【SF短編小説】崩壊の螺旋 〜希望の灯火〜(約5,000字)

藍埜佑(あいのたすく)

【SF短編小説】崩壊の螺旋 〜希望の灯火〜(約5,000字)

## 第一章:灰色の世界


 灰色の空が、朽ち果てた高層ビルの残骸を覆い尽くしていた。かつては人々の熱気に満ちていたこの街も、今では静寂に包まれている。そんな世界で、17歳の少女・朱音あかねは、今日も生きるための物資を探して歩いていた。


「はぁ……今日も何も見つからないか」


 朱音は、がらくたの山を掻き分けながら、ため息をついた。彼女の赤い髪が、色あせた世界で唯一の彩りのように見える。


 突然、朱音の背後から物音がした。


「誰!?」


 朱音は素早く振り返り、懐から錆びたナイフを取り出した。しかし、そこにいたのは一匹の痩せこけた犬だった。


「あら、びっくりした……」


 朱音は安堵の表情を浮かべ、ナイフをしまった。犬は彼女をじっと見つめている。


「あなたも、お腹が空いているのね」


 朱音はポケットから乾パンの欠片を取り出し、犬に差し出した。犬は警戒しながらも、ゆっくりと近づいてきた。


「ほら、怖くないわ」


 犬が乾パンを食べ始めると、朱音は優しく頭を撫でた。


「こんな世界でも、まだ優しさを忘れないでいられるなんて、君は強いね」


 突然聞こえた声に、朱音は驚いて振り返った。そこには、黒いコートを着た青年が立っていた。彼の瞳は、不思議な光を湛えていた。


「あなた、誰……?」


「僕の名前は、あお。君と同じ、この世界の生き残りさ」


 蒼は朱音に向かって微笑んだ。その笑顔には、どこか悲しみが垣間見えた。


「生き残り……? 他にも生きている人がいるの?」


「ああ、少なくとも僕たち二人はね」


 蒼の言葉に、朱音の胸に小さな希望が灯った。しかし同時に、警戒心も芽生えた。この崩壊した世界で、見知らぬ人間を簡単に信じることはできない。


「どうして、こんな所にいるの?」


「君と同じさ。生きるために必要なものを探している」


 蒼は朱音の目をまっすぐ見つめながら答えた。その瞳に嘘は感じられない。


「そう……じゃあ、一緒に探してみる?」


 朱音は少し躊躇いながらも、提案した。二人で探せば、何か見つかるかもしれない。そして何より、孤独から解放されるかもしれない。


「ああ、そうしよう」


 蒼は笑顔で頷いた。二人は並んで歩き始めた。朱音の足元では、先ほどの犬がぴったりとくっついて歩いている。


 三つの影が、灰色の街に小さな変化をもたらし始めていた。しかし、彼らはまだ知らない。この出会いが、世界の運命を大きく変えることになるとは――。


## 第二章:隠された真実


 朱音と蒼は、廃墟と化した街を歩き続けた。時折、朱音は蒼の横顔を盗み見ては、この不思議な青年の正体を探ろうとしていた。


「ねえ、蒼くん。あなたは、この世界がこうなる前のことを覚えている?」


 朱音は、少し勇気を出して尋ねた。蒼は歩みを止め、遠くを見つめながら答えた。


「断片的にね。でも、はっきりとは……」


 彼の言葉は途切れた。その瞳には、深い悲しみが宿っていた。


「私も、よく覚えていないの。でも、きっと素敵な世界だったんだと思う」


 朱音は空を見上げた。灰色の雲の間から、かすかに青空が覗いていた。


 二人が歩を進めると、大きなショッピングモールの廃墟が見えてきた。朱音は期待に胸を膨らませた。


「ねえ、あそこに行ってみない? 何か見つかるかもしれない」


「そうだね。でも気をつけて。建物が崩れかけているから」


 蒼の忠告に頷きながら、朱音は慎重に建物に近づいた。入り口は瓦礫で塞がれていたが、側面に小さな隙間があった。


「ここから入れそう」


 朱音が身を屈めて入ろうとしたとき、蒼が彼女の腕を掴んだ。


「待って。僕が先に行く」


 蒼は朱音の前に立ち、慎重に中に入っていった。朱音は少し驚いたが、彼の優しさに心が温かくなるのを感じた。


 内部は、かつての繁栄を物語るように、商品の残骸が散乱していた。二人は注意深く歩を進めながら、使えそうなものを探した。


「あっ、これ」


 朱音は棚の影から缶詰を見つけ出した。ラベルは剥がれていたが、中身は無事そうだった。


「良かった。他にも探してみよう」


 蒼も別の場所を探し始めた。しばらくすると、彼は奇妙なものを手にしていた。


「これは……」


 それは、錆びついた金属の箱だった。蒼はそれを慎重に開けようとしたが、固く閉じていた。


「何か大事なものが入っているのかも」


 朱音は興味深そうに箱を覗き込んだ。


 突然、建物が軋むような音を立てた。二人は驚いて顔を見合わせた。


「ここは危ない。早く出よう」


 蒼の言葉に頷き、二人は急いで外に出た。その時だった。朱音の足が何かに引っかかり、彼女は前のめりに倒れそうになった。


「危ない!」


 蒼は咄嗟に朱音を抱きかかえ、彼女を守るように身を屈めた。そのまま二人は転がるように外に出た。


 轟音と共に、建物の一部が崩れ落ちた。埃が舞い上がり、二人の視界を奪った。


 しばらくして埃が収まると、朱音は自分が蒼に抱きかかえられていることに気づいた。彼女の頬が赤く染まる。


「大丈夕夫? 怪我はない?」


 蒼の声には、心からの心配が込められていた。


「う、うん。大丈夫」


 朱音がそう答えると、蒼はほっとしたように微笑んだ。しかし次の瞬間、彼の表情が凍りついた。


「蒼くん? どうしたの?」


 朱音が不思議に思って蒼の顔を見上げると、彼の目は朱音の左手に釘付けになっていた。


「その……腕輪」


 蒼の声が震えていた。朱音は自分の左手首を見た。そこには、彼女がずっとつけていた銀色の腕輪があった。


「これ? ずっと昔からつけてるんだけど……」


「それは、選ばれし者の印だ」


 蒼の声は、突然厳しいものに変わった。朱音は混乱した。


「選ばれし者? どういうこと?」


 蒼は深く息を吐き、朱音から離れた。彼の瞳に、決意の色が宿る。


「話すべきことがある。この世界の真実について」


 朱音は息を呑んだ。彼女の心の中で、不安と期待が交錯する。これから聞く真実が、彼女の人生を、そしてこの世界の運命を大きく変えることになるとは、まだ知る由もなかった。


