看板が蔓延る世界

甘衣君彩@小説家志望

看板が蔓延る世界

 この世界には看板が蔓延っている。

 蔓延る、という言葉をこの文脈に使うのは、おかしく思えるかもしれない。だが、俺は間違っていないと感じている。青い空、白い雲、日光に照らされるアスファルト。自然溢れる世界にふさわしくないものが、勢いだって広まっているのだから。

 世界を看板だらけにしたのは、神だ。この世界では、まことしやかに語られている噂がある。かつて数多の世界について妄想をした者が、ひとつのペンを気の向くままに動かし、妄想を紙の上に放ったという。その者の放った妄想は、具現化して数々の世界と相成った。それから神は、それぞれの世界に住む住人に対して使命を授けた。

 己ノ意ヲ告知セヨ。

 それが、俺達「看板」に課せられた使命であった。誰から言われたわけでもない。ただ神によって造られたときから存在し、俺達には使命であると認識されている格言である。まあ、俺にとっては邪魔だとしか思えないが。こんなに単純な一単語で何を告知しろって言うんだ。白い背景に書かれた、赤色の四文字ぽっちが、俺が告知すべき「意」であった。


「よう、《立入禁止》」

 そんな俺の四文字を、大声で読んだ者がいる。いつの間にか、黄色いひし形に「!」が描かれた背の高い看板が、俺のことを見下ろしていた。間を置いて、俺は気だるさを隠さずに返事をする。

「……なんだよ」

「いや、読んでみたくなっただけさ! お前ほど読みたくなる看板、他にはいないだろう!」

 《!》は快活に笑う。俺はどうも、こいつのことが気に食わない。俺とは違って《!》の持つ一文字にはそれなりの意味が込められているはずだ。それなのに、何も考えもしないで笑うだけのこいつのことを、俺はあまり好きではなかった。それに――

「なあ親友、今日こそ街に出かけないかい!」

 ほら、また。何故かこいつは、毎回街外れにいる俺を誘いにくる。俺はまともな看板らしく沈黙で答えを返す。行かない、と。

「今日は見て欲しいものがあるんだ。どーしても!」

 だが、《!》は畳みかける言葉をナイフのように使って、造られた沈黙を破った。それから、俺を先導するように道路を跳ねていくのだ。呼吸する生物だったらため息を吐いていたかも知れない。そうして俺は久しぶりに、《!》と共に街に繰り出したのだ。



 街の空気は相変わらず異様だった。やかましい金属音を立てて行き交う看板や標識。アスファルトはぼこぼこになっていて、油断すると倒れてしまいそうになる。《!》は高い身長を持っていて倒れたらひとたまりもないというのに、どうしてそう陽気に跳ぶことができるのか、甚だ疑問である。他にも、看板の粗放な暮らしぶりは街の節々に見受けられる。所々、電線が切れてしまった箇所がある。電柱には自ら剥がれ落ちたであろう看板の跡が残っている。

「おや、そこにいるのは《立入禁止》君ですか。全く見かけないと思っておりましたが……」

 誰かに話しかけられた。青く縦伸びの看板、《山川病院》だ。かつては建物にくっついていたらしいが、今は堂々と街を歩き回っていると聞く。それこそ、埃を被った本屋の外の、医大の教授が回診するポスターに描かれているように。その後ろには、整列した看板たちが並んでいた。殆どが、建物の固有名称が書かれたものだ。たくさんの絵が描かれた看板もあれば、シンプルに名前のみが記された看板もある。《山川病院》は、身長の低い俺を見下ろして、何か反応するのを待っている。

「特にこっちに用はないからな」

「そうですね、用などあるはずがないでしょう。あなたみたいな看板は事足りていますから」

 嫌味なやつだ。俺は不必要に言い返すことをしない。不要な争いを避けるためには、言い返さない方が吉と言えるだろう。それというのも、この看板は「量産型」の看板を蔑視している。そうすることで、自分の価値を高めたいのだ。

「今日は俺が誘ったんだ! たまには親友に気分転換をさせてやりたいと思ってな!」

 何も分かっていないような明るい声で、《!》は話に割り込んだ。しかし、こいつは見せたいものがあると言っていたはずだが、どうして嘘をついたのだろうか。《!》とは対照的に、《山川病院》は元々低かった声のトーンを落とす。

