第七楽章 テア・ブリザーク

㉞テア・ブリザーク

 何が起きたんだろうか。


 そんなこと考えるまもなく、空は暴れるだけ暴れて、光るだけ光って。それから、カッと閃光を放った。

 必死につぶった私たちの目を、瞼ごと貫いた。


 必死に暗闇に隠ろうとする私たちの耳には、甲高い龍の悲鳴がこだました。


 まぁどうでもいい。どうでもいいよ。

 今はただ、この全てをへし折りひしゃげてしまうように苛烈を極める、暴雨から逃げるすべをおくれよ。


 しょうぶのさいちゅうに、せなかはむけられない。


 ボーヤだって知ってる常識を噛み締めながら、木に掴まって身を寄せて、忍ぶことしばらく。


 ようやく開けた先の世界に、渦は見当たらなかった。

 雨はやみ、風も失せ、空は普通の灰色で。どこか怒りが収まったように感じられた。


 次の一枚、めくろうとした紙芝居。曇天の空がただ、描かれていただけの一枚。


 確かに墜ちてきた、金色の流れ星。

 雷禍の正体は、今、飛び込んできたんだ。


  流れ星を抱きしめた森の一面、頬や翼のあちこちを、飛び散った小さな熱風達が引っ掻いていく。


 深呼吸を一回、ゆっくりと目を開く。

 

 まず、其処には原っぱがあった。

 木々が全てなぎ倒され、あちこちで焼け焦げた原っぱがあった。


 次に空が見えた。

 曇天こそ続けれども、雷鳴は引け、風は弱く、雨は静かに垂れていた。

 あの忌々しい渦は消え去り、至って "普通" な曇り空が見えた。


 最後は、龍だった。


 金色の短い体毛に包まれた細長い胴体、首から尾にかけては、馬のたてがみのように群青が走っていた。

 鋭い鉤爪の付いた翼は被膜ではなく羽毛に包まれ、尾の先端は熱帯の鳥を想わせる、きらびやかな尾羽が伸びていた。

 鱗に包まれた華奢な足。後ろに一本、跳ねるように付いた指が、握力の必要ないことを証明していた。

 細長く伸びた顔の正体はクチバシで。なぜかギザギザとした牙が、そこからワニのようにずらりと並んでいた。


 ……なぜ?、どうして?


 自分でも解らなかった。


 舞い降りたその10メートルはあろうかという紺黄の怪物には、一ミリも "龍" を想わせる場所はなかった。


 けれど……私はコレを、龍と呼んでいた。


 得体の知れない、どこか不思議な神秘を想わせる違和感が、口の中をもごもごと這う。

 そんな、つばぜり合いとも取れぬ空虚な時間が数秒続いた後だった。

 意図して逸らしていた紫紺の瞳が、私を鋭く突き刺した。


 ――そうだ、確信した。


 空すら見上げ、海すら沸かし、地を踏み潰し、世を統へる。


 龍だ。間違いない。


 容姿など関係なかった。

 その瞳には、龍だけが持つ強さがあった。


 ――気紛れの雷神テア・ブリザーク


 ヤツに挑む側はコチラなんだと、今更理解した生体の原則に震える拳を、私は強く握りしめた。


 息を呑め、笛を持て。

 見据えろ、定めろ、雷鳴よりも鋭く突き刺さる、新たなる脅威に備えよ。 

 脳だけが命令を出す。しきりに一人、夜勤中というほど静まり返ったオペレーター室、アレヤコレヤを喚いている。

 無論、職場は誰一人として動こうとしない。


 訊くまでもなく私の身体は震えていた。寒さではなかった。これから自分の身体が冷たくなるコトに対する恐怖だった。


「がら……、」


 ようやく動いた口がそう漏らす。情けなくもこの瞬間、戦うよりも助けてもらうことだけを求めてその名を呼ぼうとした。


「むんッ!!」


 返事は帰ってこなかった。代わりに頬のすぐ隣、突風が駆け抜けた。

 ひり出すようなうめき声と共に、私の臆病をかき消すように飛んでいった。


[バチンッ、]


 向いたままの視界で、げられたソレは龍の尾で弾かれた。


「……速いな、案外視えてるのか?」


 地面に力なく落ちた木の枝に向けて、背後の男はたんたんと呟く。

 私は何も言えず、ただ口からは軽い笑い声が出た。


「魔力こめろ! 豆腐ヒトじゃねーぞ!」


 町長が怒鳴っては、前方に飛び込んでくる。彼は銃をつがえ、そのまま龍に向けて発砲した。

 飛び出した緑の光弾は、龍に触れた途端、バチバチと閃光を放って炸裂した。


 龍はよろめき、はじけ飛んだ体毛の中からは、ポロポロと同じ色の鱗が飛んだ。

 赤い滴がぽたり。弱った雨では拭えないほどの濃度で、龍の身体を伝っていった。


「……な、るほどっ!」


 ガラン君は適当な石ころを掴む。そして振りかぶり、第二球を投げた。

 球種は真っ直ぐ、報復恐れぬ故意四球だった。

 しかし龍は再び、あざ笑うようにソレをはたき落とした。


「下手くそ!」

「無茶言わんでください!」


 ソレは 今まで散々見せつけられてきた チカラ is ぱわぁ の万能式に、ようやく突きつけられた反証けいけんだった。


「ゴリラには少々難しいようだな。人間の技術というヤツは」


 嘲りながらもう一人、頭一つぐらい小さな鎧が前に飛び出す。腰に付けたサーベルを振り抜くと、途端、三日月をかたどった魔力の塊が、龍の首に向けて飛びかかっっていった。


「バチンッ!」


 三日月は、案の定へし折られた。龍は尾すら使わず、首を振ってそのまま地へと叩き落としてしまった。


「下手くそ!!」


 もう一度、町長の罵倒が飛んだ。ヘルムには拳骨も落ちていった。


「がぁぁ、」


 頭を抱えてうずくまったノイマン。哀れな。拝むくらいはしてあげた。


「アンヌ! キミは――

「む、無茶言わないでね! そもそも役じゃないから!」


 不意に叩かれた肩で気付かされる。そうだ、次は私の番じゃないか。

 置かれた手を慌てて振りほどきながら、私は急いで後方、木の枝に向けて飛び移った。


「てっ、敵前逃亡か!?」

「ちがうわい! 前職の脅し使わないでよ!」

「試しでも――

「やじゃ! やじゃ! 労災前提の現場でなぞ働きとうないわ!」

  

