流れ星

木山喬鳥

【短編】 流れ星

 

 とある書物によれば、昔の中国では流れ星に〝天狗〟という文字を当てていたみたいですね。


 天上をピューと一瞬で横切るようすが、野原を一目散いちもくさんに駆けて行くわんこみたいに見えたのでしょうか。

 一説には天を駆ける犬だから〝てんいぬ〟で〝天狗〟と名付けていたのだとか。


 流れ星は秒速約十から七十二キロメートルで地表に向って飛び、光り始めるのは上空百五十から百キロメートルくらいの高さからです。

 ほとんどは、地上から七十から五十キロメートルの高さで燃えつきてしまいます。そのときに、流れ星が光っている時間は約一秒。

 一秒の間に願い事を三回も言うのは、かなり難しそうですよね。


 さてさて。今夜はここ富山でも流れ星がたくさん見られるそうです。

 夕方から空の上で、たくさんのわんこが駆け回るみたいですね。

〝百一匹わんちゃん大行進〟という感じににぎやかな夜空が見られるそうですよ。


 では、ここで、クイズですッ。

 これからリスナーのみな様にお送りする曲には、ある共通点があるのですが……それは、いったい何でしょうか?

 わかったという方はメールで……ズ……ガッ。



 パーソナリティの声が消えた。

 車が入り組んだ山間部にさしかかり〝FMラジオ越中えっちゅう〟の電波が入らなくなったんだ。

 車内にはエンジンの音だけが低く鳴っている。

 走る車の周りは、なにもない。

 道路と雪の積もった野原と林とが続くだけだ。

 麓の自宅から山中の職場に通ううちに、いつしかカーラジオの〝FMラジオ越中〟の音が消えたら、それが〝もう後、五分で仕事場に着く〟という目安になっていた。


 私の職場は黒里峡谷くろさときょうこくの黒里川の東の隣、尾川おがわという名の川の上流を十キロほどさかのぼったったところにある尾川温泉おがわおんせんの、そのまた一番奥まった場所にある「津田屋山荘つたやさんそう」という名前の温泉旅館だ。

