新釈十九女伝説

間 敷

新釈十九女伝説

 幼い頃に会うた奇妙な娘が忘れられないと、齢九十九を数える豆吉爺さんは呟いた。姿はみえぬが村のどこかでいつも笛を吹いている、歳の頃は十九歳くらいだとうわさされていたので、十九女と書いてつづらさんと呼ばれていた。

 池の近くで野草を摘んでいた豆吉少年は、日頃から虫や蛇などと心を通わせることができた。皆に不気味がられるので押し黙ることが多く、そのために内気な子どもだと思われていた。豆吉はどういうわけか、ひっそり姿を現したつづらさんと世間話を交わすようになった。つづらさんは決して陽の下にはでてこないのだが、茂みの中や柳の木の下でうっすら微笑んでいるのだった。

 彼女は笛が達者だった。吹くのは篠笛のようだったが、割れ止めに藤(とう)を巻き、漆を塗っただけの庶民的な篠笛とはやや形が異なる。豆吉の話を聞くに、それは中国大陸から伝わった龍笛ではないかと笛吹きのお芳が言った。信濃からの旅人で彼女もまた笛の名手である。お芳が豆吉の家に居つきふたりがやがて所帯を持った頃から、不思議なことが起こるようになった。夜中にとんとんと戸を叩いて「お椀を貸してくださいまし」という女の声がした。

「お芳、おれが見てくるよ」と、聞き覚えのある声にはっとした豆吉は、妻を引き留めておそるおそる戸をすこし開ける。そこにはかつて見たのと変わらぬ姿をしたつづらさんが、紫色に底光りする不思議な瞳と濡れたような長い髪をして、そこに立っているのだった。女がお椀を借りにくることは、それから月に一度の割り合いで何回か続いた。お芳はある時、返却されたお椀が妙に生ぐさいことが気に掛かり豆吉に相談した。

「昔ばなしでは、あの女(ひと)のような存在は龍女か蛇女だと聞いたことがある。お椀の底に針を仕込むと、次の晩には別の場所に移り住みますという手紙を最後に姿を消してしまったそうだ」

「豆吉さん、ほんなら私たちはつづらさんにお椀を差し上げますから、どうかお池で静かにお過ごしくださいとお祈りしましょう」

それは良い案だとふたりは立派な漆塗りのお椀を、精いっぱいの贅を尽くした膳と一緒に引き出物として玄関の外に置いておくことにした。

 ところが悪いことに数日後、豆吉は誤って鍬を池に落としてしまう。池を洗いざらい探したが、落とした金物は見当たらぬ。ただ、何かに潰されたような蛇のなきがらを池のすぐ傍で見つけてしまった。

 川の流れと同じように、時は戻らぬ。龍は無念を晴らさない。申し訳なさ、情けなさとともに、それが天の思し召しかと豆吉は奥歯を噛み締める。

 ひょっとしたら自分はつづらさんの化身を殺めてしまったかもしれぬが、龍神様の怒りを体現したような災いはありがたいことに身に降りかかることのないまま、ここまで生きてこられた。皺だらけの目尻に涙が滲む。龍女はこの年、ずっと見守っていた豆吉爺さんをいよいよ迎えにゆくと夢で告げたそうだ。

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