第3話 軍師

 けやき並木のあるこの街は、戦後しばらくは、あまり開発されなかった。まずは何といっても、県庁所在地である都心部の、復興が最優先で、戦後十年以上も、バラックが残っていて、その分、まだまだいろいろなものが不足していたのだ。

 建築物資はもちろんのこと、食料も満足になく、配給も、ほとんど滞っていて、闇市が蔓延る世の中になっていたのだった。

 毎日のように、バタバタと、栄養失調で死んでいく。今の時代に、

「栄養失調」

 などという言葉、聞いたこともなく、もし、

「栄養失調で、人が死んだ」

 ということであれば、まzy間違いなく、別の犯罪が絡んでいるということになる。

 例えば、親が遊ぶのが大切で、子供に満足に食事を与えていなかったり、

「しょせん、老人だから」

 と、適当に食事を与えておらずに、死に至らしめるなどという、

「虐待」

 ということでの、家族を死に至らしめるという、普通であれば、

「ありえない犯罪」

 といってもいいだろう。

 そういえば、そこに、人の洗脳というのが絡んでいる犯罪もあった。

 相手の人が普通の主婦で、

「自分のいうことならなんでも聞く」

 とでもいうように、洗脳することに成功すると、自分のためになることしか、命令しないようになった。

 相手が、洗脳されたのは、洗脳したとされる人に、

「特別な能力が備わっているからなのか?」

 それとも、

「洗脳される人が、相手が誰であれ、ちょっと説得力のある人の言葉であれば、すぐに市が経ってしまう」

 というような、

「洗脳されやすいような人だ」

 ということになるのか、そのどちらなのかは別にして、

「最終的に、どこかで何とかならなかったのか?」

 ということであった。

 奥さんは、完全に、この女の傀儡であった。

 どうやら、あとで分かったこととしては、この操った女は、前にも似たようなことをしたことがあったということで、その時には、

「犯罪として明るみにでなかったことで、何とか助かった」

 ということであったが、ひょっとすると、その時に成功したことで、味を占めていたのかも知れない。

 さすがに、それを取り調べでいうと、

「罪を認めたことになる」

 ということから、

「口が裂けてもいえない」

 ということになるだろう。

 だから、警察では、何も言わず、

「黙秘権を行使していた」

 ということであった。

「私は、今回の事件にかかわりはない」

 と言い続けた。

 事件というのは、

「母親が、半分ヒステリックになっていて、すでに、常軌を逸していた状態だったというのだ」

 つまり、精神異常に陥っていて、自分もあまり食事をせずに、もちろん、子供のために何かを作るということもしない。

 そのため、自分もだいぶ弱っていたようだが、子供が先に倒れてしまった。

 そこで、やっと我に返り救急車を呼んだが、結局、

「栄養失調」

 ということで、

「満足な食事も与えられていないことでの、死だった」

 ということは、一目瞭然だったのだ。

 そんなころは分かり切っていて、それは、

「母親本人を見ていれば分かる」

 ということだった。

 最初に警察も、

「一体何が起こったんだ?」

 と思ったことだろう。

 母親が完全に精神疾患に陥っていて、ヒステリックで、うつ状態も引き起こしているようだった。

「普通は、ここまではならないのだが」

 と医者もいっていたが、いろいろ捜査が進んでいくと、

「どうやら、他の女に洗脳されていた」

 ということが分かってくる。

 いつも、二人はこそこそしていて、明らかに、片方が片方を蹂躙しているという状況だった。

 周りも皆分かっているが、それをどうにかしようという意識はなかった。

 基本的には、

「皆一つサークルの中」

 ということなのは、分かり切ったことであり、

「それを見ると、誰か他の人が何もいえなくなる」

 ということである。

 下手に口を出すと、洗脳している人から恨まれることになり、

「誰がその女から洗脳されているのか?」

 というところが分からないので、下手をすれば、

「自分だけが、はみ出し者となってしまい、自分の身が危ない」

 と思ったのだ。

 しかも、明らかに洗脳されているということが分かっているその女が。どこまで危険な状態なのかということは分からないのだ。

 下手をすれば、

「私、洗脳なんかされていないわ」

 とでも証言されてしまうと、自分だけが孤立してしまい、さらに、そのせいで、自分が恨みを買うことになり、今度のターゲットは自分に向くかも知れない。

「そんなサークルからは、身を引けばいいじゃないか」

 と他の人は簡単にいうだろう。

 しかし、そんなに簡単に身を引けるものだろうか?

