可愛い友人の悩み事

ria

可愛い友人の悩み事

 外は雨が降っている。小さな路地をいくつか曲がり、ひっそりと建つ小さな喫茶店内は、おそらくマスターであろう白髪交じりの男以外は私と彼女だけである。そのマスターさえもカウンターの中で、ゆっくりと船を漕いでいるので、店内は小さなジャズだけが耳を通り抜けていく。テーブルには2つの紅茶が小さく湯気を立たせていた。

「それで相談って?」

大学生活を共にする彼女は顔を俯かせ口をへの字に固く結んだまま、細く震えている。茶色に染め緩く巻かれたパーマの髪に、ラクダのように長いまつ毛、熟れたサクランボを思わせる色の唇からは、愛らしい小動物を連想させる。

「最近、変なの」

小さく吐き出された声は、彼女の容姿に似合う甘い声だったが、あまりにも小さく、ジャズに吸い込まれるように消えかけていた。

「変?」

「最近変なのよ」

俯いていた顔を上げた彼女の、黒く丸々とした瞳と視線が重なる。その瞳は熱を帯びて赤みがかり、映る私は歪んでいた。

「最初はただの勘違いかと思ったの。でもやっぱりそうじゃないんじゃないかって」

「何があったの」

彼女はまた顔を伏せ浅い呼吸を繰り返すと、音を立てて唾を飲み込み、意を決したように口を開いた。

「ストーカーがいると思う」

その言葉は少し震えている。

「最近、誰かに見られているような気がしたの。でもきっと気のせいだと思っていたんだけど、やっぱり気持ち悪くて。それにね、この前なんてシャッターの音まで聞こえてきたの。流石に怖くなってきてね」

訴えるように語りかける彼女の頬は桃色に染まり、揺れた髪からは爽やかな石鹸の香りが鼻をかすめていった。

 彼女は可愛い。それは友人の私から見た贔屓目を抜いても、大半の人間はそう答えるだろう。整った顔立ちと可愛らしい声、フリルの袖から除く白く細い腕は、紫外線を跳ね返してしまうのではと思わせる程だ。加えて小さな背丈は男心をくすぐるのだろうと思う。色も黒く、背の高い私と並べば猶更際立つことだろう。

「それは大変じゃない。あなた可愛いんだから、冗談や勘違いなんて思わないわよ。ストーカーの一人や二人いたっておかしくない話だわ」

彼女は眉を下げて少し微笑むと、信じてくれたことへの礼を述べた。

「警察には行ったの?」

「見られているだけなのよ。どう警察に言えっていうの。妙な手紙が届いたってまともに取り合ってくれないのに」

そう述べる彼女は、過去にも同様の被害を受けたことのあるような口ぶりだった。幼少期から人目を惹く容姿だった彼女のことだ、過去にあってもおかしくはないが、きっと慣れることではないのだろう。怒りの中にも恐怖を感じている彼女の顔を見ると、私も胸が締め付けられるように感じた。

「だからね、そこでお願いがあるんだけど」

今度は下から掬うように、申し訳なさそうな顔を向ける。私の鼓動が少し速くなる。

「なるべくね、なるべくでいいの。私と一緒に行動してくれないかなって。毎日家まで送れなんて言ってないのよ。都合が合うときはなるべく一緒にいたい、一人になりたくないの。ダメかしら」

「もちろんよ!むしろそんなことでいいの?あなたのためなら私なんだってするわよ」

私が悩むそぶりもなく返答したことに驚いたのか少し目を丸くしたあと、小さく息を吐き微笑む彼女。感謝を述べると、もう冷めている紅茶を一口飲んだ。

 なぜ私にお願いしたのか、一瞬そんなことを考えていた。彼女には私以外にも友人が多くいる。派手な容姿の女の子から、大人しそうな静かな子。男友達だっていたはずだ。だがストーカー被害にあっている以上、誰が犯人か分からない。その男友達だって例外じゃないはずだ。どんな下心を隠して近づいているのか分かったもんじゃない。そう考えると同性の方が頼みやすかったのだろう。加えて私は平均より背が高く、体つきはどちらかといえば男性よりだ。彼女を守るにはうってつけの人間だろうと考え、問うこともなく受け入れたのだった。そんなことより、私としては大好きな友人に頼ってもらえたことが何よりも嬉しかった。彼女に比べ友人が少ない私にとって、ある意味では特別という札を張られたような以来に心が躍る。これから毎日彼女と顔を合わせ、彼女の隣を常に歩き、彼女と会話をし、二人で世界を共有する。そんな生活を思い浮かべると、今にも口角が上がってしまいそうになるが、必死に抑えた。

「じゃあまた明日からよろしくね」

微笑む彼女の顔は天使のように美しく、見惚れてしまう。

「うん。そうだ、明日の朝から一緒に学校に行こうよ。確か明日はバイトなかったよね?私もバイトがないから帰りも一緒に帰れるし、家まで送るよ。ほら、また家の前で撮られても困るしさ」

微笑んでいた彼女の口元が動く。可愛らしい丸い黒目が私を見つめる。空気を噛むように吐かれた言葉。


「ねえ、私、明日バイトがないなんて伝えたかしら。それに、家の前で撮られたとも」


彼女の表情が強張る。先程まで見せていた恐怖の顔に。でも違うのは、その違和感が、恐怖が私に向いているということ。そんな顔を彼女から向けられたのは初めてだ。あなたのそんな顔を直接に、こんな近くで見たのは私が初めてじゃないだろうか。揺れる瞳に移る私の顔は、どんな表情に見えているのだろう。ああ、なんて可愛いのだろう、私の『親友』は。私だけに向ける顔。可愛い、可愛い、かわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいい。


 気が付くと私は、携帯のカメラでシャッターをきっていた。

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可愛い友人の悩み事 ria @riaria_14

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