第45話 木漏れ日のニュータウン

 なんと遠藤に新しい就職先を世話したのは、かつて加算学園事件の折には、国会で「局長、部下を見捨てるんですか」と詰問された鵜飼理事だという。

 それをラマに伝えた同僚は「裏切り者」という敵意と「羨ましい」という嫉妬の入り交じる気持ちを言外に表していたが、ラマにはそれが、嬉しい知らせだった。遠藤は病んでいなかった。


 2018年に財務省の職員、赤木俊夫さんが心を病んで自殺した。総理大臣の愚かな発言と、その尻拭いのために命じられた不正行為の強要が原因だ。

 赤木俊夫さんと同じ不幸の構造は、その後も全国に広がっているだろう。人が心を病まないためには、労働基準法や公益通報者保護法などの法的保護が実効性を持つのは言を俟たない。しかし、そのような政策次元の話とは別に、法人や機関のような「社会の約束ごと」のために、地球に生まれた1つの生命が犠牲になってしまう原因は、社会というシステムのバグ、プログラム設計に潜む論理矛盾のようにラマには思える。


 同じようなバグは鶴亀ムラにもあった。心を病む人と組織の不合理が表裏一体の因果関係にあるようにラマには思える。そして、それに対して彼は、何もできなかった。病んでいく同僚の力になることも、無駄に思える予算執行を止めることもできなかった。

 ラマは、小田嶋隆が生涯唯一の小説「東京四次元紀行」を雑誌に連載し始めた年齢に自分が達していることに気がついた。

 <生涯唯一の小説を、自分も書いてみようか>


 同僚は遠藤の再就職に至る経緯を細かく話してくれた。

「さーっすが、文科省の天下り斡旋問題で戒告を受けただけあって、頼れるねえ、加算、いや鵜飼理事」、ラマは話し続ける。

「あ、ところで、オレのバイク、要らない?」

 すでに同僚の何人かに聞いてみたが、バイクを欲しがる者はいない。年功序列で終身雇用の閉鎖系、鶴亀ムラに暮らす事務員がラマのバイクに乗ることで、彼らが背負うかもしれない無用なリスクに、ラマは思い至らない。


 不安定な天気が続いていたが、昨晩までの雨が上がり、降水確率は0%。ラマは通勤のため、久しぶりにバイクのセルを回した。

 慌ただしい国道を避けて、丘陵の背骨のように延びるニュータウンの市道へと右折する。

 長い雨の間に沿道のサツキは、すっかり消えてしまった。延々と続くピンクの花が手を振っているようで、照れ臭いような気持ちにさせられた。あのド派手なピンクの花道は消えて、今は淡い青やピンクの紫陽花が、ポツリ、ポツリと固まりになって咲いている。

 空冷の単気筒エンジンは、信号の無い直線道路をトコトコと走るのに向いている。

 桜並木の木漏れ日を抜けると、プラタナスの明るい葉が高く揺れている。新緑だった樹々が、今は濃淡を増して、それぞれのリズムで風に踊る。

 花々の季節が終わり、キラキラと光る葉が「準備完了!」とばかりに夏を待っているようだ。柔らかな風と日差しは、やって来る夏を予感させるだけで、もう冬を思い出すこともない。


 長い直線が終わると、道はゆるやかな登り坂になり、左へ大きな弧を描く。

 右側には背の高い雑木林が茂り、宅地開発以前の面影を残す。

 緩やかなカーブが、どこまでも続く。

 少しずつアクセルを開き、少しずつ車体を傾ける。

 緩やかなカーブが、どこまでも続いていく。

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