3回目のバイト?
第4話 古賀さんがいない
ドアの前で立ち止まり、今日は古賀さんの勤務日だということを改めて確認し入店する。
いつものように受付には誰もいなくて、いつも通り呼び鈴を押す。
暫く待っても古賀さんが現れる気配はなく、受付から少し身を乗り出して厨房の方をのぞく。
「いらっしゃい!」
「わぁ!」
不意に結構大きい声が聞こえて、びくりと身体が跳ねる。
その人は横の通路から声を掛けてきたようで、私の横を通ってスタスタと受付の方にまわる。
「お待たせ!」
「あっこんにちは」
胸元には若林という名札がついていて、可愛らしいシールで装飾されている。今までポップで見たことがある店員さんは、古賀さんともう一人いて、そのもう一人がこの若林さんだ。若林さんは古賀さんの対極みたいな人で、常に明るく機嫌が良さそうに見える。それでいて古賀さんよりも背丈が高く、落ち着いた茶髪で、大人な女性の雰囲気も纏っている。
「びっくりしたでしょ?」
「いえ、急に出ていて少し驚きましたけど」
「違う違う! そうじゃなくて、なんで瞳じゃないの?って思ってるでしょ」
「え?」
「あなた菜津ちゃんでしょ?」
「え?」
教えた覚えがないのに、名前を当てられ驚く。しかもさっきの口振りからしたら、今日私が古賀さんに会いに来たことも知ってそうだった。私は状況が理解できてなくて、混乱する。
「あー心配しないでね、私全部知ってるから」
「全部!?」
「うん。瞳から聞いた」
「あー古賀さんから、ですか?」
「そうそう、ぜーんぶ知ってるよ。菜津ちゃんと瞳のこと」
「例えば何を知ってるんですか?」
「菜津ちゃんが財布忘れて店番したことも、更衣室でのお話も」
「なるほど・・・ほんとに知ってそうだ」
「だから言ったでしょ? 今日瞳バイト入ってたんだけど、なんか体調不良らしくて、私が代わってあげたの。瞳じゃなくてごめんね」
「あーそうだったんですね」
「それで瞳から、菜津ちゃんが来てたら謝っといてって言われた」
「そういういことだったんですね、全然大丈夫ですけど」
「ならよかった」
「ところで菜津ちゃん、うちのシフト表持ってるんでしょ?」
本当はあまりよくないことだと分かっているので、遠慮がちに小さく頷く。
「そのことがさ、社員にバレて瞳めっちゃ怒られちゃったんだよね」
「え!? ほんとですか?」
「うん。それが原因で寝込んでるみたい」
「え、それってわたしのせいじゃん・・・」
「うそうそ、冗談冗談!」
若林さんは口元を手で隠し、ふふと上品に笑う。
「もうやめてくださいよ! ほんとに焦りました」
「ごめんごめん! ただの風邪だと思うよ」
「それも結構心配ですけど・・」
「そんなに重症じゃないって言ってたよ!」
「ならちょっと安心です」
「それで今日はどうする?歌ってく?もう帰っちゃう?」
「歌っていきます」
「おっけい、学生プランでいいかな?」
「はい」
「あっ部屋はフロントから遠い方がいい?」
「え?」
「私は菜津ちゃんの綺麗な歌声聞きたいけどね」
「もう!その話も知ってるんですか!」
若林さんは私をからかって、ニヤニヤしている。
「ぜーんぶ知ってるからねー」
「これから古賀さんとの会話に気を付けるようにします」
「おもしろいね菜津ちゃん。でも私から聞き出してるわけじゃないからね? 瞳が話してくるのをいつも聞いてるだけ」
「そうなんですか。じゃあ結構仲いいんですか?古賀さんと」
「そうだよ」
以前から古賀さんと若林さんを見たことはあったけど、2人が一緒にいるところは見たことがなかった。
「どういう関係なんですか? 同じバイト仲間みたいな感じですか?」
「高校からの仲だよ。そこから続いて今も仲いいみたいな」
「なるほど、ていうことは同じ大学ですか?」
「そうだよ! 学部は違うけどね」
前に古賀さんは、大学での友達が少ないっていう話をしてたけど、その数少ない友達の1人が若林さんだったらしい。
「それにしても菜津ちゃん、気に入られてるみたいだね」
「そうですかね? 最近話すようになっただけですけど」
「いや、話し相手になるってだけでも凄いよ」
「そうなんですか?」
「そうそう、瞳はあんまり社交的な方じゃないからね」
「まあ確かにそういう感じはちょっとわかりますけど」
「でしょ? 良いこと教えてあげるとね、社交的じゃないのもそうなんだけど、好き嫌いがすんごく激しいんだよね瞳って」
「好き嫌いが激しい?」
「そう、食事とかも食べ物の好き嫌いが多くて、偏食気味だし。人との付き合いもそんな感じなんだよね」
「付き合いもですか」
「波長が合わない人とか興味ない人にはすんごい冷たいけど、好きだったり相性がいい人にはめっちゃ優しい!みたいな?」
「なるほど」
「子供だよね~」
確かにそういう一面を感じることがあって、ただの客と店員という関係の時は冷たくて少し怖いくらいだったけど、最近は段々優しさが増してると思う。
