第20話 一斉逮捕
奴隷市場から少し離れた酒場兼宿屋。
ここはこの日、奴隷商とその護衛が集まっていた。競売場に入れる人数には限りがある為、事前に入場順番が主催者によって決められているのだ。何度かの競売が行われたら休憩が挟まれ、そこで入れ替わりとなるのである。
「チッ、俺の順番を後ろにしやがって」
文句を言いながら安い酒を呷るのは、二足で歩く狼の獣人。左目を縦断する形で大きな傷があり、秩序も何も無い無法の地の住人らしい顔だ。奴隷を買いそして売る、その在り方を示す言葉は商人である。しかし男の傍らには、二メートルを超える彼の背丈と同じ長さの大剣があった。
治安も何も無い場所では商売相手が襲ってこないとも限らない。それ故に商人という肩書を持っていたとしても彼ら自身もまた護衛と同等、いやそれ以上の実力を有しているのだ。
「ん?」
それ故にか、それとも獣人の鋭敏な感覚からか、外の異変に男は気付く。剣を片手に立ち、その場にいる者たちに目配せした。弓を得物とする男が素早く動き、矢を番えて入口を狙う。誰かが入ってきたならば即、射殺す。勘違いだろうとも関係ない、殺られた方が悪いのだ。
各々が得物を手に入口を睨む。
しかし。
「ぬぅんッ!」
「なにィ!?」
それは、壁をぶち破って現れた。
バトゥだ。
彼が指揮する別動隊だ。
完全に予想外、虚を突かれた奴隷商たちは一瞬混乱する。その隙を彼らは逃さない、バトゥの開けた穴と入口から遊牧民たちは雪崩れ込んで一気に乱戦へと持ち込んだ。
「バトゥ、貴様」
「ラド、お前がこちらに居てくれるとは幸運だ」
ラドと呼ばれた男は剣を構え、バトゥもまた槍の穂を狼獣人に向ける。
「幸運だァ……?ああ、なるほど、市場にも仕掛けてるってワケか」
すぐさまラドは現在の状況を理解した。
「マァいい、カーズィブの野郎がどうなろうがオレの知った事じゃねぇ。バトゥ、テメエとは一度こうして殺り合ってみてぇと思ってた所だ。叩き斬ってやるぜ」
「ふん、やれるものならばやってみろ」
ニィと笑うラド、睨みつけるバトゥ。巨躯の両者は対峙した。
「連携を取らせるな!分断、一人一人を確実に制圧せよ!」
彼らを横目にヴァイスは部隊を指揮する。奇襲によって数人を既に倒している、今は数の上ではほぼ同じだ。この場における一番厄介な相手はバトゥが押さえている、ならば他を各個撃破するだけである。
しかし相手も荒事上等の商人と護衛達。それを許すほど容易い相手ではない。そして彼らは戦いの作法という物を知っている、指揮する者を倒せば敵は混乱する、即ち隙が出来るという事を。男二人が素早くヴァイスへと駆け、襲い掛かる。
「ふ」
しかし彼らの前に一つの影が滑り込んだ。
まるで流れる水の様に。するりと二人の懐へ潜り込んだその人物は、拳で両者の腹を打つ。ただの打撃ではない、魔力を纏わせた一撃だ。体内を貫く衝撃に、男達はたった一発で沈黙する。
「助かりました、ダイモン殿」
そこにいたのは老紳士。無手でありながらその実力は達人であった。
奇襲から始まった酒場の戦い。
数的優位を活かせない奴隷商をバトゥ達は打ち倒す。
一方、奴隷市場。
「ぐ……っ!」
飛来した魔力の矢を剣で弾く。しかしその重い衝撃が腕に伝わり、リヒトはくぐもった声を上げた。
「チッ」
剣の大振り縦一閃、易々と回避するも厄介な相手にサツトは舌打ちする。
「ハッハッハ、どうした?私を捕らえに来たのではなかったのか?」
競売場の壇上で笑うのはカーズィブ。金の
「面倒な」
「フッ、お褒めに頂き光栄ですなァ、ククク」
サツトを挑発するようにカーズィブは大仰に礼をする。
彼の横に立つのは双剣の騎士だった。しかし黒い鎧の中に身体は存在しない、魔力を動力として動く魔導生物の類である。大きな魔力を持つカーズィブゆえに操る事が出来る、不死身の護衛だ。
