腕を掴む。

 後ろから手を回して、口を塞いで……。

 持っていたナイフで喉を掻き切る。今朝がたトマトをあっさりと薄切りにしたナイフは、女の喉を易々と切り裂いて、誰もいない前方に向かって血飛沫が舞う。


 ヒューと掠れた音を喉から絞り出して、女の身体が頽れていく。

 足元に蟠るように仰向けに倒れた女の顔を覗き込む。


 光を失った薄いヘーゼル色の瞳が、私の姿を映した。


 たった今事切れた女によく似た色合いの……茶色い髪に薄いヘーゼルの瞳を持った一体のアンドロイドの姿を……。


 旦那様が愛した

 旦那様を捨てた

 旦那様を残して死んだ

 ……旦那様が……殺した……


 旦那様の最愛の妻だった女の姿を……


 私は……誰?

 トリ?

 それとも旦那様の……奥様?

 旦那様を旦那様と呼んだのは……誰?


 それとも私は……?


 そこで私の夢は途切れた……。




 

 「おはようございます。マスター。今日は21xx年11月7日。今日いいお天気ですよ」


 部屋のカーテンを開け放ち、ベッドで睡眠中のマスターに声を掛ける。

 このカーテンを開けるという作業も、電動スクリーンカーテンが主流の今では珍しいらしい。

 

 窓から差し込む朝の光に照らされたベッドの上で、モゾモゾと白いシーツが蠢いて、ひょこりと黒髪の頭がのぞいた。


「……おはよう。。僕のことは『マスター』ではなく『旦那様』と呼ぶよういつも言ってるだろう?」


「申し訳ございません。……記憶インプットしました。

 それでは旦那様、朝食の準備を整えてまいりますのでお支度をお願いいたします」


 一礼して旦那様の寝室を去る。

 それにしても……いつも旦那様を『旦那様』と呼ぶよう言われているとのことだが、どうして私の記憶メモリに残っていないの……だろう……?


 私は……私は……ワタシは……いったい……ダレ?

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