荒尾啓太

第十一話

 昨日、お亡くなりになったそうです……江崎、大河さんです……昨日、お亡くなりになったそうです……江崎、大河さんです……昨日、お亡くなりになったそうです……江崎、大河さんです……昨日、お亡くなりになったそうです……江崎……


「おい、大丈夫かよ荒尾」

「え」

 肩を叩かれ、振り向いた瞬間、僕の頭に衝撃波が走った。

「何してんの」

 周りの女子たちがにこやかな笑顔でこちらを見つめてくる。

 当たったものを確認しようと頭を横に回すと、もう一度その物に頭を強打した。

「ったっ……」

 図書室前のコンクリートの太く円い柱だった。

「大丈夫か? 荒尾。天然王子、今日いつも以上に飛ばしてるぞ」

 真砂が、軽口とは対照的に、眉をハの字にしてこちらを覗き込んでくる。

「まあ、普通になんかフラフラしてるし……」

「え、ああ、まあ……うん」


「ひょっとして、江崎大河が死んだことにショック受けてんのか?」


 その言葉がやけにすっと胸に浸み込んで、初めて僕は、江崎君が死んだことで動揺しているという事実に気付いた。

「……まあ、クラスメイトが死んだっていうんだからさ」

「しかも、自分に告ってきたやつだからな」

「違う」

「ハハ」

 あまり楽しくなさそうに、真砂は笑った。


 違う。

 花だ。嗤う花。間違いない。あの奇声を上げ、両手を広げ、下卑た笑みを浮かべたあの花が、ついに江崎君を殺したに決まって。


「おーい、大丈夫かー」

 真砂に、大きく俺の身体を揺さぶられた。

「またなんか、異世界転生しかけてただろ」

 教室だった。

「……かも。変なとこに飛びかけた」

「しっかりしてくれよ。ショックなのは分かるけどさ、悲しんでても何も始まんないぜ?」

 一瞬、僕は、輪になって話している女子に向かって、睨みを利かせた。

 隣には、持ち主を失った、四つの足の高さの合ってない机が座っている。




「……リョウ」

 朝のホームルームが終了して束の間の息抜き。

 僕は机に突っ伏しているリョウの元へ行った。

「何してんの? 寝たふりは良くないって」

 彼はそれでも、ピクリとも動かない。

「ちょっと」

 喉元に火焔が吹き上がって、気づけば僕は彼の頭を叩いていた。

「あっ……」

 思わず自分の右手を左手で握り、じっと見る。

「ごめん」

 それでも、リョウは顔を上げなかった。

「どうしたの? ……まあいいや、江崎君の話があるから、給食待ちに図書室の中でお願い」

 ピクリと、リョウの肩が上下した。




 近くの人と確認してください、隣の人と音読してー、チェックインペアープリーズ、隣がいない人は先生とやろっか。

 やたらペア・グループ学習を重視する教師の方々のおかげで、僕は何回も、もう二度と着席されることの無い机の存在を脳に溶かすことになってしまった。

「……ちょっと、荒尾啓太君、いいかな?」

 四時間目の英語が終わって、北井先生が声をかけた。

「あ、はい、どうぞ」

「えっとね、給食待ちの時間いっぱいで終わるらしいから、生徒指導室に行ってくれるかい?」

「え?」

 聞き慣れない言葉をそらんじてみる。せいとしどうしつ。本当に存在するのかさえ知らなかった部屋だ。

「僕、なんかしました?」

「あ、いや、そうじゃなくって、まあ、ちょっと話を聞きたいからって」

 不覚にも、黒目が左隣へ動いてしまった。


 


 生徒指導室は、人ひとり寝るのがやっとくらいの小さな部屋だった。

 そこに、頭の片隅で想定をしていたよりもヤクザ寄りの顔をした背広の男が、足を組んで待ち構えている。

「それじゃあ、そこ座って」

 すぐに座面が抜けてしまいそうな木の椅子だ。

「早くしてくれ」

 ずずず、と地面を這いずるような低音ボイスに気圧され、僕はミシッと音を立てて座った。

「俺はこの辺りの警察署の刑事なんだが、江崎大河君死亡事件について、何か知っていることはあるか」

「いや、無いです」

 間を置くことなく、僕の唇が動いた。

「そうか」

 と、言いつつも、刑事は金髪坊主を掻きながら、親の仇のようにこちらを睨みつけてくる。

 僕の背筋がビキビキ音を立てて、氷柱に化けていく。

「本当に、何にも知らず、心当たりもねえんだな?」

 刑事の二十顎にびっしりと生えた髭が、ザリザリと音を立てた。

「っ、はい」

 あの花のことを言及するのは、この男の前では、パンドラの箱を開けることに等しいように思えた。

「なら、被害者はどんな人間だった?」

「えっ……」

 絶句するはずのないところで、浮かぶ言葉が無かった。

「えっと……、まあ、いじめられっ子でした」

「そうか。ならもう用はない。だが、なんかあるならすぐにここで吐いて帰れ。上の道案内にされんのはこりごりなんだ。さっさと事件を解決させちまいたい」

「いや……」

「じゃあいい。なんかあるなら、友達からだろうが噂だろうがなんだって良い、すぐに警察に掛けろ。良いな?」

「はいっ」

 背筋の氷柱が、喉にまで突き刺さった。


 手すりで身体を支えながら、僕は階段を駆け上がり、図書室に入った。

「……あれ?」

 本を立ち読みしていたり、宿題をしている者はいても、リョウは見当たらなかった。

「ねえ、遠本君、知ってる?」

 期限切れの宿題にペンを走らせていた岩片の取り巻きのうち二人に、僕は訊ねた。


「遠本? さっき帰ったじゃん」


「……え、そうなの?」

 頭の中に色々なことが入り混じり、脚もこんがらがりそうになる。

「そうだよ。それより、好きな人とかいないの?」

 宿題をそっちのけに訊いてくる女の目は、親友だったひとを救おうとする友の瞳には遠く及ばないなと思った。

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