隣の席の変なヤツとラーメン屋に行く

雨野水月

隣の席の変なヤツとラーメン屋に行く

「男子高校生の体の半分は、ラーメンで出来ているのである!」

 隣に座る五百井いおいが、キラキラと目を輝かせながら割り箸を割った。ささくれがめちゃくちゃに立ってるけど、全く気にしていない様子である。

「いや、意味わからんけど……」

潮見しおみは何にもわかってないな~! もしもこの世にラーメンがなかったら、全国の男子高校生の半分が栄養失調で死んじゃうんだぜ!」

「全国の男子高校生より前に、自分の脳みそに栄養が行き渡ってるか心配したほうがいいんじゃないか?」

「いただきま~す! うめえ~! 冷え切った体に染み渡る~!」

「おい、いま明らかに話の途中だっただろコラ」

 クソみたいな会話は強引に打ち切られ、五百井が麺をすすり始めた。

 いつものことながら、本当に変なヤツである。


 冷たい空気が頬に打ち付ける、十二月の上旬。

 時刻は午後四時。昼とも夜とも言えない曖昧な時間に、俺はクラスメイトの五百井蘭太郎とラーメン屋のカウンター席に座っていた。

「そういや、来週期末テストか~! なんかこう、前日に隕石とかが校舎一帯に突然降りかかってきて、色々あって延期になったりしないかな~!」

「いや、それ延期どころじゃない大惨事じゃねえか……」

「そんでもしその隕石が割れて、中から宇宙人が出てきたら潮見はどうする!?」

「五百井を生贄に捧げて何とか侵略を思い留まってもらうかな……」

 俺は際限なく広がり続ける五百井のトークに、都度ツッコミを入れていく。なかなか骨の折れる作業だ。

 毎週水曜日、高校最寄り駅のラーメン屋で麺をすすりながら、こんなしょうもない会話をして帰るのが俺たちの習慣である。

「話変わるけど、ラーメンが美味すぎて政府が突然ラーメン税を取るとか言い出さないか心配だな~!」

「さすがに変わりすぎだろ……お前がアホすぎて警察のお世話になることのほうが心配だよ俺は……」

「ん~~その時は潮見が身を張って警察から守ってくれるっしょ!」

 五百井は天真爛漫そのものといったような笑顔で俺を見てくる。

 それにしても、相変わらずマジで下らない話しかしないなこの男。その果てしないアホっぷりに呆れながらも、こうして毎週付き合っている俺も同類みたいなものなのかもしれないが。

 俺は内心ちょっとショックを受けながらも、目の前のラーメンをいただこうと手元のどんぶりをのぞき込んだ。

 ふと、俺と五百井のこんな関係が始まった頃のことを思い出した。


 俺と五百井が友達(?)と呼べる関係になったのは、つい数か月前、二学期はじめに行われた席替えがきっかけだった。

 俺の高校は県内でも有数の進学校で、今となっては珍しい公立の男子校だ。三学期制で、学期の初めに席替えを行う決まりがあった。

 クラスメイトたちは年に数回のイベントにテンションが上がっていたが、その時の俺は極めて冷静だった。というか、全く気乗りがしていなかった。

 があってから俺はクラスで微妙な立ち位置だったし、一悶着あった連中たちと近くの席に並ばされると、日常生活に大きな支障が出る。普段なら、誰と隣になるかとか多少は楽しみになるものなんだが、今回ばかりは事情が違った。できれば、普段あまり関わりのないような、大人しい奴らが固まった席になりますように……



「お、潮見クンじゃん! いや~、潮見クンとはもっと仲良くしたいと思ってたんだよね~! 今学期はよろしく~!」



 儚い願いは、果たしてどこに消えていったのだろうか。横の席から底抜けに明るい声が飛び込んできた。

「い、五百井か……」

「え!? 何その喜びと悲しみが混じった微妙な顔は!?」


 五百井蘭太郎。クラスどころか学校レベルでその名が知れ渡っている、指折りの変人である。

 一言でいうと、破天荒すぎて全員が若干の距離を置いている男だ。

 ルックスはすごぶる良い。外国の美少年みたいな大きな目と、くっきりした鼻筋。赤いヘアピンで留めた長い黒髪は、コンディショナーのCMみたいにサラサラだ。

 そして性格も非常に明るく、誰にでも分け隔てなくニコニコ話しかけている姿をいつも見かける。

 こうして要素を並べると、まるで陽キャの最大公約数みたいな、完璧なスペックを持っているヤツである。

 しかし実態は、入学して一ヶ月足らずで「やべーヤツ」として校内に名前を轟かせたやべーヤツであった。

 教室に炊飯器を持参し炊き立ての米を食べようとした、昼休みの食堂で謎の弾き語りライブ(無許可)を開催しようとした、自作のペットボトルロケットを校庭から飛ばしたら職員室に着弾した、など残してきた伝説は数知れず。

