第4話 目撃

 この街における、新しく出てきた政治家だったが、彼は、

「政治家としては優秀なのだが、一つのことを言ったことで、まわりに敵を作ってしまった」

 ということが、一部の人でささやかれるようになっていた。

 この街では、ある程度の権力を持っていて、

「ほぼ敵はいない」

 ということで、結構、まわりから、何かを言われるということもなかった。

「波風の立たない政治家」

 ということで、いい意味でも悪い意味でも、あまり目立たない存在ではあったのだ。

 しかし、彼が言った一言が物議をかもし、一定の期間、世間から注目を浴びたのだった。

 彼が何を言ったのかというと、

「私は、若い頃に、バブルの崩壊というものを見てきたが、ああなることは、十分に予見できたと思う」

 と言い出したのだ。

 しかも、

「自分には予見ができていた」

 というのだが、それに対して、世間はかみついた。

「分かっているなら、どうして言わなかったんだ?」

 ということであったが、

「そんなことが言える状況ではなかった」

 という言い訳をするのだが、その言い訳が、今度は、思わぬ方向から、注目されることになった。

 というのは、その注目する組織というのは、基本的には、

「浮上している連中」

 ということではない。

 だから、彼らが、この政治家を注目しているということは、誰にも知られていない。

 もっとも、彼らの存在は、他の人に知られているようなことではなく、だからこそ、

「この政治家が、自らを公開することになった」

 ということになるのであろう。

 一種の秘密結社なのだが、その秘密結社の正体は、誰も知らない」

 実は、警察の公安が秘密裏に、

「内偵」

 というものをしているという話は、この政治家にも分かっていた。

 だから、この秘密結社のことは一切口にしないが、知っているのは知っているのだ。

「裏に金を回して、調べさせている」

 ということをしていた。

 やっているのは、

「参謀と言われる男で、彼は実に優秀である」

 といってもいいだろう。

 しかし、その参謀というのは、今までにずっと、その人が担ってきたというわけではない。

 今までに数人いたのだが、さすがに、あまりにもその重責の重さに耐えられなかったり、あるいは、政治家との考え方の違いからか、

「これ以上はついていけない」

 ということで、離脱する人もいた。

 そんな人を一応、離反を許すのだが、一定期間は、その様子を探るということは辞めなかった。

 下手に辞めさせたといっても、他の人にしゃべられるとまずいことになるのは分かっているからだ。

 しかし。今までに辞めていった人は、その本質を知る前に皆辞めていっている。

「これくらいのことであれば、しゃべられても、問題ない」

 という程度のことで、もっといえば、

「今の彼らが知りえた知識であれば、下手にしゃべられても、本質と違ったところをしゃべるので、却って、しゃべられた方がいいくらいだ」

 ということになるのではないだろうか?