競売場にいた奴隷商やその護衛のいくらかは倒れている、サツト達がやったのだ。しかし同時に彼らと共に突入した遊牧民たちも倒れ伏している、カーズィブの仕業である。
アイラは裏口で脱出しようとした奴隷商たちと戦っている。彼女自身は強い、しかし数の不利から制圧突破は容易では無い状況だ。
それゆえに状況は二対二。
だが片方の一が不死身ではサツト達の旗色は悪い。
「殴ろうが斬ろうが倒せないとか、冗談じゃない……!」
ギリッとリヒトは歯ぎしりする。既に何度も斬り、殴り、投げ飛ばしている。それなのに一切ダメージを受けていない様子で平然と立ち上がってくるのだ。剣腕を始めとする戦闘能力は然程でもないが、この点が最大級に厄介である。
「フフフ、ハハハ」
カーズィブは笑う。
彼の操る黒騎士は無敵だ。何をどうしても倒す事の出来ない鉄壁の盾であると同時に、自在に動く自由な剣でもある。殴られようと斬られようと操る者は無傷、まさに一方的に相手を圧せる力だ。
カーズィブは商人としてバトゥに連れられてきた男を不審に思っていた。そこまで価値の高くない奴隷に大金をポンと出したのもそうだが、それ以上に纏っている空気が商人のそれでは無かったのだ。この地の荒事得意な商人たち、それを上回る雰囲気を感じ取っていたのである。
彼は考えた。今後も商人として繋がるならば金を搾り取れば良い、と。そして、それ以外の形となるのであれば打ち倒して奴隷として売り捌けばいい、と。それが可能となる力を自身は持っているのだから。
そして今日を迎えた。
やはり商売ではない形での再会となったがそれも思惑通り。二対二となる状況も想像通り、サツトの隣にバトゥではなく初見の青年が居る事が相違点である程度だ。黒騎士は本来、力自慢で脅威となるバトゥの対策として用意していたのである。
「さあ、お前たちも商品にしてやろう」
ボボボボッとカーズィブの周囲の空中に火球が生じる。
「炎よ、貫け」
魔法を使う商人は、スッと眼前の敵を指さした。
「っ!来るぞ!」
リヒトが叫ぶ。
「
カーズィブがそう言うと、宙に浮かんでいた四つの火球が発射された。飛来する中でそれは矢を姿取り、射出された瞬間よりも更に更に速度を増してサツトとリヒトに襲い掛かる。
「ぐっ、くッ!」
「ちィ!」
リヒトは剣に魔力を纏わせて矢を防ぎ、サツトは横に大きく跳ぶ。目標を捉える事が出来なかったそれは、轟音と共に建物の床と壁を破砕した。
「そらそらそらァッ!」
次々と放たれる火炎の矢。
二人は防御と回避で精一杯、攻撃に転じる事が出来ない。
「ぐぉッ」
敵はカーズィブだけではない。彼が操る黒騎士が、矢を回避したサツトに突撃する。回避で体勢を崩した状態では躱す事など出来ない、振られた剣を何とか警棒で防いだ。圧し斬ろうとする傀儡の騎士、サツトは警棒を盾にして耐える。
リヒトが助けに入ろうとするも、それはカーズィブの魔法によって防がれた。
「くそっ!」
「ハッハッハ、させるわけがないだろう!」
連続で放たれた矢は巡査見習いをサツトから遠ざける。
「ぐ……ッ」
二本の剣で圧されてミシミシと警棒から音がする。特殊警棒は伸縮させる機能があるが、それ故に単純な金属棒と比べると強度は下だ。黒騎士の剣で切断される事は無くとも、その重さでへし曲がることは十分にあり得る。このままでは耐えきれずに折れ、刃が頭に落ちてくるだろう。
「ぬぅぅ……ッ!」
ギギと金属が悲鳴を上げる。
サツトは思い出す、かつて日本で戦った相手の事を。
覚悟をキメた反社の若頭、それが振るう長ドスの一撃。単純な質量ならばいま目の前にいる騎士の方がずっと上だが、彼の斬撃はずっとずっと重かった。圧される、まさに『圧』だ、それを感じたのだ。
「ハッ、あのヤロウと比べたら……」
サツトの全身に力が漲る。
酒場では、戦いの終わりが近くなっていた。
「おおおッ!」
「ぬありゃァ!」