 それを考えると、

「自分には、そんな簡単にできることではない」

 ということで、まわりは皆分かっていることなのに、どうすることもできないのであった。

 そんあ、

「膠着状態」

 というものが続いたことで、時間だけが過ぎていくと、自体は、当然進展し、

「洗脳している女の思い通りだったのかどうかは分からないが、少なくとも、その中で一番得をしているように見えるのは、その洗脳している女だけだった」

 ということであった。

 まわりすべてが、ひどい状態であったとしても、この女が得をした部分とを比較して、決して。

「洗脳女の一人勝ち」

 ということになっているようなわけではないようだった。

 結局は、

「人が一人死んでしまい、親も、放っておけば、死に至った」

 ということで、

「一つの家庭をめちゃくちゃにした」

 という事実に変わりはない。

 しかも、

「子供を直接の死に至らしめたのは、親の責任」

 ということに間違いはないのだ。

 ただ、この洗脳女の立場がどのようなものだったのか?

 ということが一番の問題だった。

 基本的に、当たり前のことだが、

「二人とも、起訴される」

 ということは、間違いないことであり、あとは、司法に委ねられるということになったのであった。

 母親は、もちろん、罪を認め、スムーズに裁判は、粛々と行われた。

 傍聴者であったり、世間の人は、賛否両論もあっただろう。

 被告に対して、

「気の毒だ」

 というような、同情的な目もあっただろうが、やはり、ほとんどは、

「死んだ子供がかわいそう」

 ということで、

「どんな言い訳をしても、母親は許されることはない」

 というのが、大方の意見ではないだろうか?

 もちろん、その後ろに、

「操っているモンスターがいる」

 という事実にかかわりがあろうが、なかろうがということであろう。

 問題は、その後に裁判を残している、

「洗脳女」

 の問題だった。

 この女は、完全に、罪を否認している。

「子供が死んだのは、母親に全責任があり、自分には関係ない」

 という立場だった。

 たぶん、この人に関しては、ほとんどの人、いや、

「すべての人」

 といってもいい人すべてが、

「この女がすべて悪い」

 と思っているに違いない。

 それは、もちろん、

「母親の罪」

 というのは別にしてである。

 だから、裁判も、もちろん別々である。

 そして、実際に、判決が出ると、

「洗脳女の方が、罪が重い」

 という裁定となった時、世間の人すべては納得したのではないだろうか?

