例外

ハル

第1話 無限

第一章: 無限の赤ん坊


「寿命診断結果、76歳です。おめでとうございます。」


紗希はいつものように穏やかな声で、目の前の若い夫婦に結果を告げた。診察室の窓から入る柔らかな陽光が、静かな空間に温かさを添えている。夫婦は安堵の表情を浮かべ、互いに目を合わせ微笑んだ。新しい命の誕生と、その命が紗希の診断によって保証される瞬間が、彼女の職務において最も幸福なひとときだった。


「ありがとうございます。これで安心しました。」と、夫婦の女性が小さく頭を下げた。


紗希は軽く微笑み返し、次の診断の準備をするために書類をまとめた。病院で寿命診断士として働く彼女の日常は、このように穏やかで規則的なものだった。生まれて間もない赤ん坊たちの寿命を測定し、両親にその結果を伝える。それは、この社会では当然のプロセスだった。すべての命はその長さがあらかじめ決まっており、誰もがその終わりを知った上で生きる時代。紗希もまた、そのシステムの一部として自分の役割を全うしていた。


次に入ってきたのは、藤崎という名の夫婦だった。彼らは生まれたばかりの赤ん坊を大切そうに抱きかかえていた。赤ん坊は目を閉じ、静かに眠っている。紗希は彼らに丁寧に挨拶をし、赤ん坊を診断機にかける準備を始めた。


「藤崎さん、お子さんの寿命を診断いたしますね。」


夫婦は緊張した様子で頷き、静かに見守っている。紗希は赤ん坊の手首に小さなセンサーを取り付け、診断機に接続した。通常、数秒で結果が画面に表示される。紗希は機械のスクリーンを見つめ、いつものように寿命を待ち受けた。


しかし、その瞬間、機械が異常な音を立てて停止した。


「えっ…?」


紗希は驚いてスクリーンを見直した。そこに表示されたのは、これまで見たことのない文字列だった。


Infinity(無限)


一瞬、紗希は自分の目を疑った。機械が誤作動を起こしたのか?もう一度、診断をやり直すべきだろうか。だが、機械は再起動しても同じ結果を表示し続けていた。「無限」——紗希は思わず唇を噛んだ。これまでのどの診断でも、人間の寿命はおよそ70〜150年の間に収まっていた。だが、この赤ん坊の寿命は「無限」と表示されている。


藤崎夫婦は紗希の動揺に気づき、不安そうな表情を浮かべた。


「どうしましたか?」父親が問いかける。


「少し、機械が…誤作動を起こしているかもしれません。もう一度試してみますので、少しお待ちください。」


紗希はできるだけ冷静な声を出し、再度診断機を操作した。だが、結果は同じ。「無限」が揺るぎなく画面に表示される。


その瞬間、彼女の頭の中で一つの疑問が浮かんだ。これは本当に機械の誤作動なのだろうか。それとも——何か別の、もっと重大な何かが関わっているのではないか。


藤崎夫婦の目が紗希に集中していた。彼女はためらいながらも、両親に微笑みかけた。


「機械の調整に少し時間がかかってしまいましたが、健康には全く問題ありません。どうかご安心ください。」


そう言いながらも、紗希の心はざわついていた。診断結果をどう処理するべきか、判断がつかないまま彼女はその場をやり過ごした。夫婦はまだ不安そうな顔をしていたが、紗希の言葉に一応の納得を示し、赤ん坊を抱えて診察室を後にした。


部屋に一人残された紗希は、診断機のスクリーンに再び目を落とした。「無限」という結果が彼女を睨みつけるように、なおも画面に表示され続けていた。


その後、紗希は上司にこの結果を報告するために急いでオフィスへ向かった。上司の伊藤は、彼女の報告を冷静に聞きながら、眉をひそめた。


「無限…か。確かに異常だな。しかし、これはおそらく機械の誤作動だろう。寿命診断機は最新式だが、エラーが全くないわけではない。」


「でも…」紗希は食い下がる。「これまで一度もこんな結果を見たことがありません。もしかしたら、何か特別な理由があるのかもしれません。」


伊藤は溜息をついた。「紗希、君の気持ちは分かるが、私たちの仕事は正確なデータを提供することだ。誤作動だと考え、報告書を出しておく。それで終わりにしよう。」


それで終わりにしろ。伊藤の言葉は冷たく響いた。だが、紗希の胸の奥で何かが引っかかっていた。あの赤ん坊の静かな寝顔と、「無限」という結果。彼女はこの現象をただの誤作動として片付けることができなかった。


その夜、紗希は自分のデスクに戻り、データベースにアクセスして藤崎家の情報を確認した。独自の調査を始めるべきか、それとも上司の言う通り、これを誤作動として処理するべきか。彼女は再びスクリーンに映る「無限」の文字を見つめながら、葛藤していた。


決してただのエラーではない。彼女の中で、その確信がゆっくりと形を成し始めていた。

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例外 ハル @whit_e

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