槍と大剣、二つの刃が衝突する。
剛撃が何度となく激突し、その度に建物が揺れた。
バトゥとラド。
どちらも尋常ならざる膂力の持ち主であり、戦闘経験豊富な男なのだ。
「フゥゥ……」
「コォォ……」
両者とも限界が近い。
槍が腹を突き刺し、大剣が胴を薙いでいる。どちらも足元に血だまりを作っており、既に立っているだけでも難しいほどの重傷だ。容疑者は殺さず捕らえる、それがサツトからの指示だったがそれを守って勝てる相手ではないとバトゥは最初から判断していた。
どちらも次が最後と理解する。
周囲の状況は既に見えていない、目に映るのは相手だけだ。
「おおおォォォッ!!!」
「あああァァァッ!!!」
バトゥが槍を構え、ラドが大剣を振る。
両者の一閃が交差した。
「ぐゥッ、馬鹿……なッ」
ラドは驚愕する。
大剣は確かにバトゥの身体を捉えた、しかし刃が通らなかったのだ。袈裟斬りの一撃は肩で止まっている。剣を受け止めたのはバトゥの肉体ではない、彼が着ている、いや羽織っている服だ。それが刃を受け止めたのだ。
防刃布。
警察官が着る防刃ベストなどにも使用されている特殊素材の布。それは鉄すら凌ぐ強度を持ち、斬る、に対する最上級の防御力を誇るのだ。
「悪いな」
槍の一撃はラドの身体を貫いて……は、いなかった。
槍の穂と衝突して弱まった斬撃を身体で受け止めたバトゥは大きく一歩前進し、槍の石突で狼獣人の胸を打ったのだ。限界を超えた状態で受けた一撃でラドは意識を失い、その場に倒れ伏す。
「バトゥ殿!」
バトゥもまたガクンと膝をついた、が倒れはしない。
「いま治癒魔法を」
「儂よりも奴を。槍の突きが深く入っている、出血量ではラドの方が上だ。放置すれば死んでしまう。フフ、警察というのは相手を殺しては駄目、だからな」
駆け寄ったヴァイスは彼の意思を尊重する。
建物内部は制圧完了、逃走しようと外に出た者も残らず倒された。
こうして戦場の一方の勝者は確定した。
再び奴隷市場。
その裏口にて。
「ハァァッ!」
アイラは大きく槍を振り抜く。
「うごッ!?」
メリリとその柄が腹にめり込んで、彼女よりも大きな男の身体が宙に浮かぶ。ふっ飛ばされた男は干し煉瓦造りの壁に衝突し、ズルズルとずり落ちて地に倒れた。
「はぁ……はぁ……っ、よしッ!」
ゼイゼイと肩で息をして、そしてアイラは顔を上げる。彼女と班を組んで共に戦った家族たちは満身創痍、倒れている奴隷商たちを縛り上げるのも一苦労だ。彼女は彼らに断りを入れて、一人先行して建物の中へと足を踏み入れた。
ドォンと競売場から轟音が響き、衝撃が建物を揺らす。
アイラがチラリとそちらに目を向ける。壁に繋がれ、または檻に入れられた奴隷たちは不安そうに彼女と競売場の双方を交互に見ていた。彼ら彼女らに大丈夫、もう少し待って、と声を掛けて、アイラは子供たちが入れられている部屋を目指す。
競売場。
「くそっ!」
「無駄無駄ァ!」
矢の合間を縫って接近しようとしたリヒト、しかしその行動はカーズィブに阻止される。回避と防御、彼は再びその行動に専念するほか無くなってしまう。
「どうやら裏口は終わったか。フン、所詮はゴロツキども、役に立たんな」
静かになった裏口、そして建物内に誰かが侵入した気配でカーズィブはそちらの結末を把握する。
「とはいえ、お前たちの仲間も無傷ではあるまい?私と違ってな」
「く……っ」
彼の言う通りだ、リヒトは息を切らしながらそれを理解する。この状況で自分達が負けたならば裏口の味方もカーズィブに倒され、まとめて奴隷行きだ。酒場での勝敗は分からないが、そちらもおそらく無傷では済んでいないはず。こちらの増援に来られる余裕はないだろう。
「さあ、そろそろ遊びも終わりだ」
カーズィブはそう言って右の手のひらを広げて前に突き出した。火球が六つ、彼の背後に生じて轟々と燃え盛る。今までが遊びだというのは冗談などでないのだ。