## 第三章:選ばれし者の宿命


 夕暮れ時、朱音と蒼は廃ビルの屋上に腰を下ろしていた。遠くには、朽ち果てた都市の風景が広がっている。蒼は深く息を吸い、話し始めた。


「この世界は、実は……


 朱音は、自分の耳を疑った。


「シミュレーション? どういうこと?」


「人類は、はるか昔に環境破壊と戦争で実世界を滅ぼしてしまった。生き残った者たちは、仮想世界——このシミュレーションの中で生きることを選んだんだ」


 蒼の言葉に、朱音は言葉を失った。彼は続ける。


「しかし、シミュレーションにもエラーは起きる。今、私たちが見ているこの崩壊した世界は、そのエラーの結果なんだ」


「じゃあ、私たちは……本当の人間じゃないの?」


 朱音の声が震えた。蒼は優しく彼女の手を取った。


「いや、私たちは実在する。ただ、この世界の中でね」


 朱音は混乱していた。しかし、どこか心の奥底で、これが真実だと感じていた。


「そして、君の腕輪……それは、シミュレーションを修復できる唯一の人物の印なんだ」


「私が? でも、どうやって?」


「その方法は、君の中に眠っている。君はそれを思い出さなければならない」


 蒼の表情が厳しくなる。


「でも、簡単じゃない。君がシミュレーションを修復すれば、この世界は元の平和な姿を取り戻す。しかし同時に、君はこの世界から消えることになる」


「消える……?」


「そう。君の存在自体が、修復プログラムなんだ。任務を終えれば、プログラムは消滅する」


 朱音は言葉を失った。自分の存在が、世界を救うためのプログラムだったなんて。しかし、同時に彼女の心に、強い使命感が芽生えた。


「でも、世界が救われるなら……」


 朱音の瞳に、決意の色が宿る。蒼はその表情を見て、悲しそうに微笑んだ。


「朱音、君は本当に優しいね。でも、もう一つ話さなければいけないことがある」


 蒼は立ち上がり、朱音に背を向けた。


「実は僕は……君を見つけ出し、任務を遂行させるために送り込まれた


 朱音は息を呑んだ。


「でも、君と過ごすうちに、僕は……君に本当の感情を抱いてしまった。これはだ。だから君が任務を遂行すれば、


 蒼の声に、深い悲しみが滲んでいた。朱音は立ち上がり、蒼の背中に手を置いた。


「蒼くん……私も、あなたのことを……」


 朱音の頬に、一筋の涙が伝う。二人は静かに抱き合った。


 その時、遠くで爆発音が鳴り響いた。二人は驚いて振り返る。


「まずい、エラーが加速している。もう時間がない」


 蒼の表情が急に引き締まる。


「朱音、決断の時だ。世界を救うか、それとも……」


 朱音は言葉を失った。しかしその瞳は決意に満ちていた。


## 第四章:究極の選択


 朱音の目の前で、世界が歪み始めた。建物が溶けるように形を変え、空には異様な色彩が広がっていく。シミュレーションの崩壊が加速しているのだ。


「朱音、もう時間がない!」


 蒼の焦りに満ちた声が響く。朱音は自分の左手首にある銀色の腕輪を見つめた。その中に眠る力で、世界を救うことができる。しかし、それは同時に自分の存在を消し去ることになる。


「私は……私は……」


 朱音の心の中で、激しい葛藤が渦巻いていた。世界を救う使命と、生きたいという願望。そして、蒼との新たに芽生えた感情。


 突如、朱音の脳裏に、断片的な記憶が蘇った。


