第9話「板金」(2)
「まるで戦争だよ」
南京で発生した暴動は同時多発的であり、破壊工作が目立った。列強と国民革命軍が対峙した場所を物見しようとした群衆の真ん中で爆発が起きる。
それだけではない。
領事館にも、爆発物が投げ込まれた。
他にも至る所で発砲が繰り返される。
「航空宇宙軍士官学校馬術部の絶技がチャンコロどもの絶技に勝るとも劣らぬと見せてやろう」
航空宇宙軍から騎馬警官顧問として参加していた人馬500が、合成繊維の防弾衣、合成樹脂のバイザを持つヘルメットを、馬と人が等しく装備し、また馬には目隠しをされた状態で立つ。
「ランスでもサーベルでもなくクラブか」
「突撃には気をつけろ。馬は簡単に人間を吹き飛ばしすぎるからな。我々の目的はあくまで治安回復と交通の整理を肝に銘じよ、抜刀隊じゃ無いぜ」
手綱が引かれ馬首がひるがえる。
馬は騎手を信用し、目を閉じていることで狂った暴徒に取り乱すことはない。
1920年代。
既に前時代の遺物と成りつつあった騎馬隊の突撃は、狂気の理性で団結していた群衆を一撃で粉砕して散らしながら、イギリス及びアメリカ領事館へと群がりつつある暴徒を次々と蹴散らした。
大軍縮で軍を追われた軍馬達が、軍に支えてきて馬肉にされるのは忍びないと拾われた彼らは、獰猛に歯茎を見せつけ時に噛みつき、闘争のまま『敵』を跳ね飛ばした。
投石が飛ぶ。
投石紐の殺人的初速だ。
「うぐゥッ!!」
分厚い合成樹脂の透明なバイザに直撃して騎手が仰け反る。だが騎手の顔は砕けていない。次の礫が紐で回される前に、騎馬警官の棍棒が一撃で昏倒させた。
ライフル弾が当たる。
民衆の中に便衣兵が混じる。
防弾衣のセラミックプレートが砕け、腹を殴られ失神か嘔吐寸前の激痛を受けようとも気合で耐え忍ぶ。
それは馬とて同じだ。
馬のいななき。
人の雄叫び。
止まらない大質量かつ高速の騎馬は数十倍の群衆をいとも簡単に崩壊させていく。
「軍人に撃たせるな! 艦砲射撃をさせるな! 南京のこれからは、中華は、俺達の活躍で未来を変えられるぞ!」
手足を礫で打たれ、力が入らなくなった騎手でも突撃を止めはしない。騎馬が騎手が耐えきれず倒れていこうと、それが騎馬突撃と言わんばかりに奮迅極めた。
1927年3月24日1409時。
イギリスとアメリカの領事館に取り付いた群衆は迅速に蹴散らされ、多少の物損は目立てど、人的被害は極限された。
糞尿と血と脂に汗が混じる。
勘違いした暴徒は解散した。
「ふぅー……」
ヘルメットを外した麗人が、すっかり汗で濡れたショートヘアごと首を振り汗を散らす。
「ちょっと! はしたない、川島さん!」
川島芳子──清朝の血筋という特殊な生い立ちながら、卓越した馬術で警察機構の騎馬稀有艦体総大将をする逞ましい女である。
彼女が握っていた棍棒は暴徒の血肉で茶色く、赤く、何層も塗り固められていた。
「……あれを使わせられるものか」
芳子は領事館に持ち込まれた小型車を思い出し、奮闘した。彼女が見たものは非人道兵器である。人間を生きたまま焼き、人間を生きたまま病魔に襲わせる悪魔だ。
それは装甲で覆われ、機械の怪物だ。
毒ガス兵器や火炎放射機と呼ばれた。
芳子は、瑞端の正気を疑っていた。万が一の武器であり原則において使用はさせないが、事が危急であれば躊躇うなと言われていた。
芳子の腕と脚に、気がこめられる。
得体の知れない兵器は使わせない。
棍棒を振るう。馬の腹を蹴る。
時代遅れが『最新』を、今日1日は食い止めるためにも芳子は馬を走らせた。恐怖を振り撒き、暴徒に冷や水を浴びせて秩序回復の為、体を張った。
◇
1927年3月29日。
蔣介石は、中国共産党が工作した偽装兵や便衣兵による事件発生を受けて、混乱の拡大を防ぐ為に南京占領を一時停止し、列強の治安部隊を支援することで事件の早期解決をはかることを宣言する。
