広義に解釈するならこの講義は家庭科の講釈

 はい、皆さん席に戻られたようですね。

では後半を始めましょうか。


 再びの邂逅から少し時間は進みますよ。

なんやかんややり取りがありましてたまに夕ご飯をご馳走になるなんて関係になるんですね。


しかし形だけの和解ですから、本心では他人以下くらいにしか感じてないんですよ。それに加えて母という名前の生き物も接し方が分からないものですからね、お互いにぎこちなく「親子ごっこ」をする事になります。

ちなみにこれは現在進行系ですね。良い事ですね。


私が当時、母という名前の生き物の住まう箱を訪問するのは月に一ないし二回程度だったと思いますね。

ですから母という名前の生き物の生態を把握出来ていなかったんです。

こう、若さもありましたから圧倒的経験不足だったんですね。どうしたって自分の物差しで考える事しか出来なかったんです。

これは私の不徳の致すところでして、この反省と後悔が私の物差しを五メートルのシャーってするやつくらいに成長させてくれました。目指せ十メートルですね。


そんな当時の私でしたから罰が当たったと言いましょうか、試練の時が訪れました。


 あれは夏の暑い時期だったと思います。

この日も私は仕事終わりに母という名前の生き物の住まう箱を訪れました。


日が長くなり辺りはまだ薄らと明るく、暑くてぼーっとする頭に蝉時雨が商店街のミストシャワーのように降り注いでいた。頭は宵を迎える準備が整っているのに、いつまでもやって来ないその帳を、ぐるぐると回る洗濯機を何も考えず眺めるかの如く待っていました。


などと言えたら素敵かなと思いますが、そんな事は覚えていませんね。

実際はアニメ専門チャンネルで良く知らないアニメを眺めながら、膝に乗った猫の腰をとんとんでもしていたんじゃないでしょうか。


すると運ばれて来ますね。夕ご飯が。

ここでメニューの詳細をお教え出来れば良かったのですが、あいにく覚えてないんですよ。

ただこの講義に差し支えはないので各々想像で補完して頂けたら結構ですよ。

そうですね、例えば煮魚や焼き魚、野菜炒めなどを考えて頂ければ良いのではないでしょうか。


はい?

そこの方、何でしょうか?

「麻婆豆腐では駄目ですか?」ですか。


それは駄目なんですよ。

仮に麻婆豆腐だったとしますね。しかしこの家で出てくる麻婆豆腐はですよ、かさ増しされ過ぎてもはや「麻婆豆腐風味のお湯」なんですね。

ですから「お湯に浮いた豆腐、麻婆の風に乗って」になってしまうんですね。残念な事にこの家では麻婆豆腐は存在出来ないんです。悔しいですね。

これは別項で詳細を記載してあります。お時間のある時に目を通しておくとイメージが湧きやすいかもですね。


そこの方もご質問ですか?

はい、はいなるほど。玉子料理ですか。


玉子料理ですとこの家では一択ですね。

目玉焼きオンリーです。しかしいかんせん作り方が独特でして、まずこの母という名前の生き物は油をほとんど使用しない習性があります。

きっと前世はオイルサーディンかシーチキンだったのでしょうね。可哀想ですね。


ですから目玉焼きにも油を使用しません。

くっつかないアルミホイルをご存知ですかね、それを敷いたフライパンに玉子を落としまして極々弱火に掛けるんですよ。途中で水をさして蒸し焼きにしたりはしませんし、蓋すらしません。


そうして黄身が半熟などとは程遠い良く焼きのカチカチまで火に掛けますから底は焦げ焦げですよね。

なおかつです、出来上がってから一時間程放置されるんですね、目玉焼きが。

その間は何をしてるかですよね、気になりますよね。それは猫のトイレの掃除なんですね。こだわりが強すぎて夢中になってしまうんです。一途ですね。


そうして目玉焼きも悲しそうです。僕の事をちゃんと見てくれって言ってますね。

だって渇きに渇いてカピカピです。見た目は食品サンプルと見紛う程の作られた感が満載の光沢を帯びてまして、食べても食品サンプルかと思いますよ。

ゴムのような食感で中々噛み切れず、歯の隙間という隙間に黄身がつまり、味は焦げで苦いんです。もう、考えるのはやめましょうね。食べ物が有るだけ有り難いんです。感謝ですね。


少し本線から離れてしまいました。続けましょう。

目の前に並んだ料理のおかずをまず口にします。

すると自然な流れで白米を箸で摘んで口に運びますよね。日本人なら遺伝子レベルで組み込まれてる動作です。反射と同等の原理ですね。


その瞬間私は違和感を感じたんです。


あれーおかしいぞーおかしいぞー。

変だなー変だなー。

やだなーやだなー。

こわいなーこわいなー。


「もおっ」と口の中に空間を作ってそれ以上動かせなかったんですね。本能が咀嚼を拒んだんです。

なぜかと思いますよね。

私もなぜかと思いました。


なぜ、何故、ナゼ、なぜ、何故、ナゼェエッ!

