ウェル ビーイング

@koh0218

第1話

 顔色が真っ白だと美由は思った。ベッドサイドモニターの心拍数は30-40代を行ったり来たりしている。

 もう少しでこの方はこの世を離れる。

 そんな時にどうして、横にいるのが私なんだろう……。



個室の佐藤さん


(渡辺さんの点滴があとちょっとしかない!早くボトルを替えないと、お局に何を言われるか……!)

 Nsステーションを目指して走る美由は、この北呼吸器内科病院に勤めて2年目の看護師だ。髪を束ねなきゃいけないのが面倒で、いつもショートヘア。同僚のヨリに意識が低いとため息をつかれるが、今は髪よりも仕事が大事。

 もう少しでNsステーションというところで、首から掛けている院内ピッチが鳴った。

(え~誰?この部屋番号は……くっ……!)

 忙しいときに限って……と美由は顔を歪ませた。

(渡辺さんの点滴の速度を緩めてきたから、まだ10分程度の猶予はある、たぶん)

 と瞬時に計算し、美由はNsコールが鳴った部屋へ急いだ。

「佐藤さんどうなさいましたー?」

 美優はハァハァと息を切らしながら個室の主に声をかけると、一拍遅れて

「……取って」

 と、佐藤さんのかすれた声が返ってきた。酸素マスクのせいでこもって聞こえる。彼が指を差した先を見ると、箱のティッシュが落ちていた。

(あ……これだけでお呼びになったのね……。体が動かないから仕方ないけれど……ね)

「はい、どうぞ。こちらに置いておきますね」

 心の中とは裏腹に女優スマイルを作ってから、スピーディーに床頭台にティッシュを置く。

「……テレビ」

 ティッシュを拾ったお礼ではなく、次の指示を佐藤さんがつぶやいた。

「あ、テレビですね~リモコンどこですかね~」

 これじゃ看護師じゃなくてお手伝いさんだなと思いながら、美由はサッとリモコンを探した。

(なんでそんなところに?)

 ベッドの中を動けるなら自分で探してくださいよ、と美由が思うほどベッドの下の方にリモコンが隠れていた。

「はい、どうぞ」

「……ん」

 佐藤さんはテレビの方を向き、モゾモゾと動く。

(もういいのかな? いいよね?点滴大丈夫かな~)

 焦りを隠しきれず、美由はそろりそろりと個室から出ると、

「美由さん」

 背後からかけられた太い声に危なく「ヒィッ!」と言いそうになった。なんでここにいることを知っているのかな……と思いながら小柄な美由は振り返ってお局を見上げた。

「渡辺さんの点滴替えておいたよ、前から言ってるけどあの人の血管は細くてルート取りにくいんだから注意してよね!潰されちゃ敵わないわ!」

 私だってやろうと思っていたのにー、と美由はふてくされながら

「すみません」

 と潔く謝った。プンスカ怒るお局の背中を見ながら、

「私があんなに急いだ意味って……」

 と、美由は病棟内で白目を剥きそうになった。



家族と疎遠の佐藤さん



 美由はチューハイとおつまみが入ったビニール袋を持ち、同じ寮に住むヨリの部屋のインターフォンを押した。

「お局、私のこと見すぎじゃない?確かに渡辺さんの血管確保なんて無理だけどさ!」

 ヨリは笑いながら皿にお菓子を盛っている。

「確かにね、血管どこですか?ってなるよねw」

 美由はチューハイを選びながら

「佐藤さんからのNsコールがタイムロスだったなぁ。熱を測るときにティッシュを拾っていれば、お局に嫌味を言われずに済んだのに……」

「佐藤さんって個室の?」

 美由とヨリは同期入職で、新卒の頃から支え合ってきた仲だった。

「そう、家族も知り合いも面会に来ないおじいちゃん、ごはんも食べられなくなったし口数も減ってきたよね。もともと静かな人だけど」

 チョコを食べながらヨリは

「前に先輩たちが話していたけれど、佐藤さん、暴力振るう人だったみたいで、家族はみんな手を焼いていたんだって。離婚歴もあるし」

「へぇー……全然そうは見えないね」

 美由が知っている佐藤さんは入院して2か月目で、状態は緩やかに下降している呼吸器疾患の患者だ。言葉を荒げたり、Nsコールを連打することなく静かに過ごしている様子しか見たことがなかった美由は心から意外に思った。

「佐藤さん本人には弟さんがいるみたいだけど、師長が入院の連絡をしたら一切の関わりを拒否されたらしいよ。二度と連絡してこないでって言われたんだって」

 私はチューハイを飲む手を止めた。

「そうなんだ……でも佐藤さん癌じゃん。もうターミナルだし亡くなったらどうするの?」

「火葬場に直行して無縁仏に……納骨って言うのかな?されるらしい」

 ヨリは記憶を引っ張りだすように答えた。

「無縁仏……」

 美由はこれまで、ケアをするときしか佐藤さんと関わったことがなく、担当したのは今日が初めてだった。現在の状態や薬の内容は情報収集していたけれど、知っていたのはそれだけだった。

