第3話 メリーが遺してくれたもの

火葬は無事済んだ。メリーちゃんは小さくなって、白い骨壺に収まってしまった。それを見ると、和佳子さんは嗚咽して泣き、私ももらい泣きした。そして、その日のうちに合同墓地に納骨されたのだった。

 私は、まだ泣きはらした目の和佳子さんを慰めたかったが、車に乗ると、運転しながら和佳子さんは、こんな話を始めた。

「柏木さんと知り合って、まだ二日目ですが、なんだか、主人の病気の話も聞いていただきたくなってしまいました。筋ジストロフィーという難病、お聞きになったことあるでしょう?あれなんです。」

「ああ。」

「主人は、絵描きだったんです。イラストレーターです。」

 それを聞くと、私は胸が詰まった。

「お辛いことですね。」

「ええ。何もかも諦めて、人生を諦めたんです、彼。私には支えてあげることしかできないです。看病することしか。」

「はい。」

「絵を描くこと以外に、何も仕事になるものはない、と諦めていました。で、私が薬剤師をフルタイムでやれば、主人の障害年金と併せて食べていけたんですが、私に家にいてほしいと言い出して。」

「ええ。」

「それで、私も家でできる執筆の仕事をなんとか始めました。薬剤師は週に三日だけです。それも午後だけ。」

「いつ頃、ご病気は始まったんですか?」

 私は尋ねた。和佳子さんは、赤信号でブレーキを踏んで、私の顔を見ながら、

「それが、結婚して、一年後です。まだ仔犬だったメリーを結婚と同時に飼い始めたのです。闘病はもう、十七年になります。」

「ああ。」

「だから、あの犬に死なれるって、次はあの人なんだと、私もあの人も、わかっているんんです。来るべき時が来たんですね。」

「そんな、犬の寿命は人間とは比べられません。」

「あの犬が生きている限り、主人の命は大丈夫、ってなんとなく自分に言い聞かせて生きて来たんです。」

「………………。」

「それが死なれてみると。ね。」

「和佳子さん、お友達、作った方がいい。私、信頼してる友達、ご紹介してもいいです。こんな辛いのに、一人で。」

「そうですね。主人の病気を色眼鏡で見られたら嫌だと思っちゃうんです。どうしてか、柏木さんには話せました。友達、できるかしら?」

「できますとも。私、立候補します。」

「ありがとう。柏木さんの話も聞かせて。」

「ええ。私は至って平凡な専業主婦です。主人は証券マンで、私は結婚して、OL辞めて、家庭に入りました。子供は男の子が一人です。今、二十歳です。大学二年生です。」

「そうですか。」

「子供のこと、主人のこと、他愛ない事で悩んでいます。そうそう、うちのラブラドールは、オスのロッキーという名前です。メリーちゃんとは仲良しになれたでしょうね。」

「何歳ですか?」

「今、十一歳です。」

 和佳子さんは、思い立ったように、

「柏木さん、小腹が空きませんか?」

「あ、空きました。笑。」

「なんか、食べましょう。」

「うふふ。元気な証拠です。」

 車でしばらく行くと、ショッピングモールに着いた。駐車場に車を停めて、二人は降り、グルメフロアーに行く。

「何がいいかなあ?お好み焼きなんて、気分じゃないですか?」

 和佳子さんの提案に、私は、

「いいですね!それにしましょう。」

 と、お好み焼き屋さんののれんを潜った。

「主人のお世話は、ヘルパーさんが来てくれてるんです。私も息抜きしなきゃ、息切れしちゃいます。」

「そうですよ。いつも思うんです。八十パーセントの力で生きていけば、無理はないと。そうすれば、何か不測の事態が起きた時に百パーセント、百二十パーセントの力も出ます。」

「そうね。いつも百パーセント出してたら、いざという時、力が出ないかも。それ言えてるわ。」

「何にします?」

「私は、豚玉スペシャルにしようかな。」

「じゃあ、私、イカ玉スペシャル。」

「シェアして食べましょう。」

「でも、思っちゃうの。私は息抜きしてるけど、主人はいつ息抜きするのかなって。」

 私は黙り込んでしまった。

「いつか言ってたの、主人が。僕は口がきけるからまだいいんだって。この病気で口がきけなくなって、食べ物も噛んだり、飲み込んだりできなくなったら、もっと辛い。その日が来るのか、来ないのか。お医者さんは、主人の場合は大丈夫じゃないかって。この病気はいろいろなタイプがあるらしいんです。」

「そうですか。」

「でも、動けないのは、可哀想よ。眠ってる時が天国かもしれない。夢でいろんなところに旅行したり、走ったり、泳いだり、してるんですって。そして、目が覚めると、いつものベッドか、って。」

「うん。」

「主人は口がきけるから、何かそれで仕事ができないか、って焦ることがあったけど、私が言ったの。いいの、あなたは、生きてくれてるだけで、私は嬉しいって。生きてくれてるだけで、感謝してるって。本当のことよ。」

「そうか。」

「うん。健康を失うとね、人間、贅沢言わなくなるわね。」

 お好み焼きの種が入ったボールが運ばれて来た。二人はそれぞれを自分で焼きながら、焦げ目がついたところでひっくり返し、ソースとマヨネーズ、鰹節と青海苔を振ると、コテで切ってシェアして食べた。

「和佳子さん、あの、宛名の無い手紙、書くのに勇気がいったでしょう。でも、書いてくれてありがとう。お友達になれて、嬉しいわ。いろいろな人生があるものね。和佳子さんみたいに頑張ってる人と知り合えて、本当に嬉しい。」

「私こそ、主人のことは隠してたけど、柏木さん、私から主人の病気のことを聞いても、顔色ひとつ変えないで、自然に接してくださった。どんなに嬉しかったか。私、勇気を出して、お手紙書いて、ポストに入れて良かったわ。でも、どうして切手を貼ったか、わかる?」

「さあ、それ、気になってたの。」

「最初、誰か、住所がわかる人に宛てて郵送しようと思ってたの。それで、封筒を先に準備して、便箋を書き始めたの。でも、どうしても、ロッキーくんの飼い主がいいって思ったのよ。メリーがきっと喜ぶからって。」

 私は、微笑みながら、

「そうだったのねえ。ロッキーの写真、みる?」

 スマホでロッキーを見せると、

「ああ、そうそう、この子よ。ハンサムねえ。」

「あはは。ありがとう。」

 二人はお好み焼きを頬張りながら、

「今度、連れて来て、ロッキーくん。」

「わかったわかった。」

「さて、あと四十分でヘルパーさん、帰っちゃうから、食べたら行かなきゃ。主人が待ってるわ。」

「ちょっと包んでもらったら?」

「そうね。ドギーバッグしてもらおう。主人もたまにはお好み焼き、食べたいわね。」


 二人は店を出た。綺麗な夕焼け空だった。

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宛名の無い手紙 長井景維子 @sikibu60

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