終章 剣と鞘は一つになる

 ──二年後。


 僕は大会の控室で椅子に座りながら、静かに心を落ち着けていた。

 目を閉じて、思いを馳せるは彼女との記憶の海原。

 たった数ヶ月。それでも、これまで歩んできた人生の中で最も濃密だったと断言することのできる数か月。


 腐り切っていた僕は、彼女によって剣になった。トラウマの心を超克し、彼女という鞘に納まるべく、彼女の魂を理解した。


「もう二年か。この時期になるといつも思い出すよなぁ」


 僕の背後では刀哉が立っていた。十数人が入るだろう控室には、僕と刀哉しかいない。

 それもそのはず。この大会はもう佳境だ。勝ち抜いたのは僕たちだけ──。


「ああ、僕たちは、いつだって沙耶に胸を張れる自分でいないといけない。毎日、そう自分に言い聞かせているよ」

「改めて言うことでもねぇだろ。俺たちが沙耶の分まで生きると決めた時からの……使命だ」


 脇には防具と竹刀。いつも担いでいた竹刀袋には、あの日から一本だけ新しい竹刀が追加されていた。


 沙耶の竹刀だ。


 試合で使うためじゃない。こう、ゲン担ぎみたいな。沙耶が使っていた竹刀には、沙耶の魂が宿っている。僕には分かる。だから、沙耶が近くにいてくれているような気がして、見ているような気がして、気合いが入るのだ。


 変かな? でもこのことを刀哉に話したら、「おまえらしくていんじゃねーの」って言ってた。なんとなくだけど、刀哉も同じ風に考えていたんじゃないかな。


「だから、ここまで来たんだろ?」

「そうだね。僕たちはここまで来た」


 目を開ける。遠く離れた会場から、微かに歓声のような声が聞こえていた。


「沙耶の剣を貫くなら」

「……沙耶の光であり続けるなら」


 全国くらい、軽く優勝しないとな。

 僕たちは無言で顔を見合わせ、どちらからともなく、拳を合わせた。


 全国大会決勝──東京から代表として出場した僕と刀哉は、一切他を寄せ付けることなくここまで勝ち上がってきた。東京で行われた予選では、刀哉が優勝、僕が準優勝。同校の生徒が独占するのは史上初だったらしい。


「ここまでで俺とおまえは一勝一敗。なぁ、おあつらえ向きに全国決勝だぜ」

「僕たちの『夢』が、こんな大舞台にまで広がるとはな」

 

 ここにもう一人、いてくれたらよかったんだけど。

 刀哉もそう思っていたのだろう。背後で少し寂しそうにしているのが伝わってくる。


「達桐、霧崎」

「二人とも、準備はいい?」


 すると、大学生になった五代部長と、桜先生が急いだ様子でやってきた。


「あと五分後だとよ。会場に入って準備しといた方がいいんじゃないか?」

「ああ、すみません五代部長」

「部長はやめろ、達桐。俺はもう卒業してんだから」


 それもそうか。つい昔のクセで。


「大学ではどうですか?」

「レベル高ぇよ。食らいつくので必死だ。でもまぁ、楽しくやってるよ」


 八咲の分まで。五代部長はそう付け加えた。

 それは何よりだ。五代部長……いや、五代さんなら、すぐにレギュラーになるだろう。


「……二人とも、緊張はしてませんか?」と桜先生。

「ハッ、緊張? あるワケないっすよ。待ちに待った全国決勝、俺が剣司より強いって証明する、最高の舞台っすよ? ワクワクしっぱなしっす」


 刀哉の強気な発言に、桜先生はクスリと笑った。


「全国に晒されるワケか。僕に負けて赤っ恥かく姿を」

「言うじゃねぇか剣司。次ここに戻ってきた時になんて言うか見物だな」

「こっちのセリフだが?」


 額がぶつかる寸前まで顔を近づけ、睨み合う。全く、コイツは昔から、あの戦いから、なーにも変わってない。変わらず、どこまでも眩しくて。


「はいはい、仲良しはその辺にしとけ。俺と黒神先生は上で見させてもらうからな」

「いい試合を期待していますよ、二人とも」


 そう言って、五代さんと桜先生は控室から去っていく。残された僕たちにアナウンスが届けられた。全国決勝が始まるから、僕たちは会場に向かえと。


「よし、行くか」


 ああ、と答えて僕の横に並ぶ刀哉。


「……やっぱ、沙耶にも見ててほしかったよなぁ」


 刀哉が小さく零した言葉は、僕も思っていたことで、そうだなと返そうとした時だった。




 しゃらん、と煌びやかな鉄の音がした。

 あれから二年、忘れるワケがない。彼女の、彼女の魂の音──。




 ──剣司。




 目の前。会場から注ぎ込む光の奥に、沙耶が。

 



 ──ずっと、いっしょだよ。




 剣と鞘は、常に一つ。分かたれることはない。

 きっと幻で、幻聴だろう。しかし、僕は確かに、そこに沙耶を見た気がした。


「……剣司?」


 足を止めた僕に、刀哉が振り向いて声を掛ける。

 そして、僕を見て悟ったのか、ああ、と優しく微笑んだ。


「悪い。撤回するわ。沙耶も見てるよな、俺たちの戦いを」

「ああ。見てる。絶対に。沙耶はいつだって、僕たちと──」


 沙耶、僕は、君の剣になれたのかな。

 その答えは、きっと、これから一生をかけて探していくことになる。

 君と過ごした数か月を、僕は絶対に忘れない。


 ありがとう、沙耶。君がいてくれたから、僕は今ここにいる。

 ありがとう、沙耶。君と出会わなければ、僕はいつまでも腐っていた。


 君が僕にしてくれたように、僕もこの先、誰かと魂を交わす──そんな剣になるよ。

 さよならなんて言わない。姿はなくとも、君の魂はここにあるから。


 僕と君は、二心同体の剣と鞘。

 君に相応しい剣であり続けるよう、僕は魂に誓いを課す。

 僕の魂よ、常に剣であれ。彼女に相応しい剣であれ。



 僕よ、剣になれ。

 彼女の魂に相応しい、剣であれ。




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僕よ、剣になれ 猫侍 @locknovelbang

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