これに対し軍傘下の中国人は、打倒帝国を掲げていた一方での、列強へ尻尾を振る行為であり強い反発を受ける。少なからず脱走兵や叛乱は起きたものの……南京での事件に対し、各国要人の仲介や事態収集そのものは迅速に進んだ。
領事館及び在留民の被害に対して、蒋介石軍を追及しないという旨が纏まった。これも中国人の手で死んだ者がいることは事実であり、それなりの反発を受ける。
だが……南京での事件は終わったのだ。
「蒋介石は共産党の手のものの仕業と信じさせることはできたか。ロシア革命以後、ユーラシア北では共産主義者は駆逐されたからね。大事件を起こせる力があるとは想定外……いや、南京だけじゃない、共産主義者がつけいる隙は、今の世界には多すぎるか……」
瑞端は新聞をたたみながら考える。
蒋介石は腹に共産主義者の工作員を抱えたまま中華統一の戦争を続ける。北部の軍閥や満州族の馬賊もいずれは討伐するだろう。とは、まだ瑞端にもわからない。
張作霖の軍かもしれない。
日本陸軍は張作霖推しだ。
だが蒋介石の推しもいる。
大陸に傀儡を置くだけならどちらだろうが問題は無いが、どちらかハッキリさせないまま、秘密の下で進めていれば、今の関東軍の独立した『政治』は遠からず大問題を引き起こす予感が瑞端にあった。
陸軍は身内を庇う。
外地の利権を守護している正義の自負もあって、折れることなく守ろうと硬直する。
「海軍は大陸なんて眼中無いしな」
かつて清帝国に存在した艦隊はいない。
海軍が仮想敵にしているのは列強のイギリス、アメリカ、それにドイツだ。強大な海軍力のみが島国日本を救うと信じて艦隊整備の予算をめぐって角を突き合わせている。
艦齢が比較的若いのに旧式戦艦をほぼ全廃して、それは瑞端の工作だと海軍若手将校に憎悪されている。数度の暗殺作戦を受けていた。
被害は海軍に死者8名、重傷者1名。
拳銃程度をたずさえて怒鳴りこんできただけでは蜂の巣にされるのは明らかだった。良いのか悪いのか、陸軍の誅伐だと重機関銃を据えたトラックを後ろ向きで突入させて掃射してくる。
「海軍は友幻会か」
瑞端は噛むようにつぶやいた。
友幻会。
将来有望な有力な将校が陸海を問わず集まる研究会だ。今の日本を憂い、良い時代とは何か、と、軍民の立場から軍人が考えている。文民の政治家にも協力者は多い。
瑞端の頭を悩ます組織だ。
表向きは敵対はしていない。
幾つかの計画で、ぶつかったり、協力したり程度で、おおむねパワーの綱引きはあっても軍刀や鉛玉は飛び交わない健全な関係だ。
だが決定的な将来性の違いがある。
瑞端は世界を経済ネットワークで結び、その民間資本を下地にした平時と戦時で切り替え耐えられる軍備を理想としている。
対して友幻会、特に西郷平三郎は海軍出だからか平時に戦時に備えた決戦兵器を開発して整備することを重視している。主力艦という巨大事業だから無理もないが、その無理は、軍人の軍隊が、経済活動を無視して軍の整備に消費している。
友幻会の整備する計画は、日本国が消費する物の比率を軍隊にかたよらせすぎている。軍隊による内需だけで平時から回していては、戦時体制における拡張性は少なく、平時においても負担になってしまうのではないか。
瑞端と西郷の、反りの合わない部位だ。
瑞端は西郷の考えを聞いたことがある。
国内消費の大半が軍備に傾注しすぎているが将来的には民間へも移行していくので問題はない、というのが西郷の長期の視座だ。
悠長すぎる──。
新聞にはソヴィエト帝国と大日本帝国共同の極東工廠、ユーラシア最大の陸軍砲兵工廠が稼働を始めたことが片隅に書かれていた。反ロシア感情からの国内デモが頻発とも。
瑞端は今日も頭を悩ませていた。
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