「ほうほう、そうですか。然し、あなたたちは近づかない方がいい。まもなく、唯一無二でない看板は淘汰されていきますから」

 そこに、ガンガンとアスファルトを打つ音が聞こえる。《山川病院》は身体の縁を軸として、くるりとこちらに背を向けた。

「ああ、量産型どもがこちらに来るようです。面倒ごとは今は避けたいですから、私は失礼させて頂きますよ」

 内部に搭載されているライトが、一瞬だけ光るのを俺は見た。

「くれぐれも、お気をつけください」


 《山川病院》が立ち去った後、俺はこちらにやってくる数多の看板を見た。赤色に斜めのスラッシュが入った標識。「工事中」と書かれ、謎の生き物がお辞儀をしている看板。矢印が描かれているのに、くるくると回っていてどこを指しているのか分からない看板。これらは、少しでも他とは違うとでも言いたげに、散らばって街を歩いているのだ。

「チッ……エリート様はお高く留まりやがってよう」

「いつか、おれたちが引きずり倒してやる」

「二度と起き上がれないようにしてやる……!」

 怨嗟のさざめきの中心に、緑色の看板が立っていた。こちらに気づいたようだ。「22川陽道」「締近」と書かれ、下にはそのローマ字表記が、右には大きく書かれた矢印があった。その看板は、俺達を一瞥しただけで、特に話しかけてくることなく去っていく。俺のようなどちらにも属す姿勢の者に話しかけない。やはり、見下すことによって自分の価値を高めるところは《山川病院》達と変わらないのだろう。いや、それも今だけか。俺の予想では――


「どうしたんだ、《立入禁止》!」

 軽やかな金属音があたりに響く。その音が身体に突き刺さる前に、俺は否定の言葉を返した。

「いや、なんでもない。で、見せたいものってなんだ」

 まだこの道に来てそこまで時間は経っていないはずだが、とうに俺は、「見せたいもの」についての興味を失っていた。どこにそんなものがある。荒廃していく世界において、勢いが強くなって幅を利かせる看板たち。直すこともできないのに、いつかはすべてが崩れるのに、どうしてそう立場ばかりにしがみついて争うのか。それでも俺は儀礼的に尋ねた。


「この現状さ!」


 俺は、言葉を返すことができなかった。「何?」とも、「どういうことだ?」とも返せなかった。明らかに弾む内容ではないのに、《!》が弾んだ声で放ったからだ。突発的であった。存外であった。

「オレ、『危ない』って思ってるんだよな~!」

 《!》は、いつも俺にくだらない話を吹っ掛けるのと同じテンションで続けた。相変わらず俺の内心を察する気がないのだろうか。俺は、お前の内心を察しようと精一杯なのに。驚きの中から、ようやく返せる言葉を見つけ出す。

「……何が、だ」

「分からん! だが『危ない』のさ! それを知らせるために、今日は街を見てもらおうと思ったんだよ!」

 危ない。だが、具体的に何が危ないのか分かっていない。今日見た街のことを思い返す。《山川病院》と高速道路の看板。あの様子だと、じきに争いが始まるだろう。言葉だけでなく、物理攻撃を用いた戦いが。壊れる看板や、文字を削られる看板も現れるかもしれない。俺の予想では、まもなく両者はどちらにも属そうとしない者を取り込みにかかる。

「どうしてそれを、俺に言うんだ」

「オレが頼みにできるのは、もはや君だけだからさ!」

 なあ、なあ、分かるだろう! 快活に笑いながら――いや、叫びながら、《!》はこちらに距離を詰めてくる。

「なあ、頼むよ! お前のその『意』をもって、皆を止めてくれ……!」


 己ノ意ヲ告知セヨ。

 こいつは、自分に書かれている「意」に自分の「意志」を込めているのではないか? 

 そんなはずがない。俺が街に出るのを嫌がっていたことすら察せない奴に、何かを訴えることなどできるはずがないのだ。しかし、俺達看板が、何かを伝える手段は少ない。それだけに、《!》の声には使命感が込められている気がした。現状をどうにかしない限り、看板はこの街から消えてしまうのだと。俺は、こいつのことを誤解していたのかもしれない。はじめて俺は、沈黙以外の方法でまともにこの看板に向き合う気になった。

「無理だ。少なくとも、争いを止めるには手遅れだ」

 今度は《!》が何も言わない番だった。

「……だが、非戦地帯を作ろう」

 俺は、自分から沈黙を破ってみせる。《!》から振ってきた話の領域に、自分からも触れてみる。

「俺がある区域を立入禁止にしたら、その中には誰も入って来れまい。幸いにも俺は量産型だ。似た『意』を持ち、俺達の考えに賛同する者を集めれば、非戦地帯を造ることもできるだろう」

