デート未遂

真花

デート未遂

 二時間かけたメイクが完成して、ナチュラルで煌びやかな私が鏡の中にいる。角度を変えてチェックする。大丈夫、悪くない。私の顔だけど私の全部のようで、塗り重ねた分が自信に変換される。服だって昨日三時間迷いに迷って決めた。結局は必殺の一着に落ち着いた。顔に負けないくらいオーラのある服だ。夏らしい小ぶりな花柄のワンピースだけど、実はハイブランドで、青が基調に白い花がエキゾチックでミステリアス。一箇所だけ金魚が泳いでいる。これにゆったりとした麦わら帽子を合わせる。帽子の帯はワンピースに合わせて青。そこから私の長い髪が流れる作戦だ。イヤリングは敢えてしない。ネックレスもしない。指輪ももちろんしない。私は高原に咲く一輪の花だから、シンプルさによって一番見て欲しいところを際立たせる。

 さあ、私が出来上がる。

 後はカバンと靴を身に付ければいい。これも決めるのに一時間かかった。全部を昨日の内に決めて、その上で肌とメイクのために早寝をしたから、結局昨日はほとんどが準備だけで潰れた。デートは一日にして成らず。

 でも、本当は完成なんてしていない。このコーデとメイクとそれをまとった私が完成するのは、タクトに会って笑った瞬間だ。だから、今はまだ準備の最終段階でしかない。

 それでも、作り込んだ自分に胸が浮き上がる。息が甘くなる。

 ベッドに置きっ放しだったスマホが鳴る。見ればタクトだった。

「おはよう。どうしたの?」

「あ、レミ? あのさ、申し訳ないんだけど……」

 言い淀むタクトが醸す響きに私はその後の言葉を察して、同時にさっきまで浮き上がっていた胸が奈落に落とされるように沈んで、燃えてチリチリと痛い。

「何?」

 冷静を装った声が思っていたよりずっと固くて、タクトにぶつかる音がした。

「いや、あの、さ。ちょっと急に用事が入っちゃって、今日のデート、行けなくなっちゃったんだ」

「タクト。今日の、って、今日が初めてのデートだよね?」

「うん。まあ、そうなんだけど、どうしてもダメなんだ。埋め合わせはきっとするからさ」

 きっとこの男は今日のために何も準備をしていないのだ。もし私達が付き合って長かったら文句を言ったり、聞き分けのないことを言って困らせたりするのだろうけど、今の私にはその選択は出来なかった。

「分かった。きっとだよ」

「ごめんね。……じゃあ、また」

 一方的に通話は終わって、私は部屋の中で置いてけぼりになる。スマホをベッドに投げ付ける。ボスンと鈍い音がして、スマホはバウンドもしなかった。

 私のメイクとコーデは完成しないことが確定した。

 鏡の前に立って、その出来を見る。メイクを落として服を脱いで、だらりとした休日を、いつもと同じ休日を繰り返すことはすぐに出来る。でも、それが惜しい気が半分した。もう半分は放り出されたことで胸の中が焼けるように悔しい。

「不法投棄だ」

 鏡の中の私の目が吊り上がっている。やり場のないのは気持ちだけじゃない。このメイクとコーデもだ。

 そうだ。

 デートで行くはずだったところに、行ってやろう。

 私は待ち合わせに十分間に合う時間として、すぐに出発した。


 最初のデートの待ち合わせ場所が上野公園の西郷さんの前と言うタクトのセンスに脱帽するが、大学時代に近くに住んでいたから土地勘があって、どう言うデートコースを行ったのかを推測出来る。これが渋谷新宿池袋銀座辺りだと全く分からない。

 私は西郷さんの前に立って、一輪の花として凛と、タクトを待つ。

 タクトは来ない。それでいい。もし来たら、私は何を試されていたのか混乱してしまう。

 初夏の風が私という花を撫でて行く。

 もう十分だ。私は私と待ち合わせたみたいに、その場を踏み出す。まずは、公園内を散策する。どんな会話をしたかは分からない。そこまでは再現しない。上野公園は広くて、私の空想上のタクトは西洋美術館のチケットを二枚持っていて、私達はロダンの地獄の門に感嘆し、小さな考える人を見付けてから館内に入る。私は一人分のチケットを自分で買う。果たしてこの中に私よりも秀でた芸術作品はあるのだろうか。チケット売り場で微笑にそんな想いを込めながら購入し、奥へと入って行く。私達は一緒に絵を観た。本当は私は美術館は誰かとは来たくなくて、自分のペースで観たいのだけど、デートのための美術館だから利用方法が異なるので、それはそれでよい。実際は一人だから自分のペースでさっさ観て、出口付近のルノワールにロックオンしてそこで三十分くらい観て、美しさで負けたと認めて退館した。

 美術館は一つ観れば十分だとタクトも私も思って、かと言って動物園に行くかと言えば、行かない。だらだらっと公園内をうろついたら、御徒町の街に向かって出て行く。人がたくさんいて、その何人かは私に視線を送って、私はそれをすらっと躱す。こんな私と会えなかったなんてタクトは損をした。大損だ。

 御徒町も人が多くて、外国人も結構いて、その波を泳いで松坂屋に行く。服とか雑貨を見て、でも買わなくて、いやもしかしたら一緒に来ていたらタクトが小物くらいプレゼントしてくれたかも知れない。実際にはいないから私は自分のために小物など買わない。ぶらぶらと松坂屋の中を回って、お昼時よりちょっと前にレストランフロアに上って、フィーリングで店を選ぶ。タクトは私の事情など考えずに、中華料理を選択する。油が多いと口許のメイクが崩れるリスクがある。でも私はにっこりと笑って付いていく。だから私は一人で中華料理屋に入った。酢豚を食べた。口許の崩れをトイレで確認したいけど、タクトはすぐに退店して次に進もうとするから、出来ない。実際は一人だけど、そこのリアリティを守るためにトイレに行かずに階下へ降りた。

 街中の店舗、漬物屋、甘味処、ドネルケバブ屋、ジーンズショップ、靴屋、などを冷やかしながら進んで行く。御徒町の街の外れに至り、それでも私達は会話に花を咲かせながら歩みを止めない。その先に何があるのか私は知っているし、タクトだって分かっている。でも、最初のデートでいきなり行くだろうか? タクトの性格を考えたら、十分にあり得る。少なくとも、今の私はそういう風にデートコースが組まれていたと考えて目的地に向かって歩く。

 急に街の感じが隠微になり、人通りが少なくなる。

 私はラブホテルの前に一人で屹立している。

 タクトは何と言って私を中にいざなうだろうか。予測が付かない。タクトとの付き合いは長くて、ずっと友達だったところを、男女になるべくデートをしようと言われた。それでも、セックスを濃厚に行いそうな場所にタクトが如何に連れ込むのかは、私の知らないタクトだから、分からない。

 私はラブホテルの前に立って、動かない。

 きっと入った。だから、入ればいい。

「入ればいい?」

 急に、そんなことはないと思った。中に入って何をしろと言うのだ。一人エッチでもするのか? そんなことしなくていい。

 苦い笑いが込み上げて来て、私は腹を抱える。

「バカみたい」

 踵を返して駅に向かう。真っ直ぐに家に帰り、メイクを破壊するように落とす。服を部屋着に着替えて、ベッドに横向きに転がる。

「デート未遂は終わり」

 スマホを手に取って、タクトの連絡先を出す。ブロックしようとして、やめた。

「今日までは許してあげる」

 私はいつもの私に全部戻るべく、仰向けになり、息を吸い込んで目を閉じた。


(了)

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