「瞳と合う人と合わない人でいうなら合わない人の方が多いからさ、菜津ちゃんはレアな存在ってこと」
「そう思われてるなら嬉しいですけど、特になんかした覚えはないんですよね」
「うーん、なんだろうね。菜津ちゃんの雰囲気とか? そこら辺は瞳にしか分からないけど。菜津ちゃんは瞳と話すの嫌じゃない?」
「もちらん! むしろ学校の友達とはちょっと違う関係で、なんか新鮮です」
「そっか、それはいいことだ。これからも仲良くしてあげてね」
「はい」
「瞳のことでなんかあったら相談してね。 あとついでに私とも仲良くしてね」
「はい、もちろんです! よろしくお願いします、若林さん」
「よろしく! 桜さんでいいよ」
「じゃあ桜さん」
「うんうん。そろそろ部屋決めよっか」
桜さんは受付から離れた部屋にしてくれて、私は手を振る桜さんを背に、受付を後にする。
案内された部屋は受付からかなり離れていたけど、いつも使ってる部屋より若干狭いし、ドリンクバーからも離れてしまった。
とりあえずウーロン茶を確保する為部屋を出ようとした時、プルルルルと電話の音が鳴った。すぐに部屋の電話が鳴っていることに気付いて、開けようとしていたドアを閉め、電話にでる。
「あっ菜津ちゃん? ごめんね、わたし~」
「あーわかばや、桜さん」
「あのさーちょっと言い忘れたことあったから後でフロント来てくれる?」
「あっはい。今から行きます」
「ありがとう。あっスマホ持ってきてね」
カチャっと受話器を戻し、スカートのポケットにスマホがあることを確認して、受付に向かった。
「往復させちゃってごめんね」
「いえ、丁度飲み物取りに行こうと思ってました」
「そっかそっか。ちょっとスマホ出してくれる?」
「あっはい」
「LINE交換したいなって思って!」
「あっこちらこそ」
桜さんは自分のQRを差し出し、「読み取って」と画面をこちらに向ける。桜さんのアイコンは名前の通り綺麗な桜景色で、木の下に桜さんらしき後ろ姿がおしゃれに映っている。
「ありがと! あとで送るね」
「はい! あとなんかあります?」
「いや、これだけ! 邪魔してごめんね」
「全然大丈夫です!」
私は軽くお辞儀をして、ウーロン茶を手に入れ、部屋に戻る。
LINEは既に来ていて、宜しく!と叫ぶ可愛いクマのスタンプとその下に「古賀瞳」とう連絡先が送られていた。続けてラインが来て、「連絡してあげて!」というメッセージが来たので、「分かりました!」と返す。
古賀さんがどこまで把握しているのか分からず、なにを送ればいいのか迷ったけど、とりあえず今日のことを話そうと決め、メモアプリに下書きを書いた。完成したら古賀さんを友達追加し、もう一度下書きを確認してからトークにコピペした。
勝手なイメージで返信は遅い方だろうと思っていたけど、思いの他ほんの数分で反応があった。
「こんにちは、朝日菜津です!」
「若林さんからLINE貰いました」
「体調大丈夫ですか?お大事になさってくださいね」
「ライン来てびっくりした」
「まだ熱は完全に下がってないけど、回復してきてるよ」
「今日いなくてごめんね」
「良かったです!」
「気にしないでくださいね。早く元気になってくださいね!」
「ありがとう」
「桜となんか話した?」
「ちょっとお話ししました!」
「変なこと言われなかった?」
「私のこととか」
「変なことは言われてないです」
「古賀さんとの関係とか教えてもらいました!」
「ならよかった」
「明後日のバイトはたぶん行けるんだけど、来る?」
「明後日ですか、ちょっと待ってください」
「すみません、予定入ってました💦」
「そっか」
「でも金曜なら行けます!」
「古賀さんシフト入ってますよね?」
「うん」
「じゃあ金曜に」
「はい!」
「ゆっくり休んでくださいね」
暫く既読がついたまま返信が来なかったので、もう返ってこないかなと思い、トーク画面を閉じようとした時、ポンとまたラインが来た。
「お願いがあるんだけどいい?」
「はい、なんですか?」
「まだポップいるの?」
「います! さっき入ったばっかりです」
「じゃあ今日の300円も私に払わせて」
「え?」
「菜津ちゃんがいいなら、またバイトしない?」
「いいですけど」
「なにをすればいいんですか?」
「古賀さん今家ですよね?」
「そうなんでけど、そのー」
「嫌だったらちゃんと言って欲しいんだけど」
「はい」
「菜津ちゃんと電話したい」
時給300円のバイト〜カラオケで始まる百合〜 さざ波 @JIMO2
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。時給300円のバイト〜カラオケで始まる百合〜の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます