あのね。
原田楓香
~私の秘かな野望?について~
藤澤 琉生。
彼は、私の推しだ。
そして、クラスメートでもある。
しかも、同じ図書委員という任務?を背負い、週に1~2回、私の隣で図書館のカウンターにいる。
放課後の図書館は、週に1~2回、とても静かに賑わしくなる。(静かで賑わしいって、ヘンな言い方だけど)
書架の至る所に、彼のファンの女の子たちが静かに、けれど、かなりの熱量を持って佇んでいるからだ。
彼女たちの多くは、さりげなくカウンターに来て本を借りていったり本の所蔵を問い合わせたりする。あるいは、書架に本を戻す作業をする彼に会釈したり笑顔で手を振ったりすることに、放課後の時間を捧げる。そして、彼が返す穏やかで優しい眼差しとほほ笑みに、心の中で狂喜乱舞しつつ、閉館時間までうっとりとした気持ちで過ごすのだ。
彼は『王子様』なのだ。彼女たちにとって。
いや、正確に言うと、アイドルだ。
琉生自身は、「まだ自分はアイドル目指してる途中のタマゴだ」と言う。
彼の所属するEMエンタテインメントには、CDデビューをすませたアイドルたちと、CDデビュー前の研修生・練習生の段階にいるアイドルのタマゴたちがいる。
琉生は研修生なので、まだ正式にCDデビューはしていない。
そう言うと、知らない人はびっくりする。うちの父がそうだ。
「え? でも、テレビとかにバンバン出てるやん」
テレビに出てる人は、デビューした人。デビューしてない人は、テレビには出られない、そんなふうに思っていたみたいで、
「ふしぎ、っていうか、なんでや? わけわからんな。こんだけ仕事してて、デビューしてへん、って」
父はしきりに首をひねっていた。
琉生は、TVドラマやCMや歌番組やバラエティー番組にも出たりしているし、ライブにも出ているから、その知名度はかなり高い。正式デビューはしていなくても、彼と同期入所の妹尾想太とともに、すごい人気がある。
これだけ顔が知られていて、デビュー前ってどういうこと? テレビにも出てドラマにも出ていたら、もうデビューしていると言ってもいいのでは? と不思議に思うのも無理はない。
でも、彼らの事務所のシステムではそうなっているらしい。
彼の場合、仲のいい想太と2人組での仕事も多いけれど、まだ、それも正式なコンビと決まったわけではないらしい。だから、彼らは、2人でデビューすることをずっと夢見ているのだ。
まず、所属グループなり、コンビが決まって(コンビはめったにない。たいてい、6~9人くらいで構成されるグループのメンバーになる)、そこからデビューに向けて、グループとしての活動が始まる。
ところが、意外とそこからがまたさらに長い道のりで。
そのまま何年もずっとCDデビューの日を迎えていない研修生グループは、いくつもある。それでも、グループに入ることは、デビューへの必須の第一歩だ。
グループに所属していない子たちは、仕事の場も限られて