 そんなことを考えていると。

「やつらの政治的な表向きな市政とは違う裏の顔があるということになるのである」

 と言われるが、そんなものは、

「政治の世界であれば、どこにだってあることではないだろうか?」

 ということであった。

 今の時代において、いや、

「昔から変わっていないこと」

 として、

「政治家が、本当のことを話すわけがない」

 ということである。

 一つを攻められると、行くと織物、

「言い逃れ」

 というものができていて。そのパターンごとに、マニュアル化されている。

 参謀連中は、

「絶対に、政治家を守らなければいけない」

 ということであり、本当のことではないことを、

「いかに、本当のように話すか?」

 ということが、その政治家の手腕だったりするのだ。

 表向きの、

「国民のため」

 などというものは、正直。

「できようができまいが、選挙で落選さえしなければいいんだ」

 ということであった。

 本当であれば、

「票が多ければ多いほどいい」

 ということになるのだろうが、彼らの、

「主な仕事」

 というのは、あくまでも、裏稼業ということである。

「表稼業というのは、政治家に慣れるだけの手腕があれば、誰にでもできる」

 と思っていた。

 そして、

「本当の政治家というのは、裏稼業をできるかできないか?」

 ということで決まってくるということなのだ。

 つまりは、

「裏稼業」

 というのは、

「汚い仕事」

 の代名詞だといってもいい。

 しかも、政治家は、表では、

「絶対に、自分が汚れてはいけない」

 ということであった。

 あくまでも、表が汚れていないから、世間を欺いて、裏稼業ができるのだ。

 だからこそ、

「参謀」

 というものが必要で、いざとなれば、

「影武者」

 となって身代わりに死ぬような人物の確保も必要だった。

 参謀をいうものが、どういうものなのかというと、前章における。

「参謀の種類」

 の件を見ると分かることだろう。

 バブル経済の頃は、

「企業戦士」

 なる言葉が流行り、

「24時間戦えますか?」

 などという、スタミナドリンクの宣伝もあったくらいだ。

 そんな時代から、参謀というものが、裏で暗躍していたことは、皆の

「暗黙の了解」

 だったのではないだろうか。

 それこそが、

「世間を欺く」

 あるいは、

「裏の暗躍」

 ということを主なこととするのは、バブルが崩壊しようがしまいが、同じことだったのだ。

 彼が考えていたのは、どこまでだったのかは分からないが、少なくとも、

「バブルの崩壊というのは、十分にありえる」

 ということであり、

「どうして、誰もそのことに気づかないのだ?」

 ということでもあった。

「実際には気づいてはいるが、もし、その危機を口にすれば、世間は混乱してしまうに違いない」

 ということと、

「それを口にしたところで、世間からは、せっかくうまくいっているものに水を差す」

 ということで、

「何も生み出さない」

 という発想から、こっちが、村八分にされてしまう

 と考えるからではないだろうか?

 何といっても、

「世の中は、世間を無意味に惑わすことを嫌う風潮がある。たとえば、かつてガリレオが、地動説を唱えた時、世間を惑わす思想だということで逮捕され、拷問されたりしたことが、いい例ではないか、それを考えると、共通していえることは、世の中を惑わすは?そうが、世の中をいかに惑わすか?」

 ということになるのである。

 今の時代において、そんな発想がいかに、危険思想だといわれるか、特に日本のようなところは、平和ボケという意味で大きいのかも知れない。

 特に政治家などにおいては、

「自分が現役の時代に、そんな厄介なことが持ち上がっては困る」

 と考えている人も多いだろう。

 もし、バブル経済において、陰りが見えてきたとしても、実際に、政府のテコ入れが始まる時期は、まだまだ数十年も先のことだろう。

 と思っているかも知れない。

 確かに、いつ頃から、ここまでのバブル経済という未曽有の好景気がやってきたのか分からないが、簡単にできたものではないだろう。

 だから、もし陰りが出てきたとしても、そう簡単に瓦解するはずがないと思われていたことだろう。

 そうなると、政治家というものが、保身に走るということが当たり前の世の中だと、

「自分の時代ではなくなれば、俺たちにとって、どうすればいいのかということは、次の世代が考えればいい」

 ということになるだろう。

 もちろん、歴然とした将来に対しての問題が持ち上がれば、

「分かっていることを先延ばしにして、それでも政治家か?」

 と言われることであろう。

 だから、かなり前から、

「少子高齢化」

 などという問題にも、担当省庁を作り、大臣を置くということで、対応をしてきたのだった。

 しかし、実際に、部署を作ったり、大臣をおいても、結局、どうすることもできない。

 あくまでも、

「やってますアピールをいかに示すか?」

 ということだけしか考えていない政府なのだから、それも当たり前だろう。

「どうせ自分たちの時代に、政権を揺るがすような問題になるわけはない。問題が発覚したから、やってますアピールをしているだけで、本当の対応などできるわけもないということになるのだった」

 これが、政府の考え方で、バブル経済の先行きなど、曖昧でしかないものの、事を荒立てるようなことを政府がするわけもないということであった。

 だから、

「俺たちが、そんなことを分かっているのかいないのか、しょせんは、国民に分かるわけもない」

 ということで、

「危惧」

 というものはあっても、それを解決するすべどころか、ハッキリしない部分が多いだけで、ただ不安に駆られているだけでは、どうなるものでもないのであった。

 そんな

「バブル崩壊」

 という問題を、この村出身の先生は、メモ程度では、かなりのところまで分かっていると書き残していた。

 少なくとも、具体的な内容として

「銀行の破綻」

「生き残りのための、吸収合併政策」

「非正規雇用の拡大」

「終身雇用の崩壊」

 というところくらいまでは分かっていたようだ。

 もっとも、

「銀行の破綻」

 ということが、分かってくれば、他のことは、ちょっと考えれば分かることではないだろうか?

