退屈と焦燥

真花

退屈と焦燥

 コンビニバイトに僕が売っているのは時間か、労力か、それとも苛立ちか。

 やることがあると、自分の中にないものとか、あるものとかをいっとき忘れることが出来る。だが僕はそのためだけに生きている訳じゃない。あいつらみたいに毎日のように集まっては飲んで、アルコールで誤魔化して、誤魔化した脳で意味のない会話をして、仲良しごっこをするのとは違う。大学生活をノリと仮面付けられた暇つぶしでやり過ごしていることにすら気付かないあいつらとは違う。違うが、僕がバイトをしている間の心のシステムはあいつらと同じだ。

 それが気に食わない。

 だが、バイトをする。自分のやりたいことをするために働く。

 だが、やりたいことが何かまだ分からない。分からないが、小銭を集めて、結局その大半が日常の雑事に飲み込まれていく。それでは僕がバイトをするのは、金のためじゃなくて時間を潰すためみたいだ。

 部屋に一人でいるとき、僕の中にない熱中があるべき隙間に、呼吸を奪われ、僕の中にある落ち着かなさ、何かをしたいと言う焦りに、張り詰める。あいつらも同じなのだろうか。いや、そんなことはない。はずだ。目が違う。生きることに真剣かどうかは分からないが、胸の中にあるものないものに対して真摯かどうかは明瞭に分かる。だからあいつらはアルコールばかり飲むのだ。あいつらは本当の愛に到達しない。夢にも至らない。……僕がそこに行けるかどうかも分からないが。いや、きっと僕は届く。そのための屈むような苦しみだ。

 ジングルが鳴り、客が入って来た。

 今は深夜の十二時四十五分。終電から最後に流れて来る客達で、大体いつも同じ面子だ。それはつまり皆が同じ曜日には同じことをしていると言うことだ。この坊主頭も、あのロングドレスも、何かで今日を埋めてからここに来ている。それが羨ましいようでもあり、全ての予定を決められるのは地獄のようだとも思う。僕はあの子を探す。火曜日には決まって来るあの子とは、少しずつ喋るようになって来ている。すぐにその姿を見付ける。背が低くて、小太りで、美人とはとても言えないがチャーミングと言えなくもない、ビーバーのような顔をしている。バイトはつまらないが、客と話すのは好きだ。あの子は店の奥に行って、僕からは死角に入った。他の客がレジに並び、対応をする。その間は暇ともつまらないとも感じずに、業務に集中する。客達がはけてから、あの子が僕の前に立った。

「こんばんは」

 僕は、いらっしゃいませ、と言うべきだったが、こんばんは、と答えた。

「今日も残業でこんな時間なの」

「それは大変ですね」

 僕はレジ打ちをしながら応じる。ピ、ピ、と言う音が、僕が本当ならば過ごさなければならない耐える時間を売っていることを一つ一つ刻む。

「結構ストレス溜まっちゃって、夜食にこんなに買っちゃうんだ」

「それも必要なことかも知れないですね」

 僕がレジ袋にスナックとかチョコレートだとかを手早く入れるのをあの子は目で追って、身を乗り出して小声になる。

「今日、何時まで?」

「早上がりなんで、一時です」

「じゃあさ、あそこの公園で待ってるから、来て」

 十は年上であるだろうあの子の声に乗っていたのは、濃厚なセックスの気配で、僕はこの場でするかしないかを決めてくてはならない。僕にはあるものとないものがあって、そのどちらもが興味に変換されて僕を後押しする。

「分かりました」

「じゃあ、またね」

 あの子が店を出て行くのを凝視してしまった。次の客はおらず、僕はレジ以外の業務を片付ける。セックスじゃなかったとしても何かが起きる予感に胸が膨らみ、いつもよりも手際よく作業をして、時間になったら上がった。

 コンビニを出てすぐのところに公園がある。真っ直ぐに向かったらあの子がブランコに乗っていた。漕いではいなかった。

「来ました」

「ありがとう。私、木崎きさき。君は、北沢きたざわくん」

「はい」

 僕はぶるぶると震えそうになるのを必死で隠す。どうして震えるのかも分からない。木崎はキィ、とブランコを甘く漕いでピタ、と止める。

「歩いてすぐのところに住んでるんだ。来ない?」

 木崎の声に緊張が乗っている。同時に、始まるための鐘の音を聴いているような印象もある。僕はこの公園に来た以上はそうなると分かっていたが、少しだけ躊躇した。

「部屋に誰もいないですか?」

「うん。一人暮らしだよ」

「じゃあ、行きます」

 木崎はブランコから降りて立ち、こっち、と先を行く。僕は付いて行くが、何も喋らなかった。木崎も黙っていた。空が広く抜けていて、星がよく見えた。二人の足音が規則正しく刻まれる。

