第20話 女神の申し子

 その神社には、芸能の女神が祀られている。

 境内に存在する立派な舞殿には、一日に何度も巫子が上がり、妍を競うがごとくに舞を奉納するのである。


 純白の作務衣を纏った踊り手が、舞殿に姿を現した刹那、見物客はどよめき、黄色い声すら上げたのである。

 まずは見物客を清めるため、水に浸した榊を手に、咲久弥は、前に進み出る。

 彼が、小刻みにステップを踏みつつ、鋭く腰を捻り、大きく腕を振るたびに、人々の波もまたうねるのだった。

 あるいは榊の雫を浴びるため、またあるいは、咲久弥の美貌を拝むために……


 咲久弥の純白の作務衣には、数多の金色の鈴玉が縫いつけられている。また、その四肢にも、鈴が鈴生りになった腕輪や足輪が幾重にも填められているため、舞殿には、涼やかな音色が絶えないのである。

 笛や太鼓や鉦の伴奏も、斬新なアップテンポで、咲久弥のキレッキレのムーブを際立たせるのだ。

 今も楽人の列に加わっている素晴が、「アゲアゲDJ風」を目指して、工夫に工夫を重ねた伴奏なのだった。


 やがて、清めの儀式を終えて、榊を手放した咲久弥は、一層自由に咲き誇った。

 舞殿の床に両膝をついて、滑走しながら弓なりに反り返り、辿り着いた先で、長い脚を蹴り上げては、空中で脚を組んだりした。

 一転して、優雅に爪先立ちしたかと思えば、水面みなもに浮かぶほど軽やかな身のこなしで、くるくると回転しながら、時に高々と跳躍し、時に恭しく跪いて祈りを捧げたのである。

 やがて、舞殿の中央で、後方宙返りして、腹で着地したかと思うと、そのまま笑顔と両手を上げて反り返り、両脚はもっと高々と上げて、縁起の良いしゃちほこに似せたポーズを決めたのだった。

 そして、最大の見せ場が訪れた。

 咲久弥は、全身を揺すって、見物客を煽った後、両手と頭を床につけて、逆立ちして回転しはじめたのである。

 やがて、頭だけで全身を支えて、徐々に回転速度を上げながら伸び上がってゆき、ついに、舞殿の天井からぶら下げられた、金色の鈴玉が千生りなった大玉を、すらりと長い脚で盛大に蹴り鳴らしたのである。

 見物客たちは、まさに万雷のごとく拍手喝采したのだった……


 白い霧が晴れ渡った途端に、鳥の囀りが聞こえた。

 だからそこは、異世界なのだとわかった。

 おそらく咲久弥と素晴が生まれた世界であり、咲久弥のシミュレーションさながらに、古風な景色が広がっていた。

 緑豊かではあるが、緑に呑まれつつある廃墟とは異なり、人々の活気に満ちていた。

 ところが、殺気立った村人たちが、二人を取り囲んだのである。

 咲久弥は角を、素晴は尻尾を、それぞれにちゃんと仕舞い込んで、人の姿をしていたのだが、村人たちにとっては、奇っ怪な他所者であることに変わりなかったらしい。

 素晴がうっかり全裸だったことも、特筆すべき敗因かもしれなかった。


 咲久弥は、達者な踊りを披露した。

 すると、救いの手が差し伸べられた。

 それは、芸能の女神を祀る社の神主だった。

 なんでも、一番人気の踊り手であった巫女が、遠方の長者に請われて嫁いでしまったため、ちょうど後任を探していたところだったという。

 こうして、二人の少年たちは、神社に住み込み、定住生活にありつくことになった。

 咲久弥は、毎日、舞殿に昇る。その人気は鰻登りだった。

 神主は、とことん商売気に満ち溢れた人物であり、近隣の白拍子を集めて、咲久弥との踊り比べを行い、物見遊山の参拝客を増やそうなどと言い出したほどだった。

 素晴は素晴で、楽人として伴奏に工夫を凝らすだけではなく、村の農作業を手伝うようになったのである。


「いやー、参った参った! 今日は、おはなちゃんに、我が家の婿になってくださいまし!——なーんて、せがまれちゃったよ!」

 ある日の夕刻、村の農家の手伝いを終えて、神社に戻って来た素晴は、白い歯を見せて頭を掻いたのである。

 お花は、富農の一人娘で、大変な器量良しなのだ。

 気は優しくて力持ちである素晴は、今や、村人たち——村娘たちにも、大層人気を博していた。

「ふうん、良かったね」

 咲久弥は、気のない返事をした。

「良かねーよ! 俺、ちゃーんと断ったんだぜ! 俺は、咲久弥の恋人だから、一生お婿になんて行けない体でございますーって……そしたら、お花ちゃんてば、頬を赤らめちゃってさ、『まあ! お相手があの咲久弥さんなのでしたら、わたくし、きっと一生応援いたしますわ』だってさ! うん、やっぱり、良かった、良かった!」

 咲久弥は、わなわなと震えた。自分がお花よりも赤くなっているだろうという自信ならあった。

「もう! 素晴なんて知らない!」

 くるりと背を向けずにはいられなかった。素晴がひとっ飛びに抱き締めに来ることくらいは、咲久弥にもわかっていた。

「なあ、咲久弥ぁ……俺が、こっちの世界では、大人しく尻尾を引っ込めたり、着物を着たりできてるのって、なんでだと思う? 半妖だってバレたくないとかじゃなくってさ、咲久弥がそばにいてくれて、いつだって触れられるからなんだよ。咲久弥とこうして恋してさえいられたら、俺は、尻尾を出しっぱなしになんかしなくたって、ちゃーんと心が落ち着くんだ……」

 素晴は、咲久弥を背後から抱き締めて、その口を大きな手で塞いだかと思うと、もう一方の手を、作務衣の襟口から挿し込んで、つついたり、くすぐったり、捏ね回したりと、悪戯の限りを尽くしたのである。

 咲久弥の作務衣の鈴が、ちりり、またちりりと、密やかに音を立てた。


「んっ……ふっ……」

 その夜、白い裸体を戦慄かせながら、咲久弥は、声を漏らしはじめていた。

 神主から、二人で使うようにと与えられた私室で、咲久弥と素晴は、夜毎夢中になって体を重ねるのである。

 今夜は、素晴が仰向けとなり、咲久弥は、その上にあべこべに覆い被さるように、四つん這いとなっていた。

 咲久弥は、素晴の陽物を口に含み、素晴は、咲久弥の蕾を優しくほぐしていた。

 やがて、肉厚で弾力に満ち溢れた素晴の舌が、咲久弥の蕾をしっとりと濡らしながら出入りしはじめると、咲久弥は、声を漏らすばかりか、顎を上げて身悶えせずにはいられなくなった。

 陽物と、それを取りこぼした唇との間に、唾液の糸がきらきらと張り詰める。

「ああっ……私だけがよくしてもらうわけにはぁ……」

 そんな言葉も、すっかり火照って譫言じみていた。

 快感の火花は、もはや蕾の内外だけではなく、白い裸体のそこかしこで閃き、色艶の源となっていた。

 咲久弥は、素晴という恋人を得てからというもの、日毎夜毎に感じやすくなるばかりなのだ。

「いいんだ。咲久弥のこと、今すぐ欲しい」

 素晴の声も眼差しも、恋人のことをまっすぐに純粋に狙い澄ましていた。

 おかげで、これからたっぷりと火をおこすであろう咲久弥の粘膜が、熱くひりつきながらも、ふわりと浮遊したかのようだった。

 咲久弥が、惚けたように頷くと、その頬に当たった素晴の陽物は、既に十二分に熱く硬くどくどくと脈打っていた。

 咲久弥がしっとりと頬ずりすると、素晴は大きな唸り声を上げたのだった。


「あぁっ……はぁっ……」

 今宵の咲久弥は、うつ伏せとなって、白く小ぶりな尻を、捧げ物の果実のごとく綺麗に掲げた。

 素晴は、貪るように覆い被さり、体を繋げたのである。

 素晴の陽物に力強く掻き混ぜられると、咲久弥の快感は、血よりも熱くて太い流れとなり、さらには、極彩色の輪となって二人の体を循環するかのようだった。

「ひぅ!」

 耳朶を甘噛みされたうえに舌先で転がされて、ついつい逃げを打った咲久弥は、鏡の中の自分と目が合った。

 部屋に射し込む月明かりが、鏡台の円鏡を照らして、咲久弥の痴態を映し出していた。

 翡翠色の眼は、とろりと潤み、色艶を増した唇は、閉じることを忘れて喘ぐばかりだ。

「やん……いやらしい顔……」

 咲久弥の右手は、素晴の頭を探し求めた。

「素晴のっ……いやらしい顔もっ……見せてぇ……」

 恋人の手に導かれるまま、素晴の顔もまた、鏡の中に収まった。

 それは、どこからどう見ても、貪欲な狼の顔だった。

「ぅえっ!?」

 咲久弥は、変な声が出た。

「だってー、今夜は、満月だからぁ……」

 素晴は、変身せずにはいられなかったのだと、甘えるように言い訳した。

「ぅぐ!……ひっ、ひあっ、くひんっ!」

 咲久弥が急激に乱れたのは、素晴が、まぐわいの真っ只中で、大柄な二足歩行の人狼へと変身したせいである。

 おかげで、その腰使いが凄みを増したばかりか、咲久弥を貫く陽物そのものがより一層太くなり、陽物の根元に大きくごつごつとした瘤まで生じたのである。

 ただでさえ、咲久弥の第二の心臓のごとく、強靭な生命力が漲るそれなのに……

 陽物の瘤まで丸呑みにさせられた状態で、咲久弥の内奥は、極限まできつく引き絞られたのである。

 これでは、陽物が全ての欲を解き放って鎮まらぬ限り、決して抜け落ちることはないだろう。

 その時が訪れるまで果てしなく、二人はヌチャヌチャ、ズリュズリュ、ビクンビクンと絡み合い食らい合うことしかできないのだろう……

「咲久弥ぁ、咲久弥ぁ……」

 素晴は、甘く掠れた声と、抑えの効かぬ獰猛な腰使いで、涙ながらに咲き乱れる恋人を追い詰めたのだった……


「間違いありません、咲久弥です。五年ほど前まで、うちの一座にいた、踊り手の……」

 部屋の外で、少女が囁いた。そこには、二つの人影があった。

「ただ、五年ばかり経つというのに……姿を消した当時と、見目が変わっていません」

「姿を消したとな? それは、どういった経緯いきさつじゃ?」

 少女と言葉を交わす、もう一人の女は、随分と威厳に満ちた物言いである。

「あの……聞いた話ですけど……一座の荷運びを務めていた男に……死ぬほど手籠めにされた挙句に……悪党に売り飛ばされてしまったのだとか……」

 まだ十を超えたばかりの年頃の少女は、口籠もりながらも報告した。知っている限りのことは全て白状せねば、女に食われてしまうだろうから。

「なるほどな。その後に、妾の夫候補と出会うて、誑かしたというわけか……ええい、手籠めなぞ生ぬるいわ! いつか、そのはらわたを引きずり出して食ろうてやろうぞ、半妖の風鬼め!」

 女は、姿で、手にした扇子をへし折ったのだった。


「それにしても、素晴も素晴じゃ! 妾が与えし、帰還の勾玉を、たったの五年で使いこなしたかと思えば、よりによって、あの淫売を連れて舞い戻ってくるとは……」

 あの瑠璃色の勾玉は、女が素晴に持たせてやった、妖術の術具だった。若輩の夫候補を異世界へと追放するにあたり、半妖の人狼であっても、肌身離さず身につけて、三十年ほど妖力を注ぎ続けたなら、帰還も叶うであろうと言い含めて……