「家族に囲まれて亡くなるって幸せなことなんだね」

 看護師として働き始めてから美由は何人かのお看取りをしたが、誰も面会に来ない方は見たことがない。

「そうだね……あ!」

 ヨリの声に驚きテレビを見ると、韓国人のイケメン達がこちらに向かって微笑んでいた。その後は2人でギャーギャー言いながら踊り、佐藤さんの話をすることはなかった。



急変する佐藤さん



 翌日の朝、出勤すると夜勤さんが髪を振り乱して走っていた。

「何かあったんだ」

 美由はすぐにNsステーションに入り、乱雑に置かれた記録類を見た。昨晩、緊急入院した方の状態が思わしくないようだ。

「あ、美由ちゃん!早い出勤で助かる!朝ごはん配れてなくて~」

 夜勤さんが手を合わせながら、こっちを見ている。

「分かりましたー」

 朝方にバタバタする夜勤は残業が決まったようなものだから、メンタルがやられる。これくらいは助け合いの範疇だと思い、美由はすぐに配膳に向かった。

 大部屋の患者さんへの配膳を終え、個室エリアに着くと奥の方の病室のドアが半開きになっているのが目に入った。

「佐藤さんの部屋、なんで開いてるんだろ」

 佐藤さんは1週間前から食事も内服薬も止まっていたはず。担当看護師が閉め忘れたんだろうか。

「なんかやだな……」

 違和感が不安に変わる。

(佐藤さんの状態見ておこうかな……異変がなければそれでいいんだし)

 自分の思い過ごしであることを確認するため、美由は佐藤さんの部屋を覗き込んだ。

「おはようございまーす……あ」

 佐藤さんの顔色は昨日とまったく違った。呼吸はかろうじてしているが喘いでいる。

(……これマズイじゃん!夜勤さん、今日はとことんついていないな……!)

 と、美由は緊急用のNsコールを迷いなく押した。



DNARな佐藤さん



 別件で病棟に来ていた当直のDrが急いで診察し、カルテを見る。

「この方は……DNARか。連絡する家族もいないんだね。担当Drには伝えておくから。心電図フラットになったら連絡ちょうだい」

「分かりました……」

 佐藤さんは、心停止や呼吸停止になっても救命措置をしない『DNAR(Do Not Attempt Resuscitation)』を選択していた。高齢者や重症患者さんは緊急時の対処について、事前に医師から説明を受ける。


最後まで治療を続けるのかどうか、延命処置を希望するかしないか。


(そういえば佐藤さんのカルテにはDNARと書かれたな。入院してすぐ決めたのかな)

 心電図モニターをにらみながら考えていると、夜勤さんが走ってきて

「美由ちゃん気づいてくれてありがとう!」

 夜勤さんが泣きそうな顔を見せた。患者さんの死亡後に気づくことは、病棟では珍しいことじゃない。それだけいつ状態が変化してもおかしくないということなのだから。でも、ギリギリで気付いて対応するのと気づけないでいるのでは、その後の私たちの気持ちの持ちようや対応の早さが違ってくる。

 その日の日勤の担当患者の振り分け表を見て、美由は何とも言えない気持ちになった。経験豊富な先輩達は状態の悪い手術後の患者さんを担当しなくてはいけない。新人さんは状態の安定している患者さんを担当する。そうなると佐藤さんを担当できるのは美由しかいなかった。

「美由ちゃん看取りしたことあるよね?私もちょくちょく様子を見に行くけど、なるべく佐藤さんのそばについててね!」

 リーダーの先輩が慌ただしく走り去っていくのを見て美由は

(え!?私まだ2年目なんだけど!……まさか1人でお看取りするの……!?)

 と、血の気が引く思いがした。あたりを素早く見渡すと、みんな自分の仕事の内容を確認し、Nsステーションを飛び出してくところだった。

「私が……やるしかないんだ……」

 今にも震えだしそうな手を抑えながら、美由は佐藤さんの病室へ走って行った。



旅立つ佐藤さん



 佐藤さんの顔色は先ほどよりも白くなっていた。ベッドサイドモニターの数値だけが、佐藤さんが生きていることを伝えていた。タオルで顔や手を拭いたり、掛物を整えたりし、私は消えゆく命のそばにいた。


(佐藤さんの70年の人生のクライマックスを見届けるのが、なぜ頼りがいのない2年目の私なんだろう)

 

 美由は自分がいる空間が現実でないように感じた。佐藤さんの担当をしたのは昨日が初めて。こんなに関係の浅い人間に看取られるのは、嫌じゃないだろうか。美由は白い佐藤さんを見ながら心で話しかける。


 会いたい人はいませんでしたか。

 見たい景色はありませんか。

 あなたの最期はこれでよかったんですか。


 視線が合わない佐藤さんは当然答えてくれなかった。

 モニター上の心拍数が30代から20代へ下降している。呼吸も止まりそうだ。


 ―――死に様は生き様だ。

 