 私は、ここの共同経営者をしている。


 共同経営者というと聞こえは良いが、実際の仕事はいわゆる〝湯守ゆもり〟だ。温泉施設の修理と保全を担当する設備屋だ。

 旅館自体は冬になると閉鎖される。

 だが、私の仕事は休みになってくれない。

 温泉設備は定期的に手入れをしなければ、すぐに支障がでる。放置してはおけないからだ。


 今日も、源泉から宿まで伸びる古い引湯管を取り替えるために職場へ向っている。

「津田屋山荘」は建て替えてからの年数も、すでに四十年を越えているために不具合も多い。

 もっとも、老朽化ろうきゅうかで具合の悪くなっている度合いなら、私の方が深刻だろう。


 ここ数年は、血圧が高いままだ。

 ときおり、立ちくらみも起こる。

 ひどい時には、意識が朦朧もうろうとして視界がふさがることすらある。

 こんな状態は自分でも危険だとは思う。

 しかし、かかりつけの医者には現状を伝えていない。

 どうにも生活を変えるのは、気がすすまなかったんだ。

 現在のところは以前処方してもらった薬で、症状をやり過ごしている。


 さしあたり、立ち働くことに不自由はない。

 本当のところは、自分の身体などどうでもいいんだろう。

 人生の最期について思うことは死にぎわの痛みが、ひどいものじゃなければ良いとか、それくらいだ。

 人はいつか死ぬものだ。自分の身体なんてほどほどにいたわるくらいで良いだろう。


 自分の自由のきかなくなった後の仕事の始末や病院の手続きの面倒は成年後見人制度に丸投げしている。

 たぶんしばらく会ってもいない子どもには、後始末の手間をかけずに済むだろう。


 私に暮らしをともにする家族はいない。

 友人と呼べるほどの人間もいない。

 年齢を重ねるうちに世の中に関わりのある者は、いなくなった。

 こんな境遇になったいまも、寂しさより気軽さが気に入っているのだから、自分はそうとう偏屈へんくつな性分なのだろう。


 この十年間を思い返しても私と一緒にいたのは、モグという犬だけだ。

 モグは昔────そう十年程、旅館の裏の作業場に迷いこんだ野良犬だった。


 コイツは、人間に警戒心がなかった。むしろ人懐ひとなつっこかったんだ。

 初めて会ったときも、モグの方から私にトコトコと寄ってきたものだ。

 どうやら元は飼い犬だったらしい。

 別荘地では、夏が終わると飼っていた犬が捨てられることもあると聞く。珍しくもない話だ。コイツもそのたぐいの犬だったのだろう。


 類いといえば。犬の種類にうとい私は、ブルドッグとダックスフント以外の犬は見ても、どれがなんの種類だか、まったくわからない。

 そんなありさまなので、迷い犬だったモグの犬種も最期まで知らなかった。

 薄茶色の中型犬────それくらい適当な姿しか記憶にもないのだ。

 この調子でアイツにつけた名前の由来も、やはり適当だ。

 作業場にしている高床の納屋の床下をいつのまにか棲家にして、たいていの時間は、そこに潜っていたから〝モグ〟と呼んだ。

 それほどコイツに関心がなかったんだ。

 私は特に犬が好きでも嫌いでもなかった。


 関わりが薄くても山中の作業場には私とモグしかいない。

 だから私が働いているとアイツは、私の周りによく顔をだしていた。

 別にこちらは先方に用もない。寄ってきても、構わずに放っておいた。

 私の職場は辺りに民家もない山荘だ。

 残念なことに、訪れる客もそうはいない。私の傍でただ寝ているだけなら、わざわざ追い立てる理由もない。


 そんな、共に過ごす時間が経つにつれて、だんだんとお互いが一緒にいることにも慣れた。

 やがてモグは、私がまきを割っていると、き木のつもりなのか自分でも小枝をくわえてきて薪束の脇に置きだした。

 そうして仕事を手伝ったと認めて欲しいのか、嬉しそうに私を見上げている。

 視線がうとましくなった私は『上出来だな』とモグの頭をでる。


 そうしてもう片方の手でポケットを探した。

 酒のツマミにしている飴玉大の個包装のチーズがまだ残っていた。

 包みをむいて中身をモグの鼻先に置く────するとすかさずモグが食べる。

 どうやら、モグはチーズが好物らしかった。

 それからというもの、仕事の合間に気が向けばモグに余った食材を与えることが習慣になっていた。


 犬に与えてはいけないとされる食材は調べて除いていたが、ほとんど適当だ。きっと愛犬家なら眉をひそめる行いだったろう。

 モグは出されたものをなんでも美味そうに食べた。

 与える食材を用意しながら他に話す相手がいないから、話しかけたりもした。


 そうしているうちに、いつの間にか十年余りが経っていた。

 今年の秋の終わりには、モグが息を引きとった。

 獣医に連れては行ったが、そのときにはもうなにもしてやれることはなかった。

 獣医は老衰と言っていた。

 人も、犬も、いつかは逝くものだ。しかたがないことだ。

 十年の間、ともに過ごした犬を亡くしても、そのていどの感慨しか湧かない自分にあきれもした。


 もしかしたら自分はこの淡々とした山荘の暮らしに飽きて、これから続くひとりだけの暮らしに向う気力がとぼしくなってしまったのかもしれない。

 モグの次には自分の番が来る。おそらくは、そんな心の準備をしはじめていたのだろう。


 モグがいなくなっても毎日の暮らしは続く。

 他にすることもないので、体が動く限りは働く。

 だから今日も、ご苦労なことに雪の中をせっせと仕事に向っているわけだ。


 つらつら考えにかまけていると、突然車体が震えた。

 タイヤが木の枝でも踏んだらしい。

 周囲を見渡すと、雪に覆われた前方のようすが変だ。

 雪崩の跡だろうか?

 いくつか木が倒れて道を塞いでいた。


 倒木の大きさは、動かせないほどではなさそうだ。

 そう思い、車から降りた。

 やってみると、思った通り倒木は動かせた。苦労はしたが、通行できるすき間は空けた。

 体についた雪を払い、車に戻ろうとして、足がもつれた。



 車の中と外との温度差か、それとも年甲斐としがいもなく重いものを持ち上げたからだろうか。

 立ち眩みが続き、意識がぼやけた。

〝マズい〟そう意識したときには、体勢を崩していた。ほぼ同時に斜面を滑り落ちていた。



 幸いすぐに雪溜まりに乗り上げ、滑落かつらくは止まった。

 しかし、これはダメだな。

 体が痺れている。

 手足の感覚も鈍い。

 そして厄介なことに、目が見えない。


 寒さで強張こわばってはいるが、いまのうちにってでも車に、戻ろうと思う。

 だが、自分が落ちた場所がわからない。

 車のある方向の見当さえつかなかった。

 耳鳴りがひどく、エンジン音も聞き取れない。聴こえるのは、頭痛とともに鳴るズクズクという音だけだ。


 この状態でうかつに動けば、もっと下まで転がり落ちるだろう。

 いや、うかつもなにも、いまの私は動けないようだ。

 どうにも手足が動かない。叫ぶ元気もない。

 叫んだところで、こんな山奥に、しかも冬の降雪した斜面に誰がいるだろうか? 