 無論、そこに強制力は働かない。この世界では、魔法も能力もありはしないのだ。俺達は、あくまで使命を持つだけの看板なのだから。だが――

「お前が言うことは分かった。今、俺自身の『意』を告知しよう。非戦地帯を作ったならば、争いを起こす者は立ち入らせない。すべての看板が壊れる未来は、俺が阻止してみせる」

 《!》の面に、どこからだろうか、光が差し込んだように見えた。


―――


 看板達が行進してくる。

 圧巻、などと考えている暇はない。俺は、看板の行進と対峙するようにに立っている。大分街外れの細い道路の中央。俺が今まで守らされていた空き地の傍だ。《!》と街に出かけて数日が経ち、非戦地帯も整備されてきた折であった。この場所がバレるのも時間の問題と思っていたが、ここまで早いとは。いや、くよくよしていたら巻き込まれて圧されてしまう。先頭を進む看板達が、俺から数メートルの距離で停止する。

「おい! そこを退け!」

「この場所は立入禁止だ。俺が認めた者以外は立ち入ることができない」

 己ノ意を告知セヨ。

「退けと言っているんだ!」

「駄目だ。ここには立入らせない」

 詰め寄ってくる看板に、己の意を告知せよ。

「俺達の平穏を乱すものは、誰もここには立ち入らせない」

 己の……俺に書かれた文章の「意図」と、俺自身の「意志」を知らせるのだ。


「勝手なことをしてもらっては困りますね」

 群れる看板の後ろの方から、青い看板が現れる。《山川病院》だ。

「非戦を望む看板達をかくまうなどと。こちらはひとつでも多くの看板を取り込めないと困るのですよ」

「勝手なのはお前らだ。看板としての使命を放棄して、自分の価値観を押し付けているだけじゃないか」

 俺が反論をするとは思っていなかったのだろう。《山川病院》は暫し押し黙った。

「看板としての使命? この世界でそのようなものは必要がないのでしょう。それともあなたは、まだ神などというありえない存在を信じているのですか?」

「神に言われたからじゃない。世界や看板を壊しつくす前に、行動しようとしているんだ」

 俺は、傍に立っている《!》を見上げる。俺ではなく、もっと遠くを見ているように直立している。動かない。無言だ。《山川病院》の、隣に立っている。

「しかし、この方は私の説得を受け入れましたよ。あなたも違って賢いですね。彼も、この世界では珍しい、唯一無二の看板なのですから」

「おっと、その彼は僕ら側に着くべきだと思うけどね」

 また別方向から声が聞こえた。現れたのは、名前も分からないあの高速道路の看板であった。

「描かれたものが特異であったとしても……僕も、彼も、結局は量産型なのさ。さあ、そろそろ戦争をおっぱじめようじゃないか。量が質に勝つことを、僕達が証明してあげるよ」

 ふつふつと、怒りがこみあげてくる。「唯一無二」だの「量産型」だの、誰かを見下すために勝手に区分をつけているのはお前らだ。だが、争いは無益。折角俺がやるべきことを見つけたのだから、最後までやりとげるなのだ。俺は、《山川病院》と高速道路の看板だけを視界に入れる。きっぱりと、「意」を告知する。

「とにかくここから先は立入禁止だ! 帰ってくれ――」


「危ない!」

 

 俺の前を、何かが横切った。

「あ……え……」

 後ろから、別の看板の声が漏れ聞こえる。何が起こったのか、俺にもわからなかった。何かから俺をかばって、《!》が倒れていたのだ。《山川病院》の近くにいた看板たちが、押しのけられた状態で他の看板に寄りかかっている。

「おい、何をやっているんだ……?」

 問いかけに《!》は答えない。その一文字をでこぼこのアスファルトにうずめている。《!》は完全に倒れてしまっていた。俺は、《!》に近づいた。それでも、《!》は動かない。もしかすると、死んでしまったのか? ああ、お前が生物だったら呼吸の音で生を確かめられたのに。その場にいる全員が静まり返っていて、呼吸の音も聞き分けられそうなものなのに。