「これこそ、正義の判決だ」

 と言わんばかりのことであった。

 世の中には、

「腑に落ちない」

 と思われることも結構あり、それが、判決に対して出る結果だったりするのも、往々にしてあるというものである。

 しかし、今回の判決は、そんなに悪いものではなかった。ほとんどの人の、

「納得のいく判決だった」

 といってもいいだろう。

 世の中の理不尽さを、少しでも解消してくれる判決で、

「スカッとした」

 という人は結構いたに違いない。

 もっとも、この、

「洗脳女」

 が、納得するわけもなく、

「性懲りもなく」

 上告したことは、当たり前のことであるが、皆、

「まだやるか、こいつ」

 と思ったに違いない。

 世の中には、

「犯罪とは認定されないが、理不尽なことは山ほどある」

 というものだ。

 特に、会社などが絡めば、それも当たり前のことであり、たとえば、

「リストラ問題」

 なども、ひどいものだ。

 会社の経営がうまくいかなくなると、まず会社がやることは、

「人員整理」

 である。

 各部署から、数人ずつの、

「リストラ候補」

 となる、

「名簿のようなもの」

 を、提出させ、それを元に、人事が、理不尽な配属をさせる。

 これまで、本部で管理部門を担ってきた社員に、いきなり現場での配属をさせ。しかも、

「明らかに通勤ができない」

 というような、遠隔地に追いやるのだ。

 それによって、いかにも、

「辞めてくれ」

 ということを、暗黙で言っているのと同じことで、

「退職を、有無も言わせない」

 ということで、完全な、

「自己都合」

 という退職理由で、

「首を切っていく」

 ということになるのだ。

「バブル崩壊」

 の時などは、

「早期退職者」

 というものを募っていた。

「退職金に少し色をつける」

 ということがその理由だった。

 そもそも、当時であれば、

「残るも地獄、辞めるも地獄」

 だったといってもいいだろう。

 会社が、そこまでして生き残ろうとした場合、

「リストラ」

 ごときで、何とかなるわけもない。

 最終手段として考えられることとして、

「大きいな会社との合併」

 ということであろう。

 そうなると、吸収された側の社員は、皆地獄である。

 もっとも、吸収する側も、余計なものを吸収することで、自分たちの稼いだ利益をあちらに充当するということになり、決して、得なことではない。あくまでも、

「会社だけが、得をする」

 ということにしかならないだろう。

 だから、残ったとしても、まるで、針の筵状態である。

 もちろん、会社を辞めれば、職を求めてさまよっている亡霊がたくさんいて、その連中からも、自分のことが、亡霊にしか見えていないことだろう。

 それが、バブル崩壊の時の、

「悪夢のようなもの」

 といってもいい。

 そんな時代に、仕事を辞めて、どうなるというのか?