リヒトはギリリと歯噛みする。一発二発なら剣で防ぐ事が出来た、三発程度なら回避でどうにかなった。しかしそれを超える攻撃では確実に当たる。やられるならばせめて一矢報いる、その覚悟でリヒトは突撃する―――
よりも前に。
「ぬぉォッ、リャァッッッ!!!」
咆哮が響いた。
警棒から手を離すと同時に身体を前へ、滑るように僅かに動かす。二本の剣が肩に食い込む、が斬れない、防刃ベストがそれを防ぎ止めたのだ。サツトは相手の腕を取り、足を払い、その体を宙へと浮かせる。
身体を捻じり、腕力を持って黒騎士を投げ飛ばす。
いや、投げつけると言った方が正しいだろう。
「なにッ!?」
それはカーズィブへと飛んでいく。
五六四の逮捕術の一つ、人間流星。
敵すらも武器にする、狂気の技だ。
「ちィ!」
障壁展開。
咄嗟にカーズィブは魔法を自身の防御に使い、飛来した弾を防ぎ止めた。
「おおおッ!」
「くっ!?」
突撃。
その体勢を取っていたのだ、隙があれば接近出来る。リヒトはカーズィブの目前にまで迫っていた。剣を振りかぶり、そして。
「甘いわッ!」
「ぐはッ!!」
その腹に火炎の矢を喰らう。
カーズィブの行動の方が速かったのだ。
勝利。
その結果が見えた彼はニヤリと笑む。
が。
「オルァッ!」
「な、ぐゥッ!?」
サツトだ。
リヒトは彼が黒騎士を投擲してすぐに駆け出したのを見て、自身を即座に囮にしたのだ。黒騎士で出来た死角に入り込み、リヒトの献身で生じた最大の隙。彼はその一点を打つ。
先程手放した警棒を拾い、そしてそれでカーズィブの喉を突いたのだ。
しかし彼の体得した逮捕術がその程度で終わるはずがない。
「五六四の逮捕術の一つッ!」
「ごッ!?」
「仏
喉仏の下、そこを突いて捻じる。
相手の呼吸を阻害して倒す技だ。
「が、は……ッ」
グルリとカーズィブの目が天を向く。
彼はドシャリと倒れ伏した。
一瞬の好機、それを確実に捉えてサツト達は勝利したのだ。
「巡査見習い、大丈夫かァ?」
「ああ、何とかな……痛つつ」
仰向けに倒れたリヒトは腹を擦りつつ立ち上がる。
ゴトリと何かが床へと落ちた。
干し煉瓦だ。そこら中に落ちている、建物を構成する熱に強い建材だ。突撃の瞬間、彼は咄嗟に服の中にそれを仕込んでいたのである。煉瓦は矢を受け止め、直撃した炎からリヒトの身体を守り抜いたのだ。
「中々キツかったが、制圧完了だ」
ただの鎧に変わった黒騎士の頭を蹴り飛ばして、サツトは一つ息を吐いた。
奴隷市場、地下。
子供用の奴隷部屋から更に奥。扉を開けた先は物置だった。壁の煉瓦の隙間から僅かに見える光を手掛かりに、アイラは前に置かれている荷を退かす。予想外に軽いそれはダミーであり、この先に何かがあり、そしてハルがいるという証拠だ。
煉瓦の壁に見えていたのは木製の扉、光が見えていたのは戸の蝶番の隙間だった。その前面に薄い煉瓦を貼り付けただけのそれには鍵は掛かっておらず、押すとギイと音を鳴らして簡単に開いた。
階段だ、魔石灯でぼんやりと照らされている。螺旋状のそれを一段一段慎重に降りていく。もし見張りでも居たらもう一戦、流石にこれ以上の戦いは御免である。敵はもういないでくれ、そのアイラの願いは成就する。
階段を下り切った先には扉が一つあるだけだった。
ハルが居る事を願って、アイラはその戸を引く。
「あっ!?アイラおねぇちゃん!」
「ハル……ハルっ、ハルぅッ!」
「ひゃっ!?く、苦しいよぉ」
飛びつくように彼女は少女に抱き着き、両の眼からボロボロと涙を流した。
次の更新予定
2025年1月12日 21:00
美名頃市警異世界署 ~不良お巡りさん捜査記録~ 和扇 @wasen
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