 そして、もう一つ言えることは、

「分かったところで、政府がどうにかできるというものではない」

 ということであった。

 だから、バブル崩壊というものは、

「世の中の本来の動き」

 というものに戻すという、本来の方向に抗うということになるのかも知れない。

 それだけ、

「本来の方向に抗う」

 というおかしな発想になるというほど、

「分かってしまえば、容易に思いつくシナリオのはずなのに、実際に、分かろうとしないことにより、目の前に蓋をする」

 という、おかしな発想が生まれてくるのであった。

 要するに、

「どうすることもできないのであれば、変に口に出して、流れに抗うようなことをしない方がいい」

 ということであった。

 他力本願として、

「誰か偉い経済学者が、その対策を考えてくれるのだとすれば、今の流れを下手に変えてしまうと、それがうまくいかなくなる」

 ということになれば、本末転倒だということであろう。

 しかも、それを自分たち政府が行い、それを国民が知ることとなると、自分たちの政治生命を、自分たちで壊したことになる、

 世間は、そんな政治観に投票などしてくれないだろう。

「私は、○○をお約束します」

 などといっても、説得力などあるわけはない。

「正直者がバカを見る」

 ということの典型的な例であろうか。

「今の世の中、うまくわたっていかなければ。簡単に足元をすくわれる」

 というわけである。

 その考えが、政治家に限らず、それぞれの企業のトップが考えていることだろう。

 しかも、

「えらい学者の先生」

 というものも、同じように、

「どうせ誰かが?」

 と思っているに違いない。

 誰が、

「火中の栗を拾う」

 などということをするというのか。

「政治家が、他人事なら、学者や企業のトップだって他人事だ」

 ということで、結局誰も、自体に立ち向かおうとしない。

 その煽りを食らうのは、国民一人一人で、政府や学者、会社の経営陣に、

「そんな考えがあったかもしれない」

 などということは、誰が分かるというのか。

「知らぬが仏」

 ということで、片付けられるものだろうか?

 そんな政治家にも、参謀というのがいた。

 その参謀は、結構頭が切れたので、かなりその政治家から期待もされていて、何が一番すごいのかというと、

「彼には、人心掌握術がある」

 というところであった。

「だったら、自分が、政治家として表に出ればいいのではないか?」

 と言われるのだが、実際には、そういうことではないのだった。

 というのは、

「政治家として表に出ようとすると、どうしてもだめなところがある」

 ということで、その一番は、

「カリスマ性において、致命的に薄い部分がある」

 ということであった。

「人心掌握術というものがあっても、人を引っ張って行ったり、輪の中心にいるということに長けているわけではない」

 ということであった。

 それに、彼は頭の回転の速さからなのか、自分を掌握することは誰よりも得意だったようだ。

 だから、最初から、

「自分は政治家には向かない」

 ということと、

「輪の中心になることはできない」

 と分かっていることで、

「だったら、参謀がいいのではないか?」

 と考えたのが、中学生くらいの頃であり、それ以降は、参謀として将来を担うということを考えたことで、その自分というものが、どれほど将来的に成功するのだろうかを考えたのだろう。

 実際に、

「まわりに、政治家か、参謀のどちらに向いているのか?」

 と考えると、

「政治家だ」

 と答えが出る人の方が多い。

 ほとんどの人は、

「どっちもできない」

 という当たり前の答えしか導き出さないが、それでも、彼のまわりには、

「政治家であればなれる」

 という人が少し多くなってきているということが分かっているようだった。

 そういう意味では、

「俺だから、そういう政治家向きの人が近くに寄ってくるんだろうな」

 と感じた。

 しかし、逆に、

「参謀向き」

 という人はまずいない。

「少ないだろうな」

 と思うような人はそれなりにいるのだろうが、実際に、参謀に向いているという人は、ハッキリ言っていなかった。

 だから、

「果たして自分も参謀に向いているのだろうか?」

 と考えてしまう。

 っどちらかというと、政治家ではないから、参謀だ」

 と勝手に思っただけなのかも知れないが、

「自分では、そうは思いたくない」

 という思いから、

「世の中というものを、どの方向から、そして、どの切り口で見るか?」

 ということで、自分の見方も変わってくるのではないだろうか?

