神さまははずかしそうに笑う

未来屋 環

ぼくと神さまの秘密

 ――そう、あなたはぼくの神さまだから。



 『神さまははずかしそうに笑う』/未来屋みくりや たまき



 学校から帰ってランドセルを置いたら、今日もぼくはひとりで近くの公園に行く。


 お父さんはいない。

 お母さんは仕事で、帰ってくるのは夜だ。

 家にいてもいいけど、テレビを見るのもあきてしまったから、いつからかぼくは公園に行くようになった。


 同学年の子たちが楽しそうにサッカーをしているけれど、ぼくの待ち合わせ相手は別にいる。

 公園のすみっこのベンチに近付いて行くと、すわっていたそのひとが顔を上げた。


「お、来たな」


 そのひと――お母さんみたいにかみを後ろで結んだおじさんは、ニヤリと笑う。

 ぼくは「今日もお願いします」と頭を下げた。



「君はみんなと遊ばないの?」


 ぼくがおじさんと出会ったのは、ひと月ほど前のことだ。

 ぼくがぼーっとベンチにすわっていたら、そう話しかけられた。

 いっしゅん、知らない大人としゃべっていいのか不安になったけど、おじさんの目がやさしそうだったから、ぼくはドキドキしながら答える。


「うん。だって、ぼく走るのおそいし、みんなのじゃまになっちゃうから」

「それなら、速く走れる方法教えてやるよ」


 話を聞いてみると、おじさんは昔陸上の選手だったらしい。

「お手本だ、よく見てな」と言ったおじさんは、合図と共にすごい速さで飛び出した。

 風を切って走るすがたがかっこよくて、ぼくは思わず見とれてしまった。



 そして、あの日から毎日ぼくはおじさんに特訓を受けている。

 そのおかげか、この前の体育の50メートル走でぼくは初めてビリをだっしゅつすることができた。


「おじさんは神さまだね」


 こうふんしながらそう伝えたら、「そんなたいそうなもんじゃねぇよ」と、おじさんははずかしそうに、でも少しだけうれしそうに笑っていた。


 ***


 今日は日曜日。

 お母さんがお昼を外で食べようと言うので、ぼくは大好きなカレーをリクエストした。


 駅前のカレー屋さんに入って、ぼくはチーズがのったやつを、お母さんは玉子がのったやつを注文する。


「お待たせいたしました」


 聞き覚えのある声がした。

 顔を上げると、そこにはおじさんがいる。

 いつもとは違うふんいきのおじさんにおどろいて、ぼくは何も言えずまじまじと見つめ返してしまった。

 おじさんも固まったようにぼくを見ている。


「ほらおじさん何やってんの、早くして!」


 店内に大きな声がひびいた。

 カウンターのおくで、店員のお兄さんがこちらをじろりとにらんでいる。

「すみません」とおじさんは小さな声で言って、すばやくもどっていった。


 お母さんが心配そうに「どうしたの?」と聞いてきたので、ぼくは「何でもないよ」と思わず答える。

 その間にも、おじさんはそのお兄さんにずっといやみを言われていた。


 ――いや、何でもなくない。

 お母さん、あのひとは神さまなんだよ。

 ぼく、あのひとのおかげで足が速くなったんだ――。


 言いたいことはたくさんあるはずなのに、口から言葉が出てこない。

 ぼくはうつむいて、おじさんが運んできたカレーを口に入れる。

 大好物のはずのカレーは全然味がしなくて、まるで空気を食べているみたいだった。


 ――そして、ぼくたちが帰ろうとしたその時、じけんは起きた。


 ぼくのとなりにすわっていたお客さんがそわそわしていたと思ったら、いきなり立ち上がって外に出て行ってしまったのだ。

 いつお金をはらったんだろう――そう不思議に思ってカウンターの中を見ると、ぽかんとしていた店員のお兄さんが、はっとしたようにさけぶ。


「――く、食いにげだ!」


 店内が一気にざわついた。

 お兄さんはただあたふたしている。

 どうしよう、ぼくがお母さんの方を見ようとしたその時――ぼくの横をだれかがすごい速さでかけぬけていった。


 ――そう、ぼくはそのひとの正体を知っている。


 急いでお店の出口に走ると、ドアが開いたその先には、すでに店の外に飛び出したそのひとの後ろ姿があった。

 どんどん小さくなっていくせなかは、光の中に消えていく。


 だれよりも足が速いそのひとは、きっかり3分後ににげたお客さんを連れて帰ってきた。

 ぼくのお母さんに「けいさつに電話して!」と言われるがままに電話を終えた店員のお兄さんは、少しバツが悪そうな顔をしている。


「おじさんやるじゃん……」


 ぼそっとつぶやいたお兄さんの声を聞いて、ぼくは何だかほこらしい気持ちになった。


 そうだ、おじさんはすごいんだ。

 だって――おじさんはぼくの神さまなんだから。


 ふと、こちらをふり返ったおじさんと目が合う。

 そして、ぼくのガッツポーズを見て――神さまはあの時と同じように、はずかしそうに笑った。



(おしまい)

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