 そのあまりの予測不能な行動に、ほとんどの教師たちからは恐れられ、多くの生徒たちからは畏怖の念を抱かれている。というかほとんど引かれている。

 俺もクラスで一回だけ喋ったことがあったが、一人でいるときに突然話しかけられたと思えば、その三十秒後に担任から呼び出しを食らって消えていった。

 例のには関わっていないとはいえ、別ベクトルであまり関わりたいとは言えない人物だが……まあ、あの連中とはおおかた離れた席になったし、最悪なケースは避けられたのか……?



「早速だけど潮見っち! 今日カバン持ってくるの忘れちゃってさあ! 全部の教科書見せてくれ頼む!」

「マジで言ってんのかお前……」

 やっぱり毎日こいつが横にいるの、きついかもしれない。

 俺は向こう三ヶ月の学校生活を心から憂い、天を仰いだのだった。



 それからというもの、毎日のように矢継ぎ早に繰り返される破天荒な言動に、俺は文字通り振り回されることとなった。

 ある時は男子高校生の日常を映す謎の自主映画に無許可で出演させられ、またある時は月まで届くという謎の巨大紙飛行機の制作を手伝わされ、ペットボトルロケットが校長室に着弾した時はただ一緒にいただけで共犯者にされたりした。

 五百井は俺のことをなぜか気に入っているのか、それとも何も考えていないのか、やたらと執拗に絡んできた気がする。どんなバカなことをする時も、五百井は常に楽しそうに笑っていた。

 そんなある日のこと、「なあ、駅前の新しくできたラーメン屋行ってみたいんだけど、一緒に入ってくんね?」と真剣な顔で言われ、腕を引きずられながらラーメン屋に無理やり行かされたのだった。

 最初は俺も、「こんな時間にラーメンなんて食ったら、晩御飯食べれなくなっちゃうだろ!」と抵抗したが、「いや、男子高校生の胃袋にとって、ラーメンは超大容量外付けストレージみたいなもんだから!」と訳のわからない理屈で押し通された。なぜあの時もっと抵抗することができなかったのか、痛恨の極みである。ちなみに、晩御飯は意外と食べられた。