 そんなことを考えていると、

「世の中にいる自分を見るのではなく、自分がいる世の中を見る」

 という考え方に目線を変えてみると、今度は自分のことが分かってくるのかも知れない。

 と感じるようになるのであった。

 だから、

「参謀になりたい」

 と思うようになって。

「参謀と呼ばれる人」

 の本を結構読んだりした。

「黒田官兵衛、竹中半兵衛の良兵衛」

 しかり、

「直江兼続や、片倉小十郎景綱」

 さらには、

「本田正信、真田昌幸」

 などという、

「それぞれの立場での軍師、参謀と呼ばれる人たち」

 であったり、

「大日本帝国における陸軍」

 というところでの、

「参謀本部」

 というおのの立ち位置というものも見たりしたものだった。

 読めば読むほど、

「俺にふさわしい気がするな」

 と感じたのだ。

 その人は、別にこの街の出身でもなんでもなかった。

 しかし、

「俺は誰の参謀になればいいのか?」

 と考えた時、なぜかこの街出身の、

「バブル崩壊」

 というものを感じていたこの政治家の参謀になろうと思ったのだ。

 それは、この政治家が、自分にだけ、

「バブル崩壊」

 というもののメカニズムを教えてくれたからであった。

 正直、他の人であれば、

「そんな話をされても」

 ということで、嫌な気分になるのは当たり前のことだっただろう。

 しかし、彼は、政治家のその話を真面目に聞いた。

 もっとも、真面目に聞いたからといって、どうなるものでもないということであろうが、少なくとも、

「話を聞いて、そこまで嫌な気分にならないというのは、俺くらいのものだろう」

 と感じた。

 だから、

「この政治家は、他の人に話せないようなことを、俺だけに話してくれる。そういう意味では、分かり切っていることが多いのだろう」

 という思いがあったのだ。

「政治家というのは、

「俺だから、やれているんだ」

 というくらいのうぬぼれがあってもいいと思っている。

 しかし、

「それは、なるべくまわりには隠しておくもので、それができないのであれば、そもそも、政治家には向かない」

 と思っていた。

 だから彼が、

「俺は政治家じゃないんだ」

 と感じたのは、この辺りにその理由があったのではないだろうか?

 本人としても、そこまで自分を分かっていると思っているわけではないので、参謀になるということを考えた時も、まわりの誰にも言わなかったのである。

 だから、参謀になった時も、その人が、どこで働いているのかということは、本当にごくわずかな一部の人間しか知らなかった。

 自分から、漏らすようなことはしないし、漏れたとしても、

「だからといって、何なんだ?」

 ということで、下手に問題を大きくしようなどという発想があるわけはなかった。

 ただ、

「俺は参謀なんだよな」

 という思いは強く、

「政治家ではない」

 という思いとがバランスよく考えられているように思えてならなかった。

 そんな街を、令和の時代に歩いていると、そんな政治家がいたなどということを覚えている人は、そんなにいないだろう。

 しかも、その時に参謀がいたなどということを知っている人も、まずいないということから、この街が、

「住宅街」

 として生まれ変わったのを、誰もが不思議に思わない様子だった。

 しかし、考えてみれば、いくら田舎とはいえ、住宅街建設ラッシュはほとんど終わっていると思われ、いまさら、21世紀に突入してまで、住宅地としての開発が進んでいるのか分からなかった。