 女にしてみれば、せめてもの温情であったのに、恩を仇で返されたわけである。

 縁談なんて辞退するので、咲久弥の命だけは助けてほしいと乞われた屈辱が、こうしている今も、ありありと思い出されるのだった。

 その当時の記憶が二人にないことや、咲久弥の妖力がぐんぐんと高まって勾玉を発動させたことなど、女が知る由もない……


 やがて、素晴は、夜具の上に胡座をかくと、咲久弥をぐるりと回して、膝に乗せた。

 素晴は獣人のままであり、二人の体は繋がったままである。

 咲久弥は、壊れた人形さながらに、ぐったりとしていた。一際甲高い悲鳴を連発して大きく仰け反った後、色香の滴る表情のまま、ひどくぐったりとしてしまったのだ。

 素晴は、そんな恋人の頬を、ペロペロと舐めた。

 そして、その胸や、腋や、臍や、陽物を優しくくすぐるうち、咲久弥は、次第に息を吹き返したのである。

「ぅう……ふっ……」

 咲久弥が小さいながらも声を発してくれたのが嬉しくて、人狼は、紫がかった暗紅色の舌で、彼の艶めかしい唇を混ぜっ返した。

 すると咲久弥は、水か乳でも求めるように、その肉厚の舌に吸いついて、微かに笑みを浮かべたのである。

 月のように花のように美しい笑みだった。

 素晴は、決して手放したくなくて、恋人の白い裸体を、漆黒の毛むくじゃらの胸に搔き抱いたのである。

「あん! やん!」

 咲久弥は、新しい刺激に鳴いた。もしも、人狼の剛毛で、ことさら弱い胸元を擦り立てられたりしたら、双つのそれが、一層ぷっくりと色濃く花開いて、いやらしさと感じやすさをいや増してしまうに違いない。

 だからこそ……咲久弥は、自分から素晴に頬ずりして、胸も擦りつけたのだった。

 二人でなら、どこまでもいやらしく堕ちてしまいたい……

 そして、素晴にしっかりと跨ると、黒く逞しい腕に力添えしてもらいながら、人狼の強靭な陽物を乗りこなすように、涙ながらに腰を振ったのである。

 そうしていると、形を持たないはずの、魂と呼ばれるものまでが、二人の間をしっとりとしっくりと循環するように感じられるのだった。

 二人は、これ以上はないほど近く熱く深々と触れ合っていながら、狼の遠吠えのごとくに盛んに鳴き交わしたのである。


「流麗様……これから、あの二人を殺めてしまわれるのですか?」

 少女は、掌に爪を立てながら、女に尋ねた。

 流麗は、険しい表情のままで、少年たちのまぐわいを眺めているのだ。

「いいや、今すぐ殺すつもりはないぞえ。妾は、二人して極楽におる時にとどめを刺してやるほど、慈悲深くはないゆえ……彼奴きゃつらには、たっぷりと苦しんでもらわねばならぬ。そなたにも働いてもらうぞ、のの!」

「はい……」

 流麗は、鋭い犬歯を覗かせて笑い、ののは、木偶でくのごとくに頷いた。

 双子の姉を食らい、その姿を奪った女に逆らう術など、ののは持ち合わせていなかった。

 彼女たちは、近いうちに、「踊り比べを望む白拍子」として、彼らと対面することになるだろう。

 人狼の女王は、今夜のところは引き上げてやろうと、歯軋りしながらも背を向けた。

 殺しても死ななそうな生命力に満ち溢れた、少年たちの遠吠えが、満月に反響するがごとくに、夜の帳を激しく揺らし続けたのである。

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風と牙とディストピア 如月姫蝶 @k-kiss

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