 そんなこんなで、気づけば毎週のようにラーメン屋に連れていかれるようになり、今に至るのであった。


「いや~、しかしこんな美味いラーメン屋なのに、うちの高校の生徒はあまり行ってないっぽくて悲しいねえ~」

 五百井が、ガラガラの店内を見渡して言った。

「そもそも校則的に買い食い禁止だしなあ。俺らがこうしてラーメン食べてるのも、教師にバレたら普通にアウトだろ。」

「あ~、そうなんだっけか! 学校ってもんは、どうでもいい余計なルールがほんとに多いなあ~」

 いや、お前はもう余計なルールとかそんな次元の話じゃないだろ……

 五百井が何気ない調子で続ける。

「とはいえ、そんなことわざわざ教師にヤツもいないっしょ!」


 どくん。


 五百井が何の気なしに放った一言に、一瞬、心臓が突き上げられたような感覚が走る。

 いまだに、俺の耳はその言葉に慣れていない。


「……ああ、そうだな」

「って、潮見の前でチクりとか言わない方が良かったか!? すまん!」

 五百井が言ってから何かに気付いたように慌てて言葉を付け足した。

「いや……いいよ、てか、マジでお前くらいだぞ面と向かってその話してくるの」

「ほんとごめん! 俺らの関係に免じて、許してくれえ!」

 本当に悪いと思っているのか、五百井がニシシと笑いながら謝ってくる。

 しかしその表情に悪意はない。おそらく、俺のことをただ単純に面白がっているのだろう。

「ったく、こいつは……」

 俺は内心呆れながらも、思わず頬を緩めてしまう。コイツと話していると、本当に調子が狂う。

 早く食べないと、麺が伸びてしまう。俺は引き続き目の前のラーメンをすすっていくため、箸を取った。


 その時、ガラガラと入口の扉を開ける音が聞こえてきた。

 客が入ってきたのだろうか。こんな時間に珍しいと思わず振り向くと、見覚えのある顔が目に飛び込んできた。

 持っていた箸の動きが止まった。


 あいつがいる。


 体が反射的に硬直する。嫌な寒気が、背骨の裏側を吹き抜けた。

「お、五百井じゃん、おっすおっす。」

「お! 松田よっす~!」

 派手な金髪を揺らして、松田は五百井と軽快なあいさつを交わした後、ちらりと俺のほうを向いた。

「と……の潮見クンもいるじゃん笑」

 明確な悪意。

 歪んだ笑顔から放たれた確信に満ちた悪意が、俺をぎしりと締め付けた。体が、硬直して動いてくれない。

 松田は、の主犯格である男だ。短く刈り揃えられた短髪は、ギラギラとした金色に染められている。クラスでも一際目立つ人種である。

 事件以降、松田は俺にあからさまに攻撃的な態度をとっている。

 俺はできるだけ平静を保とうと、ばれないように深呼吸する。松田は食券機に向かった。

 あの夏の、いやに鮮明で、不快な記憶がフラッシュバックしてくる。


 六月上旬ごろだった。ジメジメとした暑さが身を包み始めていた。

 その日の放課後、俺はすぐには帰らず教室に残ってだらだらと雑談をしていた。いわゆるクラスの一軍グループたちの集まりで、帰宅部の面々が気だるい雰囲気で時間をすり減らしていた。

 他愛もない、心底くだらない雑談を交わす中でふと、松田が携帯の画面をこちらに見せてきた。

「おい、これ見ろよ」

 そこに映し出されていたのは、駅前を歩く他校の女子高生二人の写真だった。被写体は喋ることに夢中になっているようで、カメラに気づいている様子はない。

 それは、明らかに盗撮画像だった。

「太ももやばくね?」

「やば、何これ? エッロ」

「マジでエロいよな、グループで共有するわ」

「マジで!? ありがてえ~今晩もオカズに困らんわ笑」

 松田は慣れた手つきでLINE上で画像を共有した。

 周りのクラスメイトたちは、送られてきた女子高生たちの写真を見て、何やら訳の分からない猿のような言葉を発していた。

 ただ、そこにいる男たちは、むき出しの欲望を確認し合っていた。

 俺は何も言えなかった。状況の理解はできるが、頭が追い付かない。強い嫌悪感のようなものを覚えたが、ただひきつった表情でずっと笑っていた。

 今思えば、その場でちょっと諌めるくらいは俺にもできたのかもしれない。しかし、俺は何か異様な空気に気押されていて、どうすることもできなかった。

 盗撮行為は、ほぼ毎日行われていた。

「おい見ろ! パンチラ撮れた!」

「あぶね~、今日ばれそうになってマジ焦ったw」

 写真の悪質度は、日々エスカレートしていった。

 そのうち、俺はグループの中で会話をすることが苦痛になっていった。周りの奴らも俺のノリが悪いことは察していたのか、だんだんと話しかけられることも減っていった。

 ある日、俺はグループ内のLINEで共有されていた写真とともに、担任にすべてを告発した。

 若く責任感の強い男の担任は、真剣に俺の話を聞いてくれた。「潮見、勇気出してくれてありがとうな」と言われた。

 次の日、朝のHRが終わった後、盗撮に主体的に関わっていた奴らが職員室に呼び出された。特に停学などの処分はされていないようだった。

 更にその次の日、俺はつるんでいた奴らから無視されるようになった。俺がチクったことを全員が悟ったのだろう。グループLINEからは退会させられていた。

 気付けば俺の居場所は、教室内になくなっていた。たまたまあいつらとつるんでいただけで、他に仲の良い友達はいなかったんだなと気づいたのだった。教室内に居場所を失った俺は、世界のどこに自分の居場所というものがるのか、さっぱりわからなかった。


 松田が食券を買い終わり、俺たちから一席分空けたカウンター席に陣取った。流れで、俺たちに話しかけてくる。

「五百井も気をつけろよ~」

「ん?なにが?」

「最近潮見と仲良いみたいだけど、あんまりつるんでると帰りにラーメン食ってることもチクられるかもしれねーぞ笑」

 松田は、ギャハハと汚い声で笑った。

 そのあからさまな挑発を前にしても、俺はじっと黙っていた。

 横目で五百井の方を見た。五百井は、返事をせず無表情で松田を見つめていた。何を考えているのだろうか。わからないが、五百井は松田ともよく話しているのを見かける。すぐに二人で話し出すだろう。

