第2話 戒厳
日本では、戦争に対して、賛否両論があった。
伊藤博文などの、反戦論者は、
「ロシアに宣戦布告など無謀だ」
ということであったが、他の人たちは、逆に、
「やるなら今しかない」
ということで、その下準備として、
「日英同盟」
を結ぶことができたのは、成功だったといってもいいだろう。
この同盟は、
「両国の、ロシアに対しての、共通の利害というものがあったからだ」
といってもいいだろう。
それが、
「ロシアの南下政策」
だったのだ。
ロシアは、
「不凍港」
というものが欲しかった。
極東であれば、ウラジオストックから、満州を経て、朝鮮半島。このルートを納めった居と思っていた。
ここに、清国から譲渡された、
「満州鉄道」
を、自国のシベリア鉄道の延長戦として、満州の港を、極東基地にしたかったのであろう。
そのいい例が、遼東半島の先端にある、
「旅順港」
である。
ここの旅順艦隊は、ウラジオストックの、
「ウラジオ艦隊」
と合わせて、
「極東艦隊」
というものを形成していた。
だから、旅順港には、東洋一と言われる、大要塞を築くことになったのだ。
イギリスとすれば、
「クリミア半島であったり、アフガンなどが、ロシアの目指す不凍港」
ということで、どちらにしても、イギリスの植民地を脅かすことになるのだ。
日本においての、朝鮮半島が、
「インド」
であったり、
「ギリシャやトルコ」
などの地域だったりするのだ。
それを考えると、
「日本と、イギリスは、立場的によく似ている」
ということで、その当時まで、
「栄光ある孤立」
ということで、どこの国とも同盟を結んできたことのなかったイギリスが、
「遠く離れた、極東で、しかも、弱小国である日本と、軍事同盟を結ぶ」
などということを誰が想像しただろう。
しかし、これが、大きな転機であったことには間違いない。
戦争前夜。
「ロシアに勝てるわけがない」
ということで、戦争には消極的だった人も、ここで、開戦を決意したといっても過言ではないだろう。
それが、大日本帝国の分岐点であっただろう。
ただ、戦争は、想像しているよりも、かなり厳しいものであったようで、特に、戦死者の数が、日清戦争の頃とはけた違いだったことで、大本営では、
「何かの間違いではないか?」
というほどだったのだ。
旅順攻略戦」
においてはそのいい例で、
「日清戦争の時には、一日で陥落させた旅順という、小さな軍港」
だったものが、ロシアに移ってから、大要塞が築かれ、その様子は、とても、
「生きて帰れない」
という仕掛けになっていたのだった。
確かに、日本の戦国時代からの群雄割拠の時代のお城というと、そのような仕掛けが、方々にあったのだが、それを、
「世界の大国」
レベルでやっているのだから、それこそ、
「虐殺のレベルもすごいもので、一日の戦死者が、日清戦争当時と、2桁違っているだろう」
と言われるのも、無理もないことであった。
それでも、何とか旅順を落とし、旅順艦隊を壊滅させたのは、いずれやってくるであろう、ロシアの主力艦隊である、
「バルチック艦隊との決戦」
に向けての、準備行動であった。
陸軍はそのあと、奉天において、大会戦を行い勝利を得ることで、そして、海軍としては、
「日本海海戦」
というもので大勝利をすることで、やっと、講和条約を結べるようになった。
その時、すでに、日露両国とも、
「戦争継続は難しい」
という状態になっていて、しかも、どちらかというと、
「日本の方がその傾向は大きかった」
といってもいいだろう。
だから、アメリカの仲介で、講和条約締結となった時、領土確保はできたのだが、
「賠償金を一銭ももらえない」
ということであっても、一刻も早く戦争を終わらせる必要なあったことで、講和条約に妥協するしかないというのが、日本側の事情であった。
しかし、庶民はそんなことを分からない。
だから、
「戦争に勝って、賠償金がもらえないというのは、どういうことだ? たくさんの死んでいった英霊に対して、申し訳ないと思わないのか?」
ということで、国内では暴動が起こり、それが、
「日比谷公会堂焼き討ち事件」
ということになったのだ。
それが、庶民の怒りであり、外務大臣宅などにも、投石されたりなどと、かなりの暴動に発展したのだった。
その時、
「暴動による治安が保てない」
という理由で、
「史上初としての戒厳令が起こったのだ」
ということであった。
これが、明治期による最初の戒厳令と、その前夜ということであった。
今度は大正時代に入ってからであったが、この時代に起こったものは、
「災害による、戒厳令」
であった。
これは、ちょうど今から100年前くらいに起こったことで、当時としては、
「首都直下型」
といえる、大地震である、
「関東大震災」
だったのだ。
首都圏を中心に、横浜などでも、甚大なる被害を出した。
木造住宅だった時代には、ほとんどの家が火事になり、燃え落ちたわけである。
想像を絶するものがあったことだろう。
元々、テレビもラジオもほとんど普及していない大正時代だったので、情報伝達手段とすれば、今の災害ほど、
「まるで原始時代に戻ったかのようだ」
というほどのことはなかったかも知れないが、
「何をどうしていいのか分からない」
というのは、今も昔も変わっているわけではない。
それを考えると、
「大震災において、治安がマヒする」
ということは分かり切ったことであり、
「戒厳令の必要は、その時点でもあったのだ」
といってもいいだろう。
しかし、とにかくひどかったのは、
「デマが飛んだ」
ということであった。
特に、
「大地震のどさくさで、朝鮮人が、暴動を起こす」
というデマが流れたことで、被災者は、ただでさえ、疑心暗鬼になっているところで、まともに、そのデマを受け入れてしまうことだろう。
しかも、当時の日本は、
「東アジアの他の国の人民を、下に見ていた」
という兆候があった。
そんなデマによって、実際に、多くの朝鮮人が、
「虐殺された」
ということのようだったので、それこそ、
「戒厳令を敷いて、その治安を、戒厳司令官にゆだねる」
ということをしないといけないだろう。
そもそも、戒厳令というのは、
「災害、暴動、クーデター」
などの有事に、治安を確保するために設けられる臨時の政府だということではないのだろうか?
