この祠って、

沈丁花

第1話

 自分が歩く度に、自分の影が合わせて足元で揺れる。当然のことだが、今はこれが不快で重くて仕方なかった。


裕也ゆうやぁ、罰ゲームな! 祠の写真撮ってこいよ!」


 クラスメイトたちの笑い声がまだ頭に響く。

 くだらないゲーム、誰が一番クラスメイトたちを笑わせることが出来るか。これでドベになったのが自分だ。田舎で人数が少ない分、ノリが悪いとカースト上位の章光あきみつのターゲットにされる。

 この村は保育園、小学校、中学校はそれぞれひとつしかない。その保育園から一緒だ。根が悪い奴ではないと知ってはいるものの、中学生になってから章光は警察のお世話になることも増えたと聞く。村長の孫というプレッシャーがあるのかもしれないが、少なくとも小学生のときはこんなことをする奴じゃなかった。

「おれは関係ないだろ……」

 他人に無理に合わせる明るいノリが嫌いだ。なんで付き合わされなきゃいけない。

 しかしそれを嫌だと言えずに、罰ゲームとして課せられた中学校の裏の小さな山にある祠の写真を撮るために歩いている自分も嫌だった。早く高校生になって市街地に行きたい。

 10月だというのに、昼間は気温が30℃に近くまだ暑い。日本の熱帯化がどうとか、という話をネットニュースで見た気がする。

 山に入れば少しは涼しいだろう。写真を撮ればいいだけだし。LINEで送ればみんなも、なにより章光が満足するはずだ。

 なにか謂れを聞いた覚えもない昔からあるだけの祠だけど、自分のフォルダにあるのは何となく嫌だから、送ったらとっとと削除しよう。



 浮いてくる汗を拭いながら山道へ入ると、空気が一気に冷えた。陽の光が木々の間から漏れ、風に乗って揺れて木の葉ずれが耳朶を打ち、昨夜降った雨のせいで濡れた緑と土の匂いが鼻腔を抜けていく。

 ここを生活道路として使う人は、ほぼいない。たまに役所の支部の人間がいたり、手入れのために業者が入るのを見るくらいだ。あとは、部活で基礎体力を培うおれたちみたいな中学生。

 落ち葉で滑らないように木の影を追い掛けながら歩いていくと、目の前に小さな背中を見つけた。

「あれ、ひろちゃん?」

 声をあげると、その背中は歩みを止めてこちらを振り向いた。

「ゆうやにいちゃん!」

 少女の困ったように下がった眉と目が、自分を見つけて嬉しそうに開かれる。この村に唯一ある小学校の生徒、ひろこだった。人口より野生の鹿の数の方が多いような山村だ、どこの誰かみんな頭に入っている。歳の近い子どもなら尚更だった。

「ひろちゃん、なにしてんの、こんなところで」

「れんくんがね、罰ゲームで、祠の写真撮ってこいって……」

 なんだそれ。

 ひろこがキッズスマホをギュッと抱える様子を見て、口の中で呟いた。

「ゆうやにいちゃんは?」

「恥ずかしい話だけど、同じ。章光がさ」

「えー!」

 ひろこは逆に少し嬉しそうに笑う。笑ってもひろこの眉と目は困ったように下がったままだ。顎で切りそろえられた黒髪が、ひろこが笑う度にサラサラと揺れる。優しい顔だと思う。

「一緒に行こう。早く終わらせて、みんなに送って、写真は消そう」

「消しちゃうの?」

「うーん、なんか嫌じゃん」

「ゆうやにいちゃん、こわがりー!」

「うるっさい」

 思わぬ連れができ、気持ちが少し楽になる。理由が罰ゲームというのも、考えることや精神年齢は中学生も小学生も似たようなものということの証左のような気がした。自然と笑えてくる。



 ひろこの手を引き、彼女のなんでもない話などを聴きながら、一応舗装はしましたという役所の声が聞こえそうな狭い山道を進んでいくと、目的の祠が見えた。山道を挟んだ上も下も、鬱蒼とした木々と背の低い名前も知らない雑草だらけの斜面だ。その上手に、その祠はじっと座っている。

 木でできた小さな祠。落ち葉や土で汚れて薄暗い山の中で更に黒く見える。2人で中を覗き込んで見ても、かろうじて人の手が入っているらしい大きめの石が祀られているだけだ。濡れて朽ちた木の匂いがする。

「ねぇ、ゆうやにいちゃん。ききたいの」

 写真のためスマホの準備をしていると、ひろこがふと見上げてくる。

「なんだよ、ひろちゃん」

「この祠って、なぁに?」

 なぁに? 何? 祀ってある神様とかのこと? いつからあるとか?