 教えてくれたのは、この前退職したNsだった。

「死に方にはその人の生き方が現れると思うんだ。家族を愛した人は家族に囲まれて、家族を蔑ろにした人は1人で死んでいく。どんな人生を歩んできたか、これほどはっきりと現れる瞬間はないだろうね」


 美由は心の中で佐藤さんに問いかけ続けた。

 佐藤さん、あなたはどうして1人で旅立とうとしているのですか。そばにいるのが私なんかでごめんなさい。あなたの思いをもっと聞けたらよかったのに……。

 心電図が平坦になり、ピー……と異常を伝える長いアラームが鳴った。美由は淡々とDrに電話をかける。病室に来たDrにすぐにペンライトを渡し、佐藤さんの死亡が確認された。Drと私が合掌する。今まで佐藤さんの命をつなぎとめていた点滴をはずす。


 佐藤さんは何も言わずにこの世からいなくなってしまった。



個室からいなくなった佐藤さん



 日勤の翌日、美由は休みでベッドでゴロゴロしていた。家から一歩も出ることなくスマホを眺めていると、ヨリから電話がかかってきた。

「美由、大丈夫?」

「うん」

「今日、出勤したら佐藤さん亡くなったって聞いて。大変だったんだってね」

 ヨリの心配そうな声に、何も感じていなかった胸が動き出した気がした。

「佐藤さんに……何も声をかけてあげられなかった。どうやって死の恐怖と向き合っていたのかな……」

 言葉が震えそうになるのを美由は感じた。

「入院するときの医師からの説明で、佐藤さん自身がDNARを決めたんだよね。それってツライことだよね……」

 ヨリの声がどんどん小さくなっていく。

「不安だったよね……担当じゃなくても、もっと丁寧に関わっていればよかったな……」

 佐藤さんは1人の病室でテレビを見ながら、何を思っていたんだろう。誰も訪ねて来ず、気の休まることのない殺風景なあの病室で。


 ヨリは仕事を終えるとうちに寄ってくれた。

「私だったら……家で死にたい」

 2人でぼーっとテレビを眺めていた。

「分かる。落ち着く場所にいたいよね。苦しまずに死にたいし」

「家族には介護させたくないから、最期まで歩けないとだめだね」

「そうだね。この仕事してたら、家族に介護させるのはシンドイって思っちゃうよね」

 私たちはぽつぽつと自分の気持ちを話した。無理に励まさずに寄り添ってくれるヨリの存在がありがたかった。

「でもさ、美由が佐藤さんの急変に気付いたから、佐藤さんは1人ぼっちで亡くならないでよかったよね」

「そう……だね。何か……ちょっとでも意味があったらいいな」

 実際、私が気づいたことに有意義な意味なんてない。

 それに、佐藤さんだって死に際に一介の看護師である私がそばにいたのはどうでもいいことだろう。


「きっと、意味はあったよ」


 ヨリの言葉で、初めて自分が佐藤さんの死にショックを受けていたと知った。出勤してすぐになんの心の準備もしないまま、たった1人で死を受けとめた。仕事の一つだからと自分を鼓舞したけれど、佐藤さんの孤独な死は美由の心に思った以上に衝撃を与えていた。

「ほら、涙拭きな」

 ヨリがティッシュ箱を渡してくれる。派手に鼻をかみながら美由は思った。


(私が佐藤さんにティッシュ箱を渡したとき、この看護師ならもう一つ用事を頼んでも大丈夫そうだなって思ってくれたのかな、そうだと……嬉しいな)


 抱えきれない悲しみが少し和らいだような気がした。


 あれから5か月後、美由はNs 3年目に突入していた。まだまだお局には注意されるし、血管確保はへたくそだ。だけれど、一つだけ変わった部分がある。


「旦那さんは普段おうちで何をして過ごされていましたか?趣味はありますか?」

 意識のない患者さんの奥さんに質問した。奥さんや他のご家族は、患者さんの状態変化と入院、バタついている病棟の雰囲気や先行きへの不安に心を揺さぶられ、疲れ切っている様子だった。

「え?この人の好きなもの?えーとね……」

 意外な質問に奥さんは考え込む。美由は黙って待っていた。

「あ、スポーツが好きなのよ。野球が特に好きで」

 奥さんの顔色に少しだけ赤みが差した。

「では、野球の時間にはテレビをつけましょう。ラジオの方がいいですかね?」

 奥さんの目には患者ではないときの旦那さんが映っているようだった。

「昔はね、野球選手になりたかったみたいで、結構上手でね……」

 

 私たちが診ているのは『1人の人間』

 病気や入院への思いは人それぞれ。不安の形もさまざまだ。

 でも孤独を愛して亡くなる人は決して多くない。

 

 佐藤さん、あなたは何が好きでしたか?


 ここにいらしたのも何かの縁。

 私は患者さんの人生に寄り添えるように、心にいつもこの問いを持っている。



終わり 


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