 だから、どっちに行っても、

「地獄でしかない」

 ということになるのであった。

 そんな時代があったのを知っている人は、だいぶ少なくなっただろう。

 しかも、それ以前のバブル景気に沸いていた時などを知っている人は、

「天国からいきなり、奈落の底に叩き落された」

 ということを感じた人も、そろそろ、定年退職を迎える時期に差し掛かっていることだろう。

 当時のバブル経済が崩壊する前に、少し前兆のようなものがあった。

 就職に関して、一時期就職難だった時期があったのだが、、それが、

「それまで、一定数の採用を行っていた大企業が、軒並み、その年の採用を見送った」

 という時期があったのだ。

 実際に、その分が、中小企業に集まり、競争率が激化したばかりか、最初から優秀な連中を相手にしなければいけないのだから、当然、相手になるわけはない。

 そうしているうちにでも、何とか就職できたのであればいいわけだったのだが、また翌年から、大企業は、採用し始めるようになったのだった。

 それを感じると、

「俺たちの時代は、何だったんだ?」

 ということであった。

 しかも、そこから数年後には、

「空前の売り手市場」

 と言われるようになり、

「大企業が優秀な人材を他にとられないように、社員の抱え込みということで、入社前からの。大盤振る舞い」

 というものがあったのだという。

 たとえば、

「研修と称して。海外旅行に連れていってもらう」

 というようなことであったり。

「宴会などでの、おもてなし」

 というものがあったりと、

「企業は、ありとあらゆる方法で、優秀な人材を確保しようとした」

 ということである。

 考えてみれば当たり前のことであり。

バブル経済というのは、

「事業を拡大すればするほど、儲かる」

 というものなのだ。

 だから、事業家くっだいすれば、その分、人手がいるということで、

「将来は、新規事業として、子会社を設立すれば、そこの取締役候補がいる」

 ということになるのだ。

 当時は、まだまだ、

「年功序列」

 であり、

「終身雇用」

 というものだった。

 会社に入社すれば、定年まで勤め上げるというのが当たり前の時代であり、新入社員は皆、そのつもりで入ってくるのであった。

 中には、業界の性というもので、

「入社一年目で、3割くらいしか残らない」

 ということを見越して、

「毎年、数多くの社員を入れる」

 という企業がある。

 だから、

「募集が多い」

 といっても、それは、見えている部分だけのことで、まさか、相手が、

「辞める人数を見越して雇っている」

 などとは思いもしないことで、入ってびっくり、ついていけなくなって、挫折する人が多いのだ。

 それだけ、研修期間に覚えなければ多かったり、規律が厳しかったり、実際に配属されてからのことを考えると、

「こんなはずでは」

 ということで、

「だったら、早めに辞めて、他の会社に」

 と思う人もいただろうが、実際には、そんなことを考える余裕もなく、

「一刻も早く辞めたい」

 という思いで、辞めていく人が多いということであろう。

 それを考えると。

「会社というものを、簡単に信じてはいけない」

 ということになるのだ。

 それが、この

「売り手市場」

 というところから始まっている。

 いや、もっといえば、

「大企業が採用を見送った」

 というその年を前兆として、続いていたことなのかも知れない。

 売り手市場で、いかにも、

「会社からの神輿に乗る形で入社したはいいが、そのまた数年後には、悲惨なことが待っている」

 というわけである。

 この時の、

「売り手市場」

 というのは、まるで、

「ろうそくの炎が、消える前にパッと明るく光る」

 というのと似ている。

 というのは、

「売り手市場」

 というのも、2年間くらいのもので、その後に、

「バブルが崩壊」

 したのだった。

 それまで、

「ありえない」

 と言われた、

「銀行の破綻」

 に端を発して、どんどん、企業が金回りが悪くなり、どんどん、破綻していく。

 それも当たり前のことで、銀行側は、それまでどんどん貸してくれて、

「過剰融資」

 までして、銀行自体が儲けようと思っていたものが、破綻したところを見て、

「明日は我が身」

 ということで、今度は、思い切り、貸し渋りを始めたのだ。

 企業とすれば、

「銀行が何とかしてくれる」

 とでも思っていたのかどうか分からないが、銀行は完全に、保身に走り、

「金を貸すなどもっての他」

 ということで、それまでの債権が凍り付かないようにしないといけなかったのだ。

 それを思うと、

「銀行が金を貸してくれなければ、中小企業など、ひとたまりもない」

 なぜなら、

「お金が回っていくことで、商売ができたという、自転車操業をしている企業ばかりだった」

 ということである。

 うまく回っている間はいいのだが、一か所でもそこかが滞ってしまうと、そこで停滞して、金が回らなくなる。

 それが、自転車操業の命取りとなるのだ。

「不当たりを2回出すと、倒産」

 と言われていたが、そんなものは、あっという間のことだった。

 一度、不当たりを出すと、次は、もうあっという間のことであり、

「待ったなし」

 だったといっても過言ではないだろう。

 それを思うと、

「バブルというもの自体が、大きな、自転車操業だったのではないか?」

 と思うのだった。

 それは、もちろん、その通りだと思うのだが、問題は、

「そのことに、どうして誰も気づかなかったのだろうか?」

 ということであった。

 しかし、それを分かっていたのが、この街出身の政治家だったということを知っているのは、

「誰も今では残っていないだろう」

 ということであった。

 そんな、

「会社だけが得をする」

 という時代に出てきた今の世の中において、この政治家を裏で支える、参謀と呼ばれる人がいたことは、あまり知られていない。

 まるで、昔でいえば、

「忍者のような存在」

 といってもいいだろう。

 参謀というと、

「軍師」

 と呼ばれる人がいて、戦国大名の多くは、そんな軍師に支えられているといっても、過言ではなかった。

 もちろん、軍師という立場ではなく、

「家老」

 という立場で、しっかりとした、会社の中では、

「相談役」

 と言った形の人もいるということであろう。

 軍師というと、

「黒田官兵衛」

「竹中半兵衛」

「山本勘助」

「太原雪斎」

「角隈石宗」

 などが有名である。

 彼らは。戦略的な参謀でありながら、占い師などという側面も持っていたりする。それらが、昔の軍師というものであり、たまに、領主が、彼らのいうことを聞かず、勝手に行動したことで、滅亡を速めてしまったところもあった。