「いや、ごめん、分かんない。おれ何も聞いたことないから」

 ひろこは「そっか」と呟くと「それじゃあ」とまた息を吸う。

「この祠って、壊したらどうなるの?」

「えっ」

 思わぬ言葉に声が漏れた。

 そりゃあ、もう人が詣でている様子はないが、さすがに壊すという発想はなかった。

「分かんないけど……良くはないんじゃない?」

「どうして?」

「どうしてって、だって、一応は祠だし」

「誰も来てないのに? ゆうやにいちゃんだって、部活で山を走り込みする時に前を通るだけでしょ?」

「それはそうだけど……」

 ひろこがこんなことを言い出すとは思わなかった。おとなしい子だ。分からないことをよく聞いてくる子だ。疑問を持つということは、頭がいい子なんだと思う。

 自分もきちんと信仰がある訳じゃないし、法要だとかの手順も分からない。それでも、こういうものを破壊する気にはならない。たまに寺社仏閣への破壊行為が社会問題としてニュースになるが、犯人たちの気持ちはまったく分からないし、そもそも破壊という行為になんとなく後ろめたい気持ちがある。

「早く、写真撮って帰ろう」

 なおも見つめてくるひろこに言う。

「ね、早く、帰ろう」

 今度は自分に言った。なんとなく二の腕が粟立つ。

 ひろこは少し黙ったが、ちいさく「分かった」と言うとキッズスマホのカメラアプリをたちあげて祠から少し離れてアングルを探る。

 おれは全体とか正面とか、そんなのいいや。このまま斜め前から1枚だけ。スマホからカシャッと無機質な音が鳴り、画面に黒い祠が写し出された。


 その瞬間、後ろから「きゃっ」と叫び声が聞こえた。

 振り向くと、ひろこが山道から斜面に落ちる瞬間だった。

「ひろちゃん!」

 スローモーションに見えた。スマホを投げ捨てて狭い山道を走り、ひろこの手首を掴んで思い切り自分側に引く。可能な限り体重を掛けたせいで体勢を崩し、したたかに尻と背中、そして頭を打ち付けた。

 、と何かが壊れたような音が聞こえる。

「いってぇ……」

 ひろこの体重を腹に感じながら呻く。

「ゆうやにいちゃん、大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫。ひろちゃんは? 思いっきり引っ張ったから、肩とか」

「あたしは大丈夫。ごめんなさい、足がすべったの」

 ひろこはそう言うと、倒れ込んだ自分の上から困ったような顔を覗かせる。そしてその目をスイと上へやると、再び「きゃっ」と叫んだ。

 痛む頭を押さえながら振り向く。祠の扉が割れていた。ぶつけた頭、倒れ込んだ時に聞いた音。

 しまった。

 わざとではない。しかし、壊したのはおれだ。

「やっべ……これ、先生に言った方が」

 いいのかな、と続けようとして、気が付いた。

 ひろこが笑っている。困り眉と、下がった目尻のまま、切りそろえられた髪を揺らしながらきゃっきゃと笑っている。

「ひろちゃん」

 声を掛ける。なぜだろう、寒い。夕方になったからではない。それは確信できる。しかし、

「ひ、ろ、ちゃん……?」

 


「こわれた。こわれた。こわれた。こわれた。こわれた」

 ひろこは笑う。

「こわした、こわした、こわした、ゆうやにいちゃんが祠をこわした」

 ひろこは笑う。

「これででられる」

 腹の上にいる少女は笑い続ける。困ったような顔のまま、口だけは耳まで裂けんばかりに吊り上げて。


「おまえ……なんだよ……」

 全身の血が引くと同時に、自分の中のひろこの記憶が一気に朧気になる。

 小学校何年生だ? 苗字は? 住所は? 名前の字は? ランドセルの色は? 親の顔、名前は?

 そもそもおれは、本当にひろこに会ったことがあったか? 部活の話なんて、いつ。

「いつも見てたよ、ゆうやにいちゃん。ここを走っていくところ」

 ひろこは笑う。

「質問に答えてくれてありがとう。それを壊してくれてありがとう。ききたいことはね、他にもたくさんあるんだけど」

ーでも、ゆうやにいちゃんひとりじゃ足らない。

 言うなり、ひろこの小さな両手が首に伸びてきた。振りほどこうともがくが、小学校女子とは思えない力だった。腹にかかる圧もどんどん強くなる。内臓が圧搾されるように絞られ、激しい痛みと吐き気を催すが首もひろこに絞められたまま動くこともできない。喉からは唸り声ともつかない音が漏れる。

「にんげんって、せめて苦しまずに、が、ご褒美なんでしょ。昔から何度も聞いたよ。お礼だから、ね。ゆうやにいちゃん」

 経験したことがない激痛と共に全身が痙攣するのが分かる。温かい液体と生臭い鉄の匂いに包まれて意識が薄れていく中、少女の笑い声が遠くに聞こえた。




 章光のスマホが震えた。

「お、写真きた。裕也のやつ、ビビりのくせにやったじゃん」

 マジで、と他のクラスメイトも集まり、みなで送られてきた写真を覗き込む。すると1人が声をあげる。

「ねぇ待って。小学生写ってる」

「裕也ビビりすぎでしょ! ひとりで行けなかったの?」

「これどこの子だっけ」

 写真には斜め前から撮られた祠と共に、困ったような笑顔の少女が写りこんでいた。

 章光は笑っていたが、ふと違和感を覚える。

(祠って、扉んとこ壊れてたっけ)

 古い祠だ。別に壊れていてもおかしくはない。なにかがぶつかったように見える。野生動物か、作業の軽トラか。いや、軽トラならもっと全体的に壊れるだろう。

「まぁいいや」

 元々嫌そうな顔をしていたのに無理矢理付き合わせたのだ。裕也が戻ってきたら、パンでも奢ってやろう。

 章光は教室から、暗くなりつつある裏山を眺めた。



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