窮鼠の家庭

椿生宗大

私のOidipūs

 畳の部屋に立ちこめる寝息の雰囲気は毎朝襖が開いた途端、朝に変わる。母の後ろにある窓から日光が味方して母の声に明るさをより加えると、「起きて。幼稚園に行く準備!」と聞こえてくる。眠そうな振りをしていてもキッチンへ戻って洗い物をしている母の急かす声はまず止まなかった。良い匂いのする机のほうにうがいをしてから向かって、自分の腰より高い椅子に、木製の段を一つ小さな足で蹴って先につくと、食卓には母の料理が並んでいた。白米、わかめの味噌汁、少し苦手な目玉焼き、朝食らしい顔ぶれである。私は「いただきます」と言った後、必ず卵の黄身に張った膜を破って溢れ出す液体に醤油をかけその混ざり合うのを見てからご飯に箸をのばした。料理上手な母の料理である。「急いで食べて」と幾度と言葉が飛んでこようが味わうことをやめた試しはない。朝食を食べた後、戦隊モノのパジャマから幼稚園の制服にお着替えをすると、歯磨きやトイレをして玄関に手を引かれつつ行くのである。いつも朝の玄関は少し広かった。私が寝床でぬくぬく眠っている内に働きに出る"父"がいるからである。

 いつかの土曜日か日曜日かの話である。母親と認識している声が襖の奥から聞こえて来たので目覚めると、食卓のところで「この人がお父さんだよ」と聞かされたのである。体格差がありすぎる上に数字というものに馴染みのなかった僕は目測で身長がいくらだというのは分からずに"父"を眺めていた。とてもハンサムで、剃り残しもなく綺麗な肌で、男らしさを感じる手足を備えている人形であった。一方私は鼠である。小鼠などは愛嬌以外取り柄がないと言っても過言ではない。私は丸まった手を彼と自分の胴体に置いて上目遣いをして、次の母の言葉に期待していた。母はお父さんと呼ぶのを待っている眼差しを向けるばかりで、その男の人との間に築いた安定した絆を見せつけてくるのだった。すると父の方から話しかけられた。「お母さんとは仲良くやっているか。」と。僕はゆっくりゆっくり「仲良くしてるよ。」と返す。そこからもテンポの悪いぎこちない親子の会話が続いた。平日まず会うことが無いとの父との会話はなんとなく他人行儀で、母とは対照的で彼の質実とした空気感に呑まれて萎縮をせず話すなど出来なかった。父親との関わりが欠けている日常を送っていたためだけだと言うのだろうか、私は私と父は明らか違う種類の生物であるという疑いを捨てきれずにいた。毎週末、母がその人を父と呼び、その人が分厚い手の皮で頭をポンポンと撫でてくれたり、ちょっとしたことで褒めてくれたり、親らしい態度を向けられてる間にそんな疑念は丸呑みしてしまって私はその人を父と呼ぶようになった。

 父は私への教育への一環で某通信教育の教材を取り寄せてくれていた。幼稚園でたっぷりのお昼寝をして走り回って帰宅した後は、母に見てもらいながら読み書き計算の練習をしたものである。いつかの日曜日に私が書いた手紙を父が盗み見て「"な"が上手だ」とか「"に"のハネが綺麗だ」とかそんなありきたりな感想を言ってくれたことがあった。母とは違った低い声の響きだからか頭に妙に残った。それが私のやる気を滾らせるには十分であったことは言うまでもない。それからというもの、テキストを消化する速さは中々のもので時には届いたその日のうちにやり切ってしまうなんてこともあった。私は父の自慢の息子になりたいと小さな頭の片隅に願いを置いて過ごすようになっていたのだ。横浜かどこかのレジャー施設で父と一緒にトイレにいるとき「平日会えなくて悪いなあ」という声を漏らしたことがあった。私は父が家庭を守るために残業をしていることを知っていたし、それもまた受け入れていたのだった。だから「別に大丈夫だよ」と言う返事をしたのを覚えている。すると父は「俺がいないときはお母さんのこと守ってやってくれよ」と今思えば冗談めいた言い方で頼んできた。この言葉を真に受けて私は父に似たの男らしさを獲得しようだなんて思うようになってしまったのだと思う。それ以降、登校中は、吠えてくる散歩途中の犬と母との間に入ってみたり、車の音がする方を歩いてみたり思いつく行動で単純な男らしさを示そうと躍起になった。母に引かれる手を、自分が守ってやっていると思い込む為に偽の勇ましさを誇示し続けたのであった。実際は小さな手をしっかりと握られて守られている立場で、母は呆れたように笑う場面も多々あっただろう。

 私の父に対する憧れが強まる度に自身の無力さを恨む傾向は強まったと思う。母に興味本位で父の良いところを尋ねたとき、勝手にニコニコして回答するのだ。また、土日の夜にテレビを点けながら父も含めて晩ご飯を食べるとき、何時にも増して明るい顔で笑うのだ。僕はその度自分の醜い姿のせいにしようとした。体が小さく、周りとキョロキョロする習性を既に身につけていた自分の、大人には愛嬌で済まされる程度の醜さがあるのを恨もうとした。大して重要でない要素に目を向けて本質を目を向けない悪癖が宿る不出来な子どもの自分だから、私でそんな笑い方をしないのだと信じようとした。私の親である前に父の恋人であった、妻である母は今もゲラゲラと笑っている。私に見せる聖女のような雰囲気とは反対にその男の前で気を許している様子があるのである。平日の過酷な労働に耐え、週末は父として子どもとの関わりを大切にする、一家の大黒柱に首っ丈なのである。私が父に憧れる理由は明確だった。母の父に対する態度への憧れであった。つまりは母への独占欲である。父の言葉にやけに感化される訳も、母に認められた人の言うことだからと思っている部分は多少なりとも在るだろう。私は鼠版オイディプスである。種類の違う生き物という身の上で、私に根を張る父の偶像を殺さなければならない。

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窮鼠の家庭 椿生宗大 @sotaAKITA1014

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