第10話「陸さん山を越える」(1)

「閣下に言われたしな……」


 瑞端は溜息した。


 陸軍大臣との一席が用意する。だが交渉をするのであれば朕に頼らず己の口でやれ。という至極真っ当なことを瑞端はバッサリと言われた。


 まったくその通りである。


 発足したばかりの田中内閣の陸軍大臣・白川義則大将と料亭で話し合うことになった瑞端だったが、白川大将は瑞端を完全に見下していた。


 旅順に司令部を置く関東軍の総大将であり、満州での馬賊や軍閥とのコネクションを航空宇宙軍が奪ったこともあり、真っ向から敵対している人物である。


 白川義則大将に限らないが、中国での不和を事実上保証している1人が彼なのである。瑞端の配下との衝突のなか、白川大将は軍法会議の開廷を幾度となく鶴の一言で阻止している。


 歓迎されないのは当然であった。


「航空宇宙公社の小僧が身の程も知らんか」


 大将にまで上り詰めた政治家の重苦しい声は、瑞端の息を止めるほど緊張させていた。


 机には、酒も食事も無い。


 長居する気はないらしい。


「白川大将。迂遠には言わん。大陸での陸軍利権の拡大を止め、犯罪行為の支援から手を引け」


「何度も……刃を交えたお前だ。思うものもあるだろう。今更隠しはせん。だが出過ぎた真似をするな」


「出過ぎれば暗殺か? 優秀とは言えない部下を持つとこの俺1人を殺すのにも苦闘するようだが」


 空気が張り詰めた。


 白川大将は、瑞端の倍は生きている。戦場経験の目利きも持っている。彼個人も戦場や社会に対して己をどこに置くかも、持っている。


 だが、瑞端とは相容れないのだ。


「勘違いするな、ガキ。この席は陛下が望まれたからできたものだ。断じて、貴様と俺が対等だからではない。自惚れて勘違いした発言は聞きたくないぞ」


「ならば何度でも耳に運びましょう、白川大将閣下。旅順の関東軍に『機密作戦』の証拠の全てを処分せよと命令を。今後は中国資本の育成に協力していくように、つまりは航空宇宙軍とお互いに悪戯な関与をしないよう命令を」


「この俺を使うというのか恥知らずが!」


 白川大将の怒気が荒ぶる。


「陸軍大臣を親補されたこの俺を、使うだと、何様のつもりだ、瑞端!!」


「関東軍だけでは中国に呑まれるだろう。例え陸軍総力をあげても同じことだ。それならば外から利益を吸い上げれば良いと言っているのだ。育て、拡大する。元々大陸には人口がある。利益は充分にあがる。それを目先の欲に溺れるなど、米が欲しいからと種籾を食うも同じ!」


「学のないガキの分際で説教をするか。お前にはわかるまい、列強の効率的な利益の循環がな。植民地を持ち、安い労働者を囲い、それでこそ資本主義の莫大な利益を生むという摂理をしらん」


「酷使する労働者は田園であり畑でありましょう、白川大将。痩せた土地で良い作物などどうしてとれましょうか!? 豊かな土地があってのこと、豊かな土地とは、良い土であり、良い土とは育てずして生まれるものではない!」


「情けない女みたいな言い方を!」


 白川大将が机を拳で打つ。


 軍人と生きた、硬い拳だ。


「中国での利権は日清戦争において多くの英霊と散った兵士らの犠牲によるもの! ガキが産まれる前から戦い大陸に散った者に申し訳ないとは思わんのか!」


「関係ありません。我々は何人も未来永劫、獲得した利益を手にし続けることなど不可能だ。倒れ失いゆくものにしがみつき先鋒を勇んだところで残せぬものを握りなんとする。恭順か抗戦か、二者択一を迫れば人は暴走する!」


 気のままに瑞端は吼えた。


 白川大将は面喰らい反論が遅れる。


 瑞端は白川大将が口を開けるが、言葉を言わせずに、話を続けた。


「白川大将は三上是庵となっていただきたい。関東軍と蒋介石だけではない張作霖や馬賊どもの跋扈する乱世をおさめることこそ偉大な利益を生めるのだ。今日、恨まれ押しいられる恐怖に怯え、明日を知らず寝首をかかれる場所でどうしてより良い利益をだせようか」


