第十二話

 ブーッ、ブーッ

 老舗の賞を獲ったミステリのラストシーンを咀嚼するのにも飽きていたころに、スマホが振動を始めた。

「もしもし?」

「……ああ、けいちゃん」

 普段の半分くらいの小さな声が、電話口から聞こえた。

「リョウ? 大丈夫なの?」

「大丈夫。なんか、まあちょっと、変な感じしてきちゃってさ。給食食わずに帰っちゃった」

「……やっぱ、ショックだったの?」

「そりゃあ、まあ、だって……あの花からさ、どうにかして救おうとしてたのによ、結局殺されちまって。胸が完全に空洞になった気分だわ」

「……うん」

 彼の言葉にも、ぽっかりと穴が開いてしまっているように思えた。

「……あのさ、けいちゃん」

「ん?」

「ちょっとさ、謝らないといけないことがあって」

「うん」


「……けいちゃんにちょっと、隠してたことがあるんだわ」


 僕は、心の湖に小さな波紋が立って程度のダメージしか受けなかった。

「ああ、そうなんだ」

「え、まさか、なんか知ってた?」

「この前から、ちょっと隠してることでもあるのかなって。出会った時、さんざん読まれたからさ。僕もちょっとは出来るようになったんだよ」

「教えた覚えねえけど……。そっか。じゃあ、まあ話すわ。タイちゃん、死んじゃったことだし」

「分かった」

 僕は唾液を一度吞み込み、軽く歯を噛んだ。


「で、まあそういうわけなんだわ」

 彼が一呼吸を置き、電話の向こうで空気を切った。

「以前、けいちゃんは俺に思ってること、素直に言ってくれたのに、俺は言えなかった。今回、タイちゃんが死んだことも先に知ってた。なのに言えなかった。マジで、申し訳なかったっ」

 勢いよく頭を下げたのだと、この時分かった。

 同時に、ぞぞぞぞぞっ、と、魔物が足元から這い上がってくるような悪寒に襲われた。

 “めちゃめちゃ可愛い女の子に、その花をあげる”だとか。

 独特な喋り方で、ロングの綺麗な黒髪で。

「……しかいない」

「ん、なんて?」

 電話口から、何やら質問が聞こえた気がした。


「……なんでだよ」


 脳がどんどんと過熱してゆく。いずれ、ボン、と水蒸気爆発を起こすのではないかというくらいに。

「全部嘘だったんだ」

「おい、大丈夫か?」

「ごめん、別にリョウにはキレてないんだけどさ、ちょっと本当に今情緒不安定でイライラしてるから一回切るね」

 親指がスマホを貫通する勢いで、僕は電話を切って、それを窓に向かって投げつけた。


 ガツン


 スマホはそのまま跳ね返って、フローリングを滑って、足元に帰ってくる。

 窓には、猫が引っ掻いたような白い傷が残った。

「……なんでだよ」

 目頭が熱い。さっきから、左手の拳を握って、汗だくになっていたことに僕は、今気づいた。




 目覚ましも鳴ってないのに、ふと目が覚めた。

 起き上がる力も無ければ、左手には竹刀を握る握力も無い。

 僕はいつも通り、枕もとのスマホを引き寄せた。

「……まだ、五時か」

 もう一度、というかいっそ永遠に宇宙の果てまで意識を飛ばしたいと思って、枕に頭を沈める。

 と、さっきいつもの癖で開いてしまったメッセージアプリを消し忘れていたことに気付いた。

「チッ」

 舌打ち一つ、ブルーライトを顔面に浴びる。


『明日、一緒に図書館のセミナー、行く?』


 送り主は、やっちゃんだった。

 送信されたのは、昨日の十時半。ということは、図書館のセミナーは、今日だ。

 スワイプするはずだった右手の親指が止まる。

『おkk』

 とまで入力して、デリート。

 

 めちゃめちゃ可愛い女の子にぃ、その花をあげる。


 江崎君の声が、窓を叩いた。

 昨日爆発させた、綾辻由梨乃という女への憎しみが、再び湧いてくる。

 だが、それは激しいものではなく、もはや諦めだった。


『ごめん、行けない』


 そう打ち込んで、僕は少し思案した末に、もう一文を重ねた。


『もう付き合えそうにないから、交際関係を解消しよう。さようなら』


 別れの文章としては全く出来たものでは無いな、と、送信してから思った。

 スマホを枕もとに置いて、もう一度目を閉じる。

 意識は冴えわたり、何という神様の悪戯か、車に轢かれそうになったやっちゃんを助けたあの日が、何度も何度も瞼の裏に走るのだった。




 冴えているのにパサパサで重い目覚め。

 今日はどうやら土曜日だった。

 枕もとのスマホをいつも通り引き寄せて、激しい後悔に追われた。

 どうせ、普段の癖通りにメッセージを見ても、別れの挨拶か、別れに抗う言葉しか来ていないだろうというのに。

 なのに、僕は逡巡した挙句、メッセージアプリを開いてしまった。


『なんで? 急にどうしたの? 私、何かした?』

『今日、こっちの公民館の前で会わない?』


 何か入力しようとしても、気の利いた言葉は一つも浮かんでこなかった。

 結局、何も返すことなくスマホを裏返して、ベッドにうつ伏せで寝転がった。

 考えることはない。

 ただ、周囲の鳥の音か何かが入ってくるだけ……。


 クククククククククククククククククククククククククククククククククククッ

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嗤う、ざまぁの種 DITinoue(上楽竜文) @ditinoue555

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