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僕はどんな風にものを見たら良いんだろうか

18年間生きてきて無意識下に実行してきた思考法が僕にある。それが自分を介して他人を見るというものなのだろう。実際そうだ。僕より出来る人、僕よりモテる人、僕より恵まれた人、僕より器用な人、僕より笑う人、僕より何か持ってる人は世の中の皆である。全員を評価するとき自分よりどうなのかというのを自然と考えてしまう癖はあると思う。それによって劣等感に苛まれる節もあるとは思う。が、それ以外の方法で人を見る方法を僕は知らない。神経を伝って入ってきた情報を脳で処理するという自分という個体に染みついたやり方を今更になって変えるなんて半ば諦めている自分もいるし、矯正の方法はきっと現代科学でも確立できていないんじゃないかと思う。僕の考え方や振る舞い方が気に食わないと見えて文句を言うのは構わないが、筋道があやふやなところを指摘されても困ってしまう自分がいる。分からないことは分からない、これが開き直り的な響きを持つことも重々承知ではあるが、これは現時点での答えであり、無知を自覚するという形で一旦保留するというスタンスがある。僕は研究者気質ではないから、その道の第一人者になろうだなんて気概も無く、誰かさんが再現性のあるものを根拠を用意して発表したら勝手に真似して頂こうとする愚かな人間なのです。僕が考えを放棄し別の人になるときにはきっとそんな科学が普及している頃でしょう。
口出しを出来るのは持っている人だけなんて極論を振りかざすのでは芸がないが、学歴に関して旧帝一工神筑横千電農名繊早慶同理明以外の人間が堂々と発信をするのが寒いように、僕を否定したいならその否定に正当性を感じれるように貴方が根拠を作るなり自己開示するなりして欲しいものです。高飛車で嫌気がするよ。

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