大好きだから言えなかった言葉

音愛トオル

大好きだから言えなかった言葉

 白状すると、しずくは毎日その夢を見ている。一目惚れして、向こうから話しかけてくれて、嬉しくて、友達になって、そして。


「あのね、嫌だったら断ってね。私、雫が好きです。付き合ってください」


 相談がある、と言われた放課後。花火はなびの恋愛対象についての相談の後に、夕焼けみたいに眩しい花火の顔がきゅっ、と結ばれた。

 頭を下げて、手を雫へと伸ばすその仕草は「告白」の代名詞に見えて、雫には花火の言葉よりも先にその仕草の方を理解した。次いで、「雫が好きです」の意味が心に響く。

 響いて、目の裏が震え、口が乾いた。


「――わたしも、です。よろしく……お願いします……」


 だって、わたし、ずっと花火が大好きだったから。


「……夢でも、言えなかった」


 恋人になってからもうすぐで3か月。

 雫はベッドの上で秋の朝の冷たさに身体を晒した。


 大好きだからあの日言えなかった言葉を、雫はまだ恋人に直接告げられていない。



※※※



 花火の毎日は7月の終わり、高校で最初の夏休みが始まった日以来最高に幸せであった。朝起きる時と夜寝る時、それから日中も時々、会えない日でも恋人と話せるから。

 恋人になる前の雫は、落ち着いた雰囲気の子で、周りを近づけさせないというよりか深窓の上品な子、のようなイメージだった。静かに、けれどとても楽しそうに笑うあの器用に不器用な表情が花火は大好きだった。

 そして今の雫は、


「線香花火」


 透明だった水滴は、線香花火の最後の一滴のようにいつも真っ赤だ。

 本人に聞いてみると、「花火ちゃんといると嬉しくて、その……ドキドキする」とのことだった。


「雫、起きたかな」


 24時間のうちの17時間くらい、雫の事を考えているな、と思う。夢で見る日は24時間だ。

 でもしょうがない。世界一素敵な彼女とずっと一緒に居たいと思うことの何がいけないと言うのかっ。


――などと、朝の支度をしながら鼻歌を歌っていた花火だった。



 ある日のことだった。


「じゃあね、おやすみ雫――大好きだよ」

「おやすみ花火ちゃん――うん、わたしも」


 ツー、ツー、と電話のこと切れた音が暗い部屋に響く。

 目が合うたびに言ったって足りないくらいだ、と花火は思っているがそういうわけにもいかないから、せめて電話の終わりくらいは、と決めているその言葉。口の中を転がるたびに、ぽかぽかと心地いい感触が広がる、その言葉。

 けれど、ふと気が付いてしまったのだ。


「……雫から、言ってもらったことって」


 通話終了の画面から一歩も動いていないスマートフォンが枕の横にぽとりと落ちる。代わりに抱き寄せた枕に花火は顔をぎゅっ、と押し付けて、告白した日から今日までを手繰り寄せた。

 繰れども繰れども、大切な記憶の中に雫からの「好き」が見つからないことに気づくまでに1分もかからなかったのは、花火にとって恋人との思い出がどれも少しも色褪せていないから、だが。

 その事実を突きつけられるまでに心の準備の一つも出来ないままになってしまった。


「嘘、雫……本当は、嫌だった?」


 そんなことはない――そう言い切りたい気持ちはある。

 しかし、雫とは出会ってから半年と少し。友達で居た期間と恋人で居る期間はまだ同じ。自分にだって、雫に見せていない一面があるのだから、あるいは。


 断りきれなくて、付き合っているだけ……?


「ち、ちがっ、そんなの……」


 花火は目を見開いた。暗がりに何を見つけるでもない。スマートフォンの画面も暗転した夜更けだ。

 花火は、雫の気持ちを一瞬でも疑った。真偽はどうあれ、花火にとってはその事実が、痛みになったのだ。


「私……恋人失格だ」


 そう思う心の裏面に、ほんの僅かでも雫の気持ちを疑う色が混ざっている今――


『花火ちゃん。また明日学校でね』


 雫のメッセージに返信をすることが、出来なかった。



※※※



 花火の幸せに翳りが差した日が明け、雫に会うからとそれまでは気合を入れていた朝の準備で多分初めて、手を抜いた。というよりも、雫を想う時に混ざる微かな痛みが嫌だった。

 それでも雫を求めしまう自分も、もっと嫌だった。


「あ、花火ちゃん。おはよう」

「雫。うん、おはよう」


 この胸の奥で鎌首をもたげる懊悩と裏腹に、まるで条件反射のように雫の声に沸き立つ頬と心を花火は偽物にしたくないと思った。雫を見るまで、ただ嫌だと俯く朝だったけれど、今、確信した。