「角隈石宗の遣える、大分の戦国大名であった、大友宗麟」

 などが、そのいい例であっただろう。

「日が悪い」

 と言われたにも関わらず、出陣して大敗を喫した、島津との決戦での、いわゆる、

「耳川の戦い」

 と呼ばれるものが、その例として言われることであろう。

 だから、軍師としての役割は大きなもので、それ以外にも、軍師ではないが、戦国大名を支えるものとして、

「外交を担っている」

 という人も結構いる、

「後北条氏における、板部岡江雪斎」

 であったり、

「毛利家から、豊臣家に仕えた、安国寺恵瓊」

 などがそうであろう。

 特に彼らのような、僧侶を、

「外交僧」

 とも言われていたようである。

 そして、

「家老」

 として、いつも、主君のそばにいるという立場での参謀としては。

「上杉景勝においての、直江兼続」

 あるいは、

「伊達政宗に置いての、片倉小十郎景綱」

 などが、そのいい例であるに違いない。

 

 これらの三つの、

「参謀」

 というのは、

「軍事、外交。政治」

 という意味で、それぞれに必要なものだったのだろう。

 それだけ、有名な参謀というものの存在があってこその、戦国時代における、

「群雄割拠」

 を生き抜いていけるのであろう。

 もちろん、信長のように、軍師的な存在の目立った人がいなかったというのもあるが、きっと、

「信長本人のカリスマ性が強かった」

 ということが大きかったのだろう。

 信長にとって、敵味方を見分ける力、さらには、先を見る、先見の目であったり、優秀な人間を見分ける力のすごさというのも、その力の一つだったのだろう。

 つまり、

「配下の人たちは、信長の命令でなkとも、自分たちだけで判断して、十分に力を発揮できる人ばかりを集めて、方面軍という形のものを形成したのだ」

 そこに信長軍の強さがあり、そんな独自の力を持っている部下たちを、さらに力で抑えることで均衡を保ったといえるのも、信長軍の特徴だといってもいいだろう。

 そんな、群雄割拠の時代に、

「一向宗」

「足利幕府」

「延暦寺」

 などという、悩みの種というものに、

「包囲網」

 を作られながらも、次々に撃破していき、天下人に昇り詰めてきた力は、その本質を見抜いている人がいただろうか?

 どうしても、

「改革派というものは潰される」

 ということになってしまい。それでも、それらを抑え、あるいは、叩き潰しながら、着実に天下人に昇り詰めていた。

「鳴かぬなら、殺してしまえ ほととぎす」

 などという狂歌であったり、

「延暦寺の焼き討ち」

 あるいは、

「浅井朝倉の頭蓋骨を、緊迫の盃にしてしまった」

 という逸話などから、

「血も涙もない冷酷な男だ」

 と言われるようになったのだろう。

 それが、信長という男の後世への評価であり、今まで誰もが思ってきた、

「信長像だ」

 ということになるのであろう。

 軍師と呼ばれるものを参謀とする他の戦国大名と、

「まわりの配下の連中の力をいかしながら、改革を進めていく形の、一種の異端児だといわれる信長と、それぞれ違ってはいるが、群雄割拠の戦国時代を渡り歩いてきた彼らにとって、天下を握るには、いろいろと難しいこともあったであろう」

 信長の後に天下を取った秀吉にしても、明智を破った、

「山崎の合戦」

 から向こうは、結構、順風満帆で天下人に上り詰めていったが、途中で、何かの歯車が狂ったのか、最後は悲惨だったといってもいい。

「弟の秀長の死、長男の死、母親の死」

 と大切な人を次々に亡くしていったことや、自分にとっての権力への執着から、疑心暗鬼になったということもあってか、

「世の中が、まったく違って見えたのかも知れない」

 その後の家康は、

「信長、秀吉」

 それぞれを見てきたので、

「何がよくて、何が悪いのか?」

 という、

「取捨選択」

 というものをうまくできているといってもいいだろう。

 それまでに蓄えてきた、ノウハウや配下の人間に対しての考え方など、

「しっかりと、考え方ができている」

 といっても過言ではないだろう。

 それが、戦国時代からの、

「群雄割拠からの、天下統一における政治への移行」

 といってもいいだろう。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る