つまり、
「関東大震災」
というのは、完全に、災害である。
災害となると、インフラが破壊され、情報が行き届かないことで、ちょっとした行き違いから、大きな事件になりかねないということになるのである。
これが、大正時代に起こった、
「災害による、戒厳令」
だったのだ。
今度は昭和になってからのことであるが、時代は、
「世界恐慌から始まって、日本における満州事変の勃発と、それによる、電光石火で、満州国の建国、さらには、満州の支配」
という、
「動乱の時代」
だったのである。
そんな時代が、そこから今度は、
「軍内部の、派閥争い」
というものが、見え隠れしていた。
特に、陸軍においての、
「統制派」
というものと、
「皇道派」
と呼ばれるものの、派閥争いが、大きな問題となっていたのだ。
それが次第に、
「軍事クーデター」
という形に変わり、水面下で、計画されるようになった。
それが、表面化したのが、
「226事件」
と呼ばれるものだったのだ。
この事件は、表向きには、
「農村出身の青年将校たちが、日本の将来を憂いて、君側の奸である、天皇側近で、天皇に、自分たちにとって都合のいい情報しかいれずに、偏った軍政になっている」
と訴えていることでの、
「クーデターだ」
ということであった。
しかし、実際に、彼らが言っている、
「君側の奸」
というのは、天皇に、最終決定権をほとんど与えている、
「立憲君主国」
としての大日本帝国天皇は、その決定に際して、かつての重鎮として、今では、
「相談役」
のようなことをしている人たちなので、天皇とすれば、
「一番頼りにしている」
というのも、
「政治の政を行う」
ということで、一番大切なはずの人たちである。
それを、
「問答無用」
で殺害するのだから、その暴挙としても、天皇としては、
「許せない」
と思ってしかるべきであろう。
この時にも、戒厳令が敷かれた。
理由が、
「軍事クーデター」
ということなので、
本来であれば、首相も亡き者にして、内閣を自分たちの派閥で作る直す
ということが目的だったようだ。
しかし、よく考えると、
「軍部に属する青年将校たちが、自分たちの都合で、政府高官を殺す」
というのは、道理に合わない。
そもそも、一番の問題は、
「天皇直轄の軍において、天皇陛下の軍を、一青年将校たちが、勝手に動かした」
ということなのだろう。
何といっても、この事件は、
「天皇の統帥権の看破」
であり、違憲な行為ということなのだ。
それを考えると、天皇が、
「お前たちがしないのなら、自分が総指揮をとって、反乱軍を鎮圧する」
とまでの怒りをあらわにし、決起軍を、完全に、
「反乱軍」
ということで認定したのだった。
もう来なってしまうと、青年将校たちは、どうすることもできない。
「天皇陛下のため」
という大義名分は、吹っ飛んでしまうのだ。
そのせいもあって、青年将校は、軍部の説得で、
「軍を原隊に戻す」
ということにして、実際に軍を戻した後、そのまま、自害する人もいれば、投降して、
「自分たちが何を考え、何をしたいのか?」
ということを、法廷でぶちまけるつもりだった青年将校もいたのだが、それは実らなかった。
というのも、基本的に、この時は、
「裁判にかかるにはかかったが、基本的に、非公開で、弁護人なし、上告なし」
と言った。完全な、
「出来レース」
のようなものだった。
つまりは、
「どんな罪であれ、結果としての国家反逆罪としての極刑ということで、前任、銃殺刑」
ということになったのだ。
だから、彼らの主張は一切受け入れられなかったので、
「国家転覆を狙った軍事クーデター」
ということでの裁きになってしまったのだろう。
それが、
「226事件の正体」
ということで、結局、この後、
「軍部による暴走」
というものが続くことになるということであるが、そんな単純なものなのだろうか?