「馬鹿ですねえ。我々の邪魔をしようとするから、こうやって倒されることになるのです」

 ただひとつの声だけが、その空間に響いた。

「しかし、これでようやく戦の理由ができたということだね。罪のない量産型の看板を倒したのが君達であることは、後ろの彼らも見ていたんじゃないのかい」

 高速道路の看板も、この状況を笑う。非戦地帯の側で不安そうにしている看板たちを取り込もうと、水面下で策を廻らせている。こいつには……こいつらには分からないのだろう。

 ああ、やっぱり無理だ。今から始まる戦争は、ここで俺が何を言おうと止まることはない。

「争うなとは言わない。こいつは停戦を望んだが、それを押し付けるという使命を俺達は持ち合わせていない。だから、関係のない俺達までをも危険にさらすな」

 《山川病院》はせせら笑う。高速道路の看板は、ハッと息を吐いた。

「先程から君は、何かの代表のような面をしているけれど――」

「判らないのか!!」

 ひとかけらの言葉は分散し、その場にいる全員を突き刺した。突き刺すつもりで放った。俺の想いを存分に込めて。


「――俺達に立ち入るなと言っているんだ!!」



 看板たちは去った。俺は、振り向いて非戦地帯の看板たちにも奥に行くように声をかけた。あとは、俺と同じ使命を持ち、違う意志を持った看板たちがこの場所を守るはずだ。そこまで考えたとき、頭に白い靄がかかっていくような心地がした。立入禁止の四文字が溶けていく心地がした。

「お前は一度も俺の気持ちを察さなかったがな」

 俺は、ひとつの看板に語りかける。

「俺はお前が何を考えていたか分かっている。停戦を望んでいた手前、自分から諍いを起こすことができなかったんだろう」

 なのに、笑いやがって。快活に笑いやがって。かっこつけやがって……! 怒りはこの看板にのみ、込み上げる。

「使命も意志も守り続けたのは、お前だけだったよ……」

 俺は、物言わぬ看板の上に倒れ込んだ。

 先程まで育っていた灯も、ここで消えてしまっていいと思った。


「……ちがう」


 その時、看板がか細い声を挙げるのを、俺は至近距離で確かに聞いた。しかも初めてこの看板は、その語尾を放棄していた。

「お前、生きているのか!」

 短い脚を使って自分の身体を起こす。放棄した語尾を受け取ってしまったように、俺は看板に向かって叫ぶ。

「かっこつけやがって! 今、お前を起こせる奴を探して――」

「ちが、う……んだ!」

 看板は、身体を起こそうとした。自分で起き上がることなどできないのに、何度も立ち上がろうとする。もういい、と声をかけても、止めない。震える声で、何かを伝えようとしている。

「……オレは……自分の意志を直接伝える勇気もなかった軟弱者なんだ……!」

 俺は更にその言葉を否定しようとした。だが俺は、こいつがそのまま言葉を続けようとするのを感じ取る。

「でも、守ったのは、守っていくのは、オレと、お前、だよな……!」

 このような状況に陥ってもなお、この看板は、《!》は、己の意を伝えることを諦めようとはしていない。

「そうだな、親友」

 ならば、俺は。俺もまだ、諦めるべきではないのだろう。俺とお前で、使命を全うするんだ。今度こそ俺達は、俺達の「意」を告知するのだ。消えかけていた灯が、心の内側から燃え上がっていくのを感じる。《!》は、俺の内心を察したように笑った。


―――


 己ノ意ヲ告知セヨ。

 それが、俺達「看板」に課せられた使命であった。誰から言われたわけでもない。ただ造られたときから存在し、俺達には使命であると認識されている格言である。ただ、俺にとってそれは、何よりも優先すべき事柄であった。白い背景に描かれた、赤色の四文字から、俺の思考が、意志が生まれるのだ。

 神がどういう思いで使命を配布したのか、俺にはよく分からない。俺達は世界に蔓延る看板だ。しかもその大勢が、使命を無視して戦っている。それでも、俺は、俺達だけは、使命を守り続ける。俺達に書かれた言葉に、俺達自身の意志を込めて、周囲に告知していくのだ。


 そこまで考えて、俺は隣に立つ看板を見る。青い空と白い雲の下で、しっかりとアスファルトに直立し、前を通り過ぎていこうとする看板たちへの声掛けを始めている。俺も頑張らなければならないと、改めて気を引き締めた。

「戦闘地帯に行くのか! 危ないから気を付けてくれよ!」

「この先は、争いを起こす者は立入禁止だからな」


 今日も俺は、非戦地帯の境に立っている。

 守るべき場所を守るために、《立入禁止》の四文字を掲げているのだ。

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