 といっても、実際にこの土地は、例の政治家が、

「ここを住宅地にする」

 ということを、大きなテーマにしているということは、周知のことであった。

 それを知っている人は、自治体でも、当時活躍していた人は皆知っているだろうし、有権者も分かっていたはずだ。

 何しろ、

「選挙公約」

 というものが、

「街を住宅地にする」

 ということがそのテーマだったのだ。

 そんなテーマを公然としていて、

「よく、選挙に通ったものだ」

 というのが、不思議であったが、その理由には二つあり、一つは。

「他の連中では、あてにならない」

 ということであった。

「自分たちのことだけしか考えない、そんな政治家ばかりだ」

 というのが、その一つであり、もう一つとしては、

「彼は、その公約を必ず守ってきた」

 ということであった。

 いくつかある公約のすべてを守れるわけではないが、その中の自分の中で、

「目玉だ」

「肝入りだ」

 と言われる政策にかんしては、ほとんど守られていたことから、

「一番信頼できる」

 と言われていたのだ。

 そして、彼に、

「参謀がいて、その参謀が実に優秀だ」

 ということも、公然として語られることだったことから、実に有名なこととして、誰からも、一目置かれていたといってもいいだろう。

 実際に、街の権力者からも、信任が厚く、彼らの組織票も十分にあった。

 だから、

「彼は立候補さえすれば、あとは、もう、当選したも同然である」

 と言われていたのだ。

 それを考えると、

「俺たちの政策は、この土地を豊かにするに違いない」

 ということで、信仰していたといってもいいだろう。

 そんな政治家であったが、年齢には勝てなかった。平成の終わりには、すでに80歳近くになっていて、

「次回の選挙を最後にしよう」

 と言われていた。

 参謀とは、積年の付き合いだったことで、

「後は、お前に任せたい」

 ということで、話をもらったが、参謀とすれば、自分の立場はわきまえているということもあって、

「いえ、私は辞退したく存じます」

 といって、丁重にお断りしていたのだ。

 もちろん、政治家も、

「分かっていてのお願いだった」

 といってもいいだろう。

 何といっても、

「私たちは、今の政治をどうにかしたいとは思わない」

 と、参謀はいっていた。

「私はあくまでも、先生の政治のお手伝いさえできればそれでいいんです。私にはそれだけしかできませんし、それができるだけで本望なんです」

 といっていた。

 半分は本音だっただろう。

 しかし、残りの半分が何であったのかということは、本人にも、よく分かっていないといってもいいだろう。

 そんな彼らが引退してから、そろそろ7年が経とうとしていた。

「そんな政治家がいたっけ?」

 というほどの時間が経っているのは、分かっていることだった。

 特に、途中で、平成から令和に変わった。

「ただ、年号が変わっただけだ」

 ということに違いはないのだが、この街では、

「ただ、それだけではなかった」

 といってもいいだろう。

 特にこの街は、年号を会社名であったり、建物に就けていることが多かった。

 だから、今でも、

「平成〇〇」

 というところが多く残っている。

 中には、

「昭和○○」

 というのも少しはあるのだった。

「年号が変われば、社名も変えなければいけない」

 などという条例があるわけではなかった。

 しかし、今まで年号が変わるごとに、

「それが儀式だ」

 と言わんばかりに、社名を変えるところが多かった。

 中には、

「そんなことはしなくない」

 といってかたくなに、

「昭和」

 を貫いているところもある。

 というのは、戦略的なもので、

「昭和からうちの会社や店は続いている老舗だ」

 と言いたいのだろう。

 焦って、年号が変わったからといって名前を変えるのは、

「愚の骨頂だ」

 と思っているのだった。

 実際に、急いで変えたとしても、それで売り上げが増えるわけでもない。

 ただ、

「会社名がいち早く令和になれば、二番煎じだ」

 と言われることはない。

 ということになる。

 特にこの街では、

「よそよりもなるべく早く」

 ということが重要だと思っている人が多いので、事を急ごうとするのだが、逆に、

「どこかに先にされてしまうと、もう完全に萎えてしまうのだ」

 ということだ。

「2番になるくらいなら、最後になったとしても同じことだ」

 というもので、

「だったら、変える必要なんかない」

 と思う人が多いのか、明治から大正に変わった時など、皆足並みを揃える形で、名前を大正にしていたが、今の時代は、前の時代のものが平然と残っているというほどに、名前を変えないところが増えているのだ。

「どうせ、すぐ変えることになるさ」

 ということと、

「次の改元の前に、会社が存続しているかどうか」

 と思う人も若干いるようだった。

 そんな時代において、駅前から自分が降りるバス停までやってきて、普段と同じく、その日もコンビニに立ち寄った時、ある気が柄、その雰囲気は普段と違っているのを感じたのだ。

 その理由は、

「いつもよりも暑さがあり、それが湿気を感じさせるからではないか」

 ということが分かっているのだが、普段に比べて、歩いていながgら、吐き気を催してきたからだった。

 明らかに気持ち悪い匂いがするのだが、それは、コンビニの少し手前にある小さな病院に差し掛かった時くらいであった。

 子供の頃から、その病院には世話になっているが、特に病院の前を通った時、アルコールの匂いが感じさせられるようになると、一緒に襲ってくる頭痛を無視することはできないのであった。

