願いひとつ叶うなら

中里朔

不死鳥

 紅葉の様子を伝えるニュースを見ながら、ふとカレンダーに目を移す。あれから何年経つのだろう――。


 今年の夏も新潟県で開催された『長岡まつり花火大会』は盛況だった。色とりどりの大輪の華が夜空を埋め尽くしていた。この大会名物である三尺玉とフェニックスはあいかわらずの圧巻だ。


 毎年、八月二日と三日に開催される花火大会は、さきの大戦末期、昭和二十年八月一日の長岡空襲で亡くなった方々への慰霊と、長岡の復興を願ったものである。

 失われた尊い命への想いを込めて、八月一日の午後十時半には「白菊」という白い花火が打ち上げられる。(十時半は空襲が始まった時刻)




 子供の頃は、夏休みになると家族そろって新潟県にある父の実家へ遊びに行くのが我が家の慣例となっていた。

 初めて見た三尺玉の破裂音は、肚に響くほどの迫力で、臆病な私には恐怖を感じるほどだった。それだけに、美しく広がる巨大な光の玉は、私の脳裏に深く根付いている。


 高校受験が近付いて来る頃には夏休みも忙しくなり、新潟へ向かう足も次第に遠退いていた。大学生になってすぐに祖母が亡くなり、数年ぶりに新潟へ行くことになった。


 この地を離れ、久々に集まった親族が言う。

「こういう時じゃないと、親戚同士でも会うことは少なくなるよね」

 私の家との距離を実感する言葉だった。新幹線や高速道路など、交通機関が発達した今でも遠い場所にあるのだと思った。


「また花火見にきたらええて」

 訛りのある伯父の言葉は理解できても、はっきりと「はい」と返すことはできなかった。来たくないわけではない。ただ、山や田んぼばかりの地域では、楽しむような場所すらないのだ。その時の私には、気の合う友達や賑やかな都会の方が魅力的に感じていた。




 今年も長岡の花火を見に行かなかったな……。

 ふとしたきっかけで、初めて見た迫力のある大輪の華を思い返す。空襲から五十九年という長い歳月が過ぎていた。

 その年の秋。夕方のテレビ番組が、一斉に緊急ニュース速報に切り替わった。のちに「新潟県中越地震」と名付けられる最大震度七の大地震だ。

 ほどなくして震源地が父の実家にほど近い場所と特定され、心配になった母が電話をかけてみる。しかし、つながらない。職場から帰った父も地震を知り、再び家の電話と従兄の携帯にもかけてみるが、やはりつながらなかった。通信網は完全に寸断されているようで、他に連絡を取る手段がない。この日は被害状況もわからず、不安の中、眠れない夜を過ごした。


 翌日のテレビ映像で、震源地付近の中継があり、私は思わず息を呑んだ。

 見覚えのある風景が映る。いや、私が知っている風景は無残に崩れていた。最寄りの駅前に広がる商店街は、いくつかの店がぺしゃんこに潰れていたり、大きく傾いてる。崩れた家の瓦礫が道路を塞いでいた。その道路もひび割れ、アスファルト下の地面が露出している。地中に埋まっているはずの水道管が浮き上がり、マンホールが地上に飛び出している。

 目を覆いたくなるような惨状だった。


 テレビの中継はヘリコプターからの映像に切り替わった。

 川沿いの道路。崖崩れで数台の車が大きな岩に押し潰され、川べりまで転落している。遠くの山肌にも抉られたように崩れた形跡があった。上空からでもゴルフ場が酷く地割れしているのがわかる。新幹線が脱線しているとの情報もあった。

 いまだに連絡が取れない状況に、私たち家族はただ無事を祈るしかなかった。


 地震発生から二日が過ぎた。ようやく通信ができるようになったのか、携帯電話から全員無事だという連絡が届いた。とりあえずは安堵する。家もなんとか持ちこたえたようだが、壁が剥がれたり、家具が散乱するなど、室内はめちゃくちゃだと言っていた。付近の道路は寸断され、孤立状態にあることも知った。話している間にも余震が続いていて、孫の泣き声が電話口から聞こえてくる。


 すぐにでも片付けの手伝いや、物資を届けたい。しかし交通網は至る所で動きを止めていて、行くことはままならない。泊まりで行くことを考えれば、自分たちの居場所や食料も用意しないとならず、すぐに現地へ向かうのは現実的ではなかった。

 幸いだったのが、米農家のため、玄米の備蓄があること。庭の畑で野菜を収穫することができ、食糧問題については心配がない。水は自衛隊がヘリコプターで運んでくれたようだ。


 結局、私たちがこの地を訪れたのは、震災から半年も過ぎていた。まだ一部の線路が復旧していない。行けるところまでは電車で行き、そこからタクシーを使う。道路は仮補修が済んでいる状態で、ひび割れの残るでこぼこ道をゆっくりと進んで行く。


 父の実家では、すでに片付けは済んでいたものの、部屋の壁は割れたり剥がれたままだ。壁の修繕をするにも部材がない。食料や生活品などの物資は届くが、補修用品のような緊急性のない品物はなかなか入ってこないという。

「家の方はもう少し落ち着いてからやるよ」

 いつもなら元気な従兄の言葉には覇気がなかった。

 ここへ来るまでに通りかかった家が、何軒か取り壊されていた。古くからある家は完全に崩れてしまったそうだ。まるで違う場所に来たような気がした。

 伯父の知り合いも震災で亡くなったと聞いた。のんびりとした平穏な暮らしは、あの日を境に一変してしまったのだ。




 この夏、私は長岡にいた。

 町は生まれ変わったかのようにきれいになっている。家も、線路も、駅前も。崩れた山肌は補修され、道路も新しく作り直されていた。

 そこに私が知っている風景はない。子供の頃から見慣れていた昔ながらの家々や、雑草に埋もれそうな道路などはもう存在しない。まっさらできれいな町並みに移り変わっている。

 そこに新たに移り住んだ人がいる。新しい町しか知らない子供もいる。

 今度はこれが普通の風景になるのだろう。


 見上げた夜空に白菊が上がる。同時に近隣の寺院からは鎮魂の鐘が鳴り響く。

 ここで暮らしてきた人たちが平穏を取り戻し、未來へ紡いでいけるように願いを込めて。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

願いひとつ叶うなら 中里朔 @nakazato339

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