基本的に、統制派というものが、勝つわけで、彼らの勢力が次第に、
「国家総動員」
であったり、
「ソ連などの、共産圏のクーデターに備える」
などとして、どうしても、動乱の時代で、
「軍部が中心にならないと解決しないという問題があった」
といってもいいだろう。
それが、
「226事件」
の正体であり、
「たった4日で鎮圧されたのは、やはり、天皇の英断というべきか。背年将校たちが、天皇を甘く見ていた」
というのも、問題だったのだろう。
なにしろ、
「君側の奸」
というものが存在するということは、
「天皇は、世間のことをよく知らずに、側近の連中から言われたことを真に受けて、国を悪い方に導いている」
ということになるのだ。
ということは。天皇からすれば、
「俺が無能だ」
ということが言いたいのか?
ということになるのだろう。
それは、あまりにも、
「天皇陛下に失礼」
というものである。
だから、天皇には、当然のことながら、
「統制派」
と。
「皇道派」
というものの争いだということはすでに分かっていることである。
その二つのことさえ分かっていれば。この事件の側面は、一目瞭然である。
しかも、暗殺された人は、皆、皇道派にとっては、
「自分たちに都合の悪い」
という連中で、この時を機会として、
「殺したいやつを、一気に根絶やしにできる絶好の期間である」
ということである。
この事件は、
「首都を中心にした、敵対勢力に対しての、同時多発クーデターだといってもいい」
ということであろう。
つまり、彼らの目的は、
「少しでも生活ができるようにという、農村の立場からの訴えと、統制派とのトラブルによって埋め込まれた状況を、いかに打破すればいいかということであった」
大日本帝国陸軍」
としては、
「何とか説得して、内輪もめはしたくない」
ということであった。
しかし、それ以上に、大日本帝国というのは、
「天皇の鶴の一声」
ということで、一気に決まってしまうことも、往々にしてある。
ということで、
「政治に関しては、口出しできない」
ということであったが、昭和初期の、
「張作霖爆殺事件」
というのが、満州で起こった。
その時、爆破に加担したのが、陸軍の兵である、
「関東軍による策謀」
というものであり、
「関東軍の自作自演」
ということでは、のちに起こった、
「満州事変」
というのは、最初のところで同じだといえるだろう。
その時の首相というのは、陸軍出身の田中義一で、最初に事件報告とということで、天皇に上奏したのだが、その時天皇に尋ねられたことに対して、
「この事件に、に保温は関与していないか?」
と聞かれたことで、口を濁したままの、事情聴取になった。
「即刻調査して、善処します」
といっているが、実際に、あとから聞いた話かも知れないが、
「日本軍が関与している」
ということになる。
実際に、
「関与していた」
ということは、分かり切っていることであったが、首相とすれば、
「まだ分かっていない」
といって、ごまかすしかなかった。
しかし、天皇は怒り狂って、
「あいつの言っていることは、さっぱり分からん」
と言われたことで、奥に下がった天皇を、木戸内府が、天皇から、
「あいつとは話をしたくない」
というほどに怒らせていることが分かると、田中内閣は、それからすぐに、
「内閣総辞職」
ということに追い込まれたのだった。
さすがにここに至って、天皇は、
「政治に口を出してしまった」
ということで、
「大いなる反省をした」
ということであった。
天皇が、御前会議にしても、上奏にしても、
「政治に口を出した」
というのは、この時と、
「開戦時に、明治天皇の詩を引用し、平和主義であるとしたこと」
「よもの海 みなはらからと 思ふ世に など波風の たちさわぐらむ」
という詩であった。
そして、もう一つは、終戦に対しての、ポツダム宣言受諾というものを、御前会議で決めた時の3回だといわれる。
そのかわり、軍に対してはかなり口をはさむ、それは、自分が、
「大元帥」
として、陸海軍のトップだからである。
そんな、
「明治・大正・昭和」
という、
「大日本帝国」
という時代を通り越してこいたが、その時代をおおまかにであるが、約60年とすると、敗戦から、現在までと考えると、約80年弱になる。
そうなると、
「昭和・平成・令和」
と、同じ3つの年号であるが、すでに、
「日本国というのは、大日本帝国という時代よりも、すでに20年以上も長いのだ」
ということになるだろう。
戦後と呼ばれる時代も、かなりいろいろあった。
戦後復興から始まって。高度成長時代、その後遺症としての、公害問題などの諸問題。さらには、バブル経済に、その崩壊、そして、今では、
「失われた30年」
と言われる、経済停滞など、ひどいものである。
さらに、高度成長時代からの、
「負の遺産」
として大問題となった
「公害問題」
と似たようなものが、今度は世界的な問題として残っているではないか。
それが、今の、
「地球温暖化問題」
いや、最近では、そうではなく、
「地球沸騰化だ」
と言われているようだが、それに代表される、様々な問題、
日本でいえば、
「少子高齢化問題」
ということに端を発しての、
「人手不足」
という意味で、それが深刻化されるであろう年を問題という言葉の前に持ってきた。たとえば、
「2024年問題」
などと呼ばれるもので、そのうちに、
「毎年のように、〇〇年問題と呼ばれるようになる」
ということである。
たとえば、会社で雇っている従業員などを見ればどうだろう?