 首をブンブン振った後、縋るように肩の闘笛を手にとる。

 下で何かギャァギャァと喚いている男共からのヤジから目をそらし、私はマウスピースに口を付けた。


 そして周りの喧噪を吹き飛ばすように、笛を吹いた。


 次の瞬間、あたり一面に情熱が吹き始めた。

 開始一秒、すぐに解った。手に取るようにっていうか、手に取っているのだから。

 笛の音は違和感を感じるほど軽やかに、そして鮮やかに、何よりも強く響いた。


 まるで違う……こんなの吹いてたのか! どうりで速いワケだよ!


 感心しながらも指と息を回し続けていると、やがて、笛の音は熱を帯び、赤に染まって、やがて私たちの周りを踊り始めた。


 ――こんなものだろうか。

 普段の笛と違うから、どこまで捏ねればいいのかがつかみづらい。


「真赤の薔薇をキミに《Canta la tua PASSIONE》!!」


 あてずっぽうでそう叫ぶと、やがて音は炎となり、炎は羽衣の様に帯をなし、そして私たちを包み込んだ。

 まるでつむじ風のように流れては、雨に濡れながら龍に挑む者達を、暖めるのだ。


「なんだ、コレ。……え、なんなんだ?、アンヌ?」

「え~~、強くなります!」


 不思議そうに両手のひらを上に向ける男には、グーサインだけを送ってやる。


(……人選ミスったか?)

(今更だろ、)

(悲観してどうする……軍人が迷うな)


「速く撃ちなよ! 有限だよソレ!」


 敵前で円陣を組んでは、コショコショと謡空属の聴覚を舐め腐るバカ達にありがたいアドバイスを送ってやる。

 苦笑いを浮かべながら各々、先ほどよりもう少し気合いを入れた攻撃を、溜息交じりにテアに向けて放っていった。


 私だけが確信していた。だから自信満々の顔でソレを見守っていた。

 やがて想像通り、数秒後、目をカッぴいらいた男達による、羨望の視線が集められた。


 先ほどとは比べものにならない轟音を放って、彼らの手から放たれたハズの豆鉄砲は、三尺の大砲となって、龍の鱗を吹き飛ばしたのだから。


「だから言ったっしょ! "強くなります" って!」


「「「お、おお~~!!」」」



 鎧やら銃やらを、ガシャガシャとならしながら手を振って賞賛を送ってくる男達。鼻を高々と上げては、木の上に立ち見栄を張る私。

 そうだよ、あがめろ。視たかい? コレこそ我が力!

 今から唄でも一曲始まりそうな、ソレこそごきげんなプリンセスを案内するアウトローのように逸るバカ共4 匹、当然、狙いは済まし放題だった。

 

[チュンっっ]


 雀が鳴いたのかと想った。

 あるいは、蜂が飛んできたのかと。


 黄色い一本の筋が、真っ直ぐと、高く軽い泣き声と共に私の横を通った。 


[ばすっ、]


 ――……ッ、ッ、


 ?、??、???、


 紙にコンパスを落とした、あの感覚。


 じわ、じわじわ、じわじわじわ。


 何度も、何度も見返す。


 唐突に起きた衝撃の正体がなんなのか、自分でもよく分からず、何度も首だけを左右させた。


 そして6回目、私は突如青ざめて、そのまま木の上、別の枝にもたれてうずくまった。


 "撃ち抜かれた"


 風穴から煙が昇る己の右翼を押さえて、倒れ伏した。


「う"ぁあ”あ”あ”あ”!!!!!」


 出た。泣き声じゃなかった。

 威嚇にも似た濁音だらけの号哭が、意思も思考も置き去りにしてノドを駆け巡った。

 意識はそのまま、飛んでいった。


 殴られて飛んだ歯のように、飛んでいってしまった。




「アンヌ――っ!」


 どこか遠く、声がする。


「アンヌ! しっかり! 目を閉じるな!」


 横から、声がする。

 ガラン君の、叫びがする。

 横から、横から?、……え、なんで横なんだ。

 悲鳴がごった返す鼓膜の中を掻き分けて耳を澄ます。

 ダメだ、真横から聞こえる。どうやら方向感覚すら貫かれてしまったらしい。


「大丈夫か!?、 アンヌ」


 背中を軽く揺すられて。

 そこでようやく気付いた。

 彼はもう付いていたんだ。

 うずくまる私のもとまで、あの一瞬で木をよじ登ってきていた。来てくれていたんだ。


「……じゃない、今の?」


 意味の無い返答。思考も文もまとまらないから。"苦しい" がずっと暴れてる。彼はいくら行っても泣き叫ぶだけで、私に筆を貸してくれないんだ。


 震える視界で探す。

 居るはずの龍を探す。


 居ない、どこにも居ない。


 ただソイツの叫び声と、銃声が、どこか遠くで聞こえてきた。

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S.L. ちぐはぐのそよかぜ ねんねゆきよ @NENE_tenpura

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