「私は……私は選んだの」


「え?」


 蒼が驚いた表情で朱音を見つめる。


「私は、このシミュレーションに入る前、自分の意思でこの役割を選んだの。世界を……人々を救うために」


 朱音の目に、強い意志の光が宿った。


「蒼くん、ありがとう。あなたと出会えて、本当に幸せだった」


 朱音は優しく微笑んだ。その笑顔に、蒼の胸が締め付けられる。


「待って、朱音! 他の方法があるはずだ。一緒に探そう。僕たちはまだ……」


 蒼の必死の訴えを、朱音は優しく遮った。


「もう決めたの。これが、


 朱音は腕輪に手を当てた。腕輪が淡い光を放ち始める。


「蒼くん、約束して。新しい世界で、みんなが幸せに生きられるように見守っていて」


「朱音……」


 蒼の頬を、熱い涙が伝う。


 朱音は目を閉じ、深く息を吸った。そして、腕輪の力を解放した。


 眩い光が朱音を包み込む。その光は瞬く間に広がり、崩壊しつつある世界全体を覆っていった。


 蒼は、消えゆく朱音の姿を必死に目に焼き付けようとした。


「さようなら、蒼くん。きっとまた……」


 朱音の最後の言葉が、風のように蒼の耳に届いた。


 光が世界を覆い尽くす。そして、すべてが白く染まった。


## 第五章:新たな幕開け


 蒼が目を覚ますと、そこは色鮮やかな草原だった。青い空、輝く太陽、そしてさわやかな風。かつての美しい世界が、完全に修復されていた。


 彼の周りには、目覚めたばかりの人々がいた。みな、困惑した表情を浮かべている。


「ここは……?」


「何が起こったんだ?」


 人々の声が、あちこちから聞こえてくる。


 蒼は立ち上がり、周囲を見回した。朱音の姿はどこにもない。彼の胸に、深い喪失感が広がる。


 しかし、ふと彼の目に、一輪の赤い花が映った。その花は、朱音の髪の色を思わせるような鮮やかな赤色をしていた。


 蒼はその花に近づき、そっと手を伸ばした。すると、花びらが風に乗って舞い上がった。その瞬間、蒼の耳に、かすかな囁きが聞こえた。


(新しい世界を、よろしくね)


 朱音の声だった。蒼の目に、再び涙が浮かぶ。しかし今度は、悲しみだけでなく、希望の涙でもあった。


「ああ、約束する。必ず、この世界を素晴らしいものにしてみせる」


 蒼は空を見上げ、強く誓った。彼の周りでは、人々が少しずつ状況を理解し始め、新たな世界での生活を模索し始めていた。


 朱音の犠牲は、決して無駄ではなかった。新たな幕開けの時が、今まさに訪れようとしていた。


 蒼は、ポケットから錆びた金属の箱を取り出した。朱音と一緒に見つけたものだ。今なら、きっと開けられるはずだ。


 箱を開けると、中には一枚の写真が入っていた。そこには、幼い頃の朱音と、彼女の両親らしき人物が写っていた。写真の裏には、メッセージが書かれていた。


「愛する娘へ。あなたの選択が、どんなものであれ、私たちは誇りに思います。新しい世界で、幸せでありますように」


 蒼は写真を胸に抱きしめた。朱音の存在は、確かにこの世界に生き続けている。


 彼は決意に満ちた表情で、新しい世界に向かって歩き出した。朱音の思いを胸に、よりよい未来を作るために。


 遠くで、鳥のさえずりが聞こえた。新たな朝の訪れを告げるかのように。


(了)

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