納豆の臭いがするのです!

納豆を食べたどころかっ!

食卓にすら並んでいない筈の納豆臭がぁっ!

私の口腔から鼻腔を抜けるのです!


すると母という名前の生き物はチラと私を見てこう言いました。「昔の人は少し腐ったくらいでも普通に食べたのよ」とですね。

そうして自身はパクパクと白米を食べています。


私は戦慄しました。この生き物はまだ実力の一割程しか私に見せてなかったのかと。本領を発揮したこの生き物と私の、残酷なまでの彼我の差。圧倒的弱者と成り下がった私は脂汗が止まりませんでした。

最早、まな板の上の魚。蛇に睨まれた蛙。


後に判明するこの生き物の生態なのですが、傷んだ食べ物を好むような行動をとるんですね。

しかし動物は本来なら傷んだ食べ物の放つ腐敗臭などを嫌うんです。本能的に「危険だぞー」って脳が判断するのであの臭いに不快感を抱くんですね。

ですからこの生き物の行動はバグのような物で未だに解明はされてません。来世に期待ですね。


他の例としましては、カビたパン、発酵が進み完全に炭酸化している漬物、二年前の消費期限の魚肉ソーセージ等まだ挙げればきりがないのです。


最近私が特に異常に感じたのは「三年前に消費期限が切れている鮭フレーク」です。

これが台所にぽつんと置いてありまして、色も赤みが抜けてグレーに近かったのですね。


私は見て見ぬふりをしていたのですが姉さまという生き物が中身を捨てたんです。

理由は単純明快で「捨てなければ素知らぬ顔で料理に混ぜて食べさせられる」からですね。

しかしこれを発見した母という名前の生き物はヒステリックに姉さまを批難するんですよ。

姉さまも負けじと反論しますよね、正論で。


するとさらにヒステリーに拍車が掛かり金切り声でこう叫びが聞こえてきました。

「この家の人達頭おかしいよ!」これの「この家の人達」は自身の子供達を指してます。

実際私は一緒に暮らしてる訳ではないので、頭に血が上りすぎてワードチョイスを間違えたと思われますね。こちらの理解力が試されますね。


まぁこのバグは後々に分かる事でしたので、その時の私はまだ知る由もなかったのです。未熟ですね。


微妙な関係性の相手にピシャリと「食べるのが普通」と言われてしまいました。

私は息を止め一思いに飲み込みましたね。

しかしお茶碗にはまだまだ白米は残っております。ですがこのまま食べれる気はしませんよね。

私は思考をフル回転させ一つの打開策に辿り着きました。

そう、納豆臭で食べれないのなら納豆で上書きすれば良いじゃないか。

中々の名案と言いますか、妙案と言いますか、稀代の策士ですよね。


私は冷蔵庫から納豆のパックを二個取り出すと白米と混ぜ咀嚼する事なくその全てを飲み込みました。これで問題解決ですね。


しかし私がなぜ拒否する事なく食べる選択をしたかですよね。

これはややお伝えするのが難しいのです。

例えばですね。

凶悪なギャングに生死を握られてる状況で、粉微塵にされたガラス片を「飯だ食え」と言われる。そんな映画なり漫画なりのシーン。


または王様なりお殿様なりの絶対的君主に謀反を疑われ、無実を証明したいなら熱した鉄球を食べてみろと詰められる。そんなどこかで見たシーン。


果ては全てを持ち得た闇の帝王に失敗を謝罪すると「誠意を示そうというなら痛みを伴う謝罪しかなく、それにこそ意味が在る」と熱した大きな鉄板の上で土下座をするように言われる。そんな利根川。


この時の心境と同等だったと思って頂けたら良いですかね。


そうして私は心の底からこう思ったのですよ。


「この人に育てられなくて本当に良かった」と。


この感情は「運命回避型結果論.安堵ver」と名付けられてますよ。私によって。



そうしてこの出来事が私に「母飯」を研究させるきっかけになったんですね。危険からだた逃げるだけではなくて、どう危険なのか、その危険とどう向き合い、どう対処するのか。

これが私の、ひいては皆さんの健康や体調に寄与するのだと思います。健気ですね。



 おっと少し時間がオーバーしてしまいましたね。

それでは終わりにしたいと思います。

引き続きこの講義を受講される方は次回は新章ですので、テキストの「チラシを勝手に捨てようとすると逆鱗に触れる」の項からのスタートになります。

軽く目を通しておいても良いかもしれませんね。


それでは本日の講義を終了致します。

ありがとうございました。

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それは「母飯」。はじまりの狼煙 花恋亡 @hanakona

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