「ここ」

 五分くらい行ったところのアパートで、一階だった。ドアを潜るときに、お邪魔します、と言ったら、木崎が笑った。部屋の床にものが乱雑に置いてあって、ベッドとテレビがあって、風呂とトイレとキッチンは別の部屋にあるようだった。洗面所に通されて手を洗ってうがいをしてを順番にした。木崎がテレビを付けた。

「暗いのと明るいの、どっちが好き?」

「暗いの」

 木崎は僕を抱いて、僕の顎にキスをした。応じるように僕は木崎の唇を奪った。


 裸でベッドに横並びになって、テレビから鳴る誰かの新曲を聴いていた。それはとてもキャッチーで、この曲を聴くたびに今日のことを思い出しそうだった。

「どうして僕に声をかけたの?」

「可愛かったから」

「危険な男かも知れないよ?」

 木崎は僕の頬をぷに、と押す。

「そんなことないと思った。自分の目に自信があるから」

「そっか」

 僕は木崎の顔を見る。薄暗い中でテレビの光が木崎の顔を映し出す。やはりビーバーだが、さっきより可愛いビーバーになっている。だが僕は君の方が可愛いとは言いたくなかった。その言葉を吐き出すのは敗北の匂いがする。僕の中で急にあるものとないものが声を上げる。この時間は誤魔化しの時間ではないのか。ことが済んだなら一人に戻るべきではないのか。素っ気ない態度でここを後にするべきではないのか。いや違う。ビーバーが可愛いからではない。木崎に敢えて冷たいことをしたいとは思わない。緩い付き合いになるだろうが、一緒にいる間には何か、愛なのか、やさしさなのか、名前が分からないが温かいものを注ぎたい。それは僕の中にあるものとないものの対極にあるようで、同じもののような気もする。

 僕は体を回して木崎の頬にキスをする。木崎がはにかむ。

「私、文子ふみこ。君は?」

宮春みやはる

「いい名前だね。宮春って呼んでいい?」

「コンビニ以外では」

「もちろん。コンビニでは呼ばないよ。私のことは……?」

「文子」

「嬉しい」

 今度は文子が僕の頬にキスをする。僕達はまるで恋人のようだが、恋人ではない。恋人のように今は振る舞うが、一歩外に出たら他人のふりをする。二人で保っている温度に、テレビの方から殺伐の気配が忍び寄る。それを無視しながら蹴りながら、もう少しだけ恋人でいる。

「文子は社会人なの?」

「そうだよ。ブービーズって言うアパレル企業で働いている。宮春は大学生?」

「うん。一年」

「浪人してなかったらちょうど十歳差だね。家は実家?」

「実家。現役だよ」

「じゃあ会う時はここだね」

 それから僕達は黙って、ちょっとうとうとして、テレビの歌が急に激しくなったので目を覚ました。僕達が保持していた温度は溶けていて、僕はまるで一人でここにいるみたいだった。同じ一人ならちゃんと一人の方がいい。

「そろそろ帰るよ」

「あ、連絡先」

 連絡先を交換して、服を着る。僕は何か忘れ物をしたような気がして、だがここには決してないから、落ち着かなくなる胸を圧力をかけて止めて、文子を呼ぶ。文子は僕に抱き付いて、また会える? と上目遣いに僕を見る。会えるよ、と僕は言ってキスをする。

 文子は玄関まで見送ってくれて、僕は外に出たらドアが閉まるまでそこで待った。ガチャンと言う音と一緒に文子は封じられた。僕は文子のいない世界を歩いて帰る。

 途中でバイト先のコンビニの前を通った。夜勤のメンバーがレジに立っていた。僕は体に残った文子の感触をコンビニ周辺に捨てる。僕はもっと僕になって、家路を行く。

 文子といる間はあるものもないものも脇に避けていた。それはあいつらがやっていることと変わらないのかも知れない。それとも、パーソナルな関係がある分だけ意味があることなのだろうか。そんなものは誤差だ。僕のあるものとないものを誤魔化していることには変わりがない。それはもっと素敵なもので取って代わられるべきだ。僕はそれを探し求めなくてはならない。

 真夜中の空は広く深くて、まるでその中から僕は自分の望むものを探し出さなくてはならないかのようだった。星が瞬いているが、それが目的のものとは限らない。僕は空を見ている内に仰向けに転がって、空の全てを受け止める。その間はあるものもないものも感じなかった。


(了)

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