 俺の居場所は、ここにもないのか。

 俺は、あきらめにも似た感情で息を吐いた。

 仕方ない。

 そう、仕方ないのだ。

 別に、あの時自分がしたことに後悔はしていない。

 間違っていたのはあいつらで、俺は正しいことをしたと思っている。

 でも、それでも、その行為はこの狭い社会には馴染まない。俺は、この世界に溶け込むことはできなかった。

 この頼りなく掴みどころのない世界に、俺の身体はぷかぷかと投げ出されたように浮いている。

 ラーメンのスープの上に、固まりかけた油が浮きだしている。

 カウンターの下で、強くこぶしを握った。


 その時だった。

 隣に座る五百井が言った。

「チクったりなんかしないよ、潮見は」

 凛とした声が、店内にはっきりと響き渡った。

 それが松田に向けられた言葉であることを理解するのに、少し時間がかかった。

「潮見はそんな、チクるなんて卑怯なことはしない」

「ん、ああ、五百井は知らない?笑 そいつ俺らが遊びでやってたことを教師に──」

「知ってるよ」

 松田が話し終わる前に、五百井が強い調子で遮った。

「潮見はただ犯罪行為を告発しただけ。悪いのは人を傷つけることになんの罪悪感も感じない松田たちだろ。それに……」

 五百井は、宣誓をするように、まるで世界全体に呼びかけるように、高らかに言い放った。

「潮見は、俺にとっての最高の友達だ! ただそれだけ! 松田にどうこう言われる筋合いないから!」

 ラーメンが湯切られる音が、俺たちの間にある空気も切り裂いたような気がした。

 松田は、ただただ呆気にとられた様子だった。数秒後、我に返ったのか急いで反論しようとする。

「は!? いや、もとはそいつが俺らのことをチクったから──」

「うるせえ! ほら、とっととどっか行け! シッシッ!」

 五百井が話も聞かずに無理やり松田の体を店から押し出して、強引に扉を閉めてしまった。

 ガラスの向こうで松田はあからさまに顔を歪めていたが、諦めたのか駅の方へ歩いて帰って行った。


 そして一部始終を隣で眺めていた俺は、呆けた顔で口を空けていたのだった。

「お前、あんな感じになって……松田敵に回して、明日からクラスで大丈夫か?」

「んー? いや、もともと俺なんてクラスでも浮きまくってるんだし、なーんも問題ないでしょ! それより、松田が置いてった食券でもう一杯ラーメン頼んじゃおうぜ!」

 いや、浮いてる自覚あったのかよ。

 五百井は本当に何も気にしていない様子でニシシと笑い、心底気持ちよさそうに言った。

「それに、もともと俺も松田にはムカついてたから! だから、めーっっちゃスッキリした!」

「マジか……松田をそんな風に思ってたのはちょっと意外だったな……」

「そう? 松田みたいなヤツ、だいたいクラスに一人はいるよなー。ホント、しょうもない!」

 いつも誰彼構わず周りを巻き込んでいくようなこの男に、そんな感情があったとは。

 俺はそれが意外で、純粋に理由を聞いてみたいと思った。

 自分からその話題に触れるのはちょっとためらったけど、五百井になら聞いてもいい気がした。

「やっぱその、松田にムカついてたのは、あの事件が原因でって感じ…?」

「あー、まあそんな感じだなあ……って、ラーメン伸びちゃうから早く食わねえと!」

 五百井が、思い出したかのようにラーメンをすすりながら答える。

「あの事件のことは後から知ったんだけど、単純に許せないって思った。理不尽に人を傷つけるようなことは絶対やっちゃだめだ。それで、俺もどうにか止めたいな~って思ってたんだけど、潮見が松田たちを先生にチクったって話を聞いて、俄然興味が湧いたんよ!」

 そう話す五百井の目はとてもキラキラしていて、純粋な少年のようだ。

「そんで、二学期の最初で隣の席になれたのも、運命じゃね!? って思った! 席替えのとき言ったっしょ! もっと仲良くしたいと思ってた、って!」

 こいつ、そんなことを考えていたのか。問題行動ばかりするただの変なヤツだと思っていたのに。

 気付けば五百井はラーメンを食べ終わっていた。


「世界って、バカらしいじゃん!」

 

 多分狭いラーメン屋の中で発するには大きすぎる声で、五百井は世界に向かって言い放つ。その声は、音量に反して、むしろ隣の俺にだけはっきりと聞こえたように感じた。

「だから俺は、こんなバカらしい世界をちょっとでもマシにするために、バカみたいなことをしてた。まあでも最近は……」

 そう言って、五百井が笑った。

「最近は、潮見が構ってくれるから楽しいんだよね! いつも隣で潮見とラーメン食ってる時が、一番楽しいから! それでいいのかなって!」

「なんだそれ、ウケるな」

 俺は少し恥ずかしくなって、顔を反対に背けた。照れてるって思われたかもしれない。それを見て、五百井がいつものニシシという表情で笑う。

 なんだか楽しくなってきて、俺も思わず笑ってしまった。

 毎日通っている教室。毎週通っているラーメン屋のカウンター。

 隣の席同士、俺たちはニシシと笑い合った。

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