「バブル経済」
から、それが崩壊したことによって、どうなったのかというと、それまでが、
「事業を拡大すればするほど儲かる」
という時代だったのだが、崩壊してしまうと、
「拡大すればするほど、負債が増えて、にっちもさっちもいかない」
ということになるのだ。
そうなってしまうと、その後どうなるのかというと、
「収入が得られないのであれば、経費節減をするしかない」
ということで、事業縮小すれば、いらなくなるのが人間というわけで、その頃から言われ出した言葉として、
「リストラ」
という名の、人員整理が行われているのであった。
しかも、
「人を切りすぎると仕事にならない」
ということで、どうするかというと、
「安い値段で、雇う」
ということで、責任を押し付けることはできないが、雑用だけであれば、安い値段でさせるという、
「パート、アルバイト」
を雇うところが増えてくる。
その時に言われるようになったのが、
「会社同士で、人材派遣を行う」
という、人材派遣会社の出現であった。
それが、派遣社員の始まりであり、途中、
「派遣切り」
などという問題もあったが、今では、そんな時代を乗り越えてか、再度、派遣社員というものも、相変わらずの人気となっているようだ。
ということは、昔からの、社会の仕組みといえる、
「会社の人材の在り方」
というのも、まったく変わってくる。
というのは、昔から言われていた、
「年功序列」
「終身雇用」
ということは、崩壊してしまった。
アメリカの合理主義のように、
「優秀な人材は、引き抜いてきて、いらない人材は、人員整理する」
というやり方となったので、昔のように、
「毎年、一定数新卒の学生を雇って、育て上げて、そのまま会社経営をいずれは、担ってくれるようになる」
というのが当たり前だったのに、それが、そのうち、
「どうせ育てても、他から引き抜きにあって、他に行ってしまうのであれば、教育するだけ無駄である」
ということになるだろう。
だから、新卒でとることおなくなり、途中で人員がいる時は、派遣社員などを雇ったり、外注による、
「アウトソーシング」
などで、賄うということをやって、今までやり過ごしてきたといってもいいだろう。
しかし、どこの会社もそうだが、
「肝心なことを忘れているのではないだろうか?」
というのも、
「まるで、バブルが崩壊した時のようだが、あれだけたくさんの人が経済界にもいたであろうに、誰一人として、バブルの崩壊を予想する人がいなかったのだろうか?」
ということである。
今回のこの問題も、
「ちょっと考えれば分かる」
というもので、ひょっとすると、
「中学生でも普通に考えれば分かりそうなものだ」
といってもいいだろう。
「いや、中学生くらいの素直な頭じゃないと見えてこないことなのかも知れないな」
ともいえるのではないだろうか?
この問題は、
「〇〇年問題」
と同じところから端を発しているのではないだろうか?
前述のように、終身雇用がなくなった時点で、ありえることなのだ。
というのは、
「ただでさえ、少子高齢化ということで、若い世代の働き手は減っているのだ」
ということである。
「だったら、積極的に若い人を入れて、少しでも教育しておかないとどういうことになるのか?」
ということである。
ここまで書いてくれば、誰だってわかりそうなものである。
というのは、
「会社における、平均年齢が、どんどん上がってくる」
ということだ。
もう分かったであろう。
つまりは、ある程度までくれば、
「社員の平均年齢が。50歳を超えているとすれば、少なくとも、5年くらいで、定年退職の年齢を迎える」
ということである。
専門的な技能を必要とする仕事であれば、新人を慌てて入れても、一人前になる頃には、ほとんどの社員が、定年退職」
ということだ。
しかも、ただでさえ、若者は少ない。今の時代に正社員で入って来ようという人も少ないだろう。
若者も、
「どうせ、正社員で雇うところも少ない」
というのは分かっているからだ。これが、結局、
「深刻な人手不足」
という問題を引き起こし、
「企業が成り立っていけるのか?」
ということになっていくのである。
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