「このガキが……」


 白川大将は瑞端に対し青筋を浮かべた。


 怒りのままに顔は赤く、血管が浮いた。


「列強が触手を伸ばす国家恐急の世界情勢を知らぬのか! 資本家が労働者に、宗主国が植民地に対してやること知らぬのか! 我が国は一刻も早く立たねばならぬことを知らぬのか!? 貴様、日本人か、中国人か、どちらか!!」


「日本人だ」


「嘘を言うな! 貴様のような者に愛国があるのであれば口にも、考えることもないことをのたまったのだ! 売国奴以外の何者でもない」


 白川大将が軽蔑を含んで言う。


「日本人租界を危機にさらしているのは、中国の責任! それにも関わらず何故、我が国が中国おもんばかって利権を手離してやらねばならんのだ。日本人で、中国人だ! あの汚らしい民族の連中にどうして譲歩してやらねばならん」


「一大利益を共に創出する兄弟であるからと思料しているからだ、白川大将」


「兄弟など……ありえん! 貴様、陛下に甘言を流していることも許し難いというのに国賊であったか!?」


「それとこれとは話が違う、白川大将」


「関係がある。貴様は日本を破滅させる中国人の手先だ。陛下を操り、日本国を中国の傀儡に、列強に売り渡そうとする売国奴だ」


「お言葉だが──」


 瑞端のこめかみにも太い血管が浮かぶ。


「日露戦争の折に、ロシア間諜であった張作霖を児玉閣下と田中閣下が寝返らせたらしいが……そんなものを信じて擁護し、中華に傀儡国家を樹立することは関東軍の独断! 陛下に弓を引き己の自己保身と利益を追求する醜い将官とその部下のどこに愛国と日本の兵士を繋ぐ素養がある! 真の売国奴とは忠臣を装い国家に寄生する白川大将のような輩を言うのではないか!?」


「このガキがァッ!」


 白川大将が机をひっくり返しながら、瑞端へと掴みかかった。不随の瑞端はこれをかわすことはできない。


 軍人として鍛え上げられた大将。


 比べて、銃弾により満足に動けない不具の男が勝つ道は少ない。瑞端は躊躇わない男であった。捕まれ、白川大将の怒りに我を失った指が、瑞端の首を折るか窒息死させる前に動いた。


「うぐッ!?」


 瑞端は掴みかかった白川大将の腕を持ってぶら下がり、全身全体重と飛び出した重心で彼を倒す。そのまま蛇が木を這うように四肢を白川大将を締め上げた。


 白川大将の首を完全に潰すように、白川大将自身の腕を引き寄せ押し当て、膂力だけでは脱出が難しい体勢で固めた。


「……」


 だが所詮は不随の男だ。


 白川大将は力任せに、皮を赤く染まらせながら瑞端を持ち上げて机に叩きつけた。硬い拳を何度も振り落とし、興奮状態で瑞端の顔を殴り続けた。



「外で瑞端くんと会いましたよ、白川大将」


 友幻会の西郷平三郎が、物が散乱する部屋に入り、襖を閉じた。大喧嘩があり、そこにいた陸軍の白川大将は服をすっかり伸ばされ、格好を壊されたまま煙草を呑む。数度叩いて寄せた後にマッチで火をつけ、噛みながら紫煙を吸う。


「海軍の西郷がなんのようだ。友幻会なんてふざけた研究会で兵隊やってる男と話すことはない」


「海軍大臣、岡田啓介大将からの個人的な頼みを伝えに来ただけです。喧嘩沙汰は預かり知らぬことです」


「で?」


「陸軍が大陸の利権を縮小するのであれば、海軍も手伝うとのこと」


「海軍さんは大陸に対して足場が無いだろ。だからそんなことが言える。陸軍を弱体化できるからな」


「そうではありません。言葉足らずでした。岡田大将の海軍は第3艦隊を再編して、大陸重視とする予定です。軍縮後の戦艦でやる意味はおわかりでしょう。陸軍の負担となっている関東軍の弱体化とその穴埋めに海軍を入れれば、本土との風通しも多少はマシになりましょう」


 ですが、と、西郷は続けた。


「黙認を続けるのであれば強硬手段となりましょう。首輪の外れた猛犬に噛まれるのは嫌なものです。飼い主がダメであれば、例え飼い主が可愛がろうと、周囲が殺処分とするでしょう」


 白川大将は煙草を呑み続けた。


 紫煙が白く広がり満ちていた。

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おいでませ!大日本帝国航空宇宙軍 RAMネコ @RAMneko1

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