 残された希望を求めて上着を探るが……どうやら携帯電話は車内にあるらしい。


 状況は最悪だった。

 助かる手立ては浮かばない。まずもって、いまも意識がハッキリとしない。

 その間にも外気に冷やされて体温は、ゆっくり下がって行く。

 このままでは、もう十五分もしないうちに、気を失うだろう。


 ────多分。これが潮時なのだ。今日が自分の終わりの日というだけのことだ。

 そういえば、ラジオのパーソナリティが話していたな。

 今日は、ずっと流れ星が降り続くらしい。

 ものの話では、誰かの命が消える時に、星は流れるという。

 今夜、たくさんの星が流れるのならば、そこには私の命の分も入っているのだろう────

 そう思うとなんだか、おかしくもあった。



 なす術もなく雪の斜面にうずくまっていると、いつからだろうか。妙なことに気がついた。

 ボンヤリと頭の中に聴こえ続ける耳鳴りに混じって、遠くから音が聞こえている。

 なんだろう? なんの音だ。どこか懐かしい気分になる。


 犬の鳴き声だ。

 耳に届くと同時に足が前に出る。その声へ向って、足が跳ねる。

 アイツだ。モグだ。まちがいない。


「わかった。わかった。そう年寄りを急かすなよ」


 自然に足が向う。呼ばれたら行く。

 長年、そうやっていたのだ、体が憶えている。

 踏み出す毎に、今の状況も忘れていた。

 いつもそうしていたように、ただモグの呼んでいる方へ行く。早く近くに行ってやろうと、歩みを進める。

 その声へ、足を前へ。足を前に、声の方へ。

 気がつけば。なにかにぶつかり、よろけて置いた手がガラスの上を滑る。


「ガラス……」


 我にかえって手探りでドアを開け、シートに身を沈めた。


「……助かったのか」


 体を横たえているうちに。やがて目も見えるようになって、どうにか手足の強張りがほぐれてきた。

 そしてなにが起こったか、わかった。

 ただ。胸が熱くなった。


「モグが、助けてくれた」


 車内のヒーターで体を温めながら窓の外を見ていると、何故だか車の脇のどこかに小枝が置いてあるような気がした。

 なのにいま小さなチーズを持っていないことが後ろめたいような気がして、そんな自分に、また苦笑した。


 とはいえ、今は感慨にひたっている場合でもない。

 車内に置いていた携帯からふもとの消防署と、かかりつけの病院に電話をかけた。

 なぜか、この場所では受信できないはずのラジオからはずっとパーソナリティの声が聞こえている。

 通話にさし障りない程度にボリュームを下げて、私は主治医に入院の相談をはじめた。



 ……ピィー……ガッ……今日、お送りした曲は……BLACK SL……の……lakCold、続いて……st18で……of Lostそして最後はMonacaのMock ……でした。

 そして……の曲の共通点は、わかりまし……か?

 そうです。

〝冒頭にわんこの鳴き声が入っている曲〟を集めて、今回の特集を組んでみました。

 どうですみなさん、分かりましたか? 


 さて。流れ星がたくさん空を流れる今宵。

 なんでも流れ星が流れた後の空には〝電離層でんりそう〟ができるんだそうです。

 これがFM電波を反射させて、普通は遠過ぎて電波が届かない場所にもFM放送を、短い時間だけ届けてくれることもあるそうですよ。

 空を駆けたわんこのお陰で、いつもは聴こえない場所でも、この放送の私の声や音楽が聴こえているかも知れませんね。

 はじめまして、こちらはFMラジオ越中です。


 流れ星が消える前に願い事を三回唱えられたら、その願いは叶うといいます。

 今夜の空のわんこは皆さんの、どんな願いを叶えてくれたのでしょうね。






 ※作中に登場した地名、放送局名、アーティスト名と曲名は実在のものではありません。

 類似の名称の事物は実在しますが、本作との関連はありません。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

流れ星 木山喬鳥 @0kiyama

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画