 特に、

「熱があるんじゃないか?」

 と思った時は、普段から汗をあまり掻かないからなのか、

「これ以上、気持ち悪いことはない」

 と感じさせられるのだった。

 匂いが、普段と違って、酸味を帯びている。しかも、アルコールの匂いがさらにひどさをまして、本当に吐き気を催してきて、

「普段とは、違う感覚の頭痛を感じさせられる」

 ということであった。

 駅前を通った時も、たまに似た感覚があった・

 というのは、駅前のバス停まで歩くその途中にあるビルの地下から、時々、アルコールの嫌な匂いがしてくるのは、

「歯医者が、このビルの地下にあるからだ」

 ということが分かっていたのだ。

 歯医者というのは、その独特の匂いから、吐き気は尋常ではなく、しかし、

「都会の駅前には、必ずといっていいほど、歯医者さんは、存在する」

 というもので、しかも、

「仕事が終わってからも来れるように、診察時間は、午後9時まで英ふょうしているのであった、

 何度かその歯医者も利用したことがあったが、

「いつであっても、歯医者というのは嫌なものだ」

 と感じさせられる。

 一つは、その独特の匂いの強さであり、さらには、歯を削る時の、あの

「キーン」

 という、まるで頭を削られるようなあの音を感じた時であった。

 バス停を降りたところにあるのは歯医者ではなく、外科だった、

 本来なら、

「歯医者よりも、外科の方が、その独特な匂いは強いはずで、病院の中に入ってからであれば、歯医者の方が、先にその匂いに慣れるのであった」

 と思っていた。

「痛みが匂いに比例する」

 ということであれば、

「歯医者の匂いが過剰に反応させるのではないか?」

 と感じるのは、無理もないことで、その日は、歯医者を通りかかった時は、そこまで感じなかったにも関わらず、その痛みが

「まるで時間差でやってきたかのように、頭痛を感じさせるのだった」

 それを思うと、

「この頭痛の痛みは、歯医者の匂いによるものではない」

 と感じた。

「この痛みは、一定の時間が経てば、その痛みは遠ざかっていくものだということで、頭痛というよりも、その気持ち悪ささえ取り除けば、自然と、頭痛も引いてくるのではないだろうか?」

 と感じさせるのであった。

 痛みを感じる時、どこまでそのきつさが残っているかということは、

「頭痛を伴った吐き気がもたらすものは、腰痛を伴うものだ」

 と感じたことで、

「最近は、外科においても、その痛みの酷さを感じる」

 ということで、

「そのうちに、外科に通うことになるのではないか?」

 と前兆のようなものを感じるのだった。 外科を通り越して少し歩くと、そこには、普段から意識することのない神社だった。

 しかし、その日は、やたらと、その鳥居の赤い色が目立っているような気がしたのだ。それは、その鳥居の色が、

「精神状態によって、見え方が違っている」

 ということを無意識のうちに感じていたからだった。

 その鳥居の色が、普段であったり、明るい時間帯、特に、午前の10時前後から、夕方の日が暮れるくらいまでは、オレンジ色に感じるのだ。

 それは、

「光を反射させる効果がある」

 という意識があるからで、しかも、光が当たった時の、その部分は、眩しいくらいの反射を感じるのだ、その箇所だけが、オレンジがさらに眩しさを覚え、一瞬、黄色に見えるくらいだった。

 そして、

「ろうそくの炎」

 といってもいいくらいのその明かるさが、あっという間に光が奪われたかのような、夕闇が迫ってくると、そこは、

「風が一瞬止まる」

 といわれる、

「夕凪の時間」

 であったり。または、

「魔物に逢う時間」

 と言われる、

「逢魔が時」

 と言われる時間であったりする。

 特にこの時間は、

「交通事故のようなものが起こりやすい時間帯だ」

 という。

 そこから、昔の人は、

「魔物に逢いやすい」

 ということで、この辺りの時間帯を、逢魔が時というようになったのであった。

「なぜ、事故が起こりやすいのか?」

 ということは、実は科学的には分かっている。

 というのは、

「目に見える」

 といいう現象は、太陽光線の影響によるものだということは、分かり切ったことである。

 その作用は、夕方になると、その光の強さと角度によって、

「モノクロに見える」

 という瞬間が、少しの間続くのだという。

 人間には、錯覚があるのか、暗くなり罹っていることで、見えにくいという理屈までは分かっているのだが、モノクロになるというところは、錯覚として、感じることのできないものなのではないだろうか。

 それを考えると、

「人間というものが、どこまで見えているのか自分でも分からないところが錯覚を呼び、メカニズムの分からない人は、魔物のせいにすることで、この時間帯が危ないということを分かっていながら、気を付けるといっても、そのすべが分かっていないのである」

 といってもいいだろう。

 そんな時間帯は、特に、オレンジ色が、鮮明に見えるというのだった。

 そして、あとに襲ってくるのは、

「夜の静寂」

 というものだったのだ。

 夜になると、まったく色を感じなくなるが、

「逢魔が時と呼ばれる時から、日が落ちるまでの、数十分くらいという短い間、この鳥居は、完全に、真っ赤になる」

 ということであった。

 その時に感じるのは、

「やはり、ろうそくの炎が消えかかった寸前を思わせ宇」

 というのであった。

「明るさと色」

 この関係は、

「交わることのない平行線」

 というものを描いていて、難しい感覚であった。


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