 このまま居たら、私は雫を好きで居られなくなる。


「……ねえ雫。相談があるんだ」


 それは奇しくも、告白した日の朝に言った言葉と同じだった。



 相談の場所に選んだ学校の裏手の公園のベンチ。

 正門と裏門のどちらからも距離が離れていて通学路に含まれにくいこの場所は、人通りも少なく花火たちはよく立ち寄っていた。逢瀬――ではないが、恋人になってからこのベンチで共に過ごす時間はお決まりのデートになっていた。

 ベンチに腰掛ける距離感も、「いつもの」時間があることも、告白の朝とは異なるけれど、花火はあの時以上に深く、心を揺さぶられていた。


「花火ちゃん」

「うん」

「えと……相談って」


 意識したわけではないが、花火は普段よりも幾分重たい表情をしていた。それに気づかない雫ではなく、口を開くのを恐れているように、花火には見えた。

 しかし現実には、を雫に言うことを恐れる花火の方が、躊躇っている。


――だから、花火はを言わなかった。


「雫、私、雫のこと好きだよ」


 お願い、雫。


「……?うん、わたしもだよ」

「――そ、っか」


 また、だ。

 また言って、言っていない。


 花火は自分でも驚くほど簡単に躊躇が崩れていくのを自分の感情の発露に見た。


「雫、私に好きって一度も言ってくれてないよね」

「え」

「告白の時も、いつも、今だって。それって……ねえ、私雫に無理させてたのかな?本当は私のこと――」


 刹那、秋のベンチに火花が散った。


「――ちがっ!わた、わたし……は、花火ちゃんのこと」

「……私のこと?」

「うっ……すっ!す、す――好き!だったからっ。ずっと、大好きだったからっ。告白される前からっ。今も……!」

「――!」


 恋人の頬を伝う雫が、花火の胸を衝いた。

 その瞬間、花火は恋人への愛しさが溢れてくるのを感じた。そして考えるよりも先に、


「私も……!」


 口が象った「私も」はただの同意ではなく、「好き」の同義語だったのだ。


「あっ。雫」

「は、花火ちゃん?」

「――ごめん。私、雫が私に好きって言ってくれたことないから、もしかして……って思って。でも、今分かった。って、こんなに大好きって、言ってる言葉だったんだね」

「あっ、えと……あ、う、うん――うん!花火ちゃん、あの、わたし、だっ、だい……す、き、だからぁ」


 この子は「好き」と言うのにこんなにも力を使うのだ。その代わりに、全身で「好き」と伝えてくれていたではないか。

 喜びが滲む声色、朱が差した頬、熱を帯びた指先、触れる唇、幸せに震える背中、いつも必ず返してくれた優しい「私も」、そして。


 私を呼ぶときの、あの表情が。


「……わたしずっと謝りたかったの。告白された時、わたし言えなかったから」

「好き、って?」

「――うん。わたし、ね。花火ちゃんのこと、だ、い好きだから。言葉にしようとするとどきどきして、顔が熱くなって、呂律が回らなくなっちゃって、頭も真っ白になって」

「だからいつも、ってちゃんと返してくれてたんだね」

「……うん。で、でも。それで花火ちゃんに嫌な思いをさせちゃったなら、これからは、ちゃんとわたしも」


 どうして忘れていたんだろう。

 花火はいつの間にか絡まっていた指先がせわしなく動き、伝わってくる雫の想いにはっとした。告白された時に言ってくれた「私も」は、あんなに嬉しかったではないか。

 もちろん今言ってくれた「好き」も嬉しかったけれど――


「雫は、これからもって、言ってよ」

「えっ。でも」

「その代わり、私が好きっていっぱい言うからさ。それで、たまにでいいから不意打ちに好きって言って」

「――いい、の?」

「うん。だって雫、全身で言ってくれてるから。今だって、ほら」


 しっかりと繋がった手を持ち上げてみせると、雫はどうやら無意識だったらしく、「……!?」顔を沸騰させて驚いていた。ほら、今だって「好き」って言っている。

 だから、雫からの「好き」は不意打ちでいい。

 私の「好き」と雫の「好き」は同じ気持ちでも、伝え方が違うのだ。


「――ね?」

「う、うん……そう、みたい」


 微笑みを交わして、耳が熱くなって、こぶしひとつ分空いていたベンチの上の距離がほとんど零に近づく。肩を寄せて、頭が触れて、指だけでなく手を絡めて。

 その温かな幸福がどうかずっと続きますように――



 あのね。


 大好き。


 

 2度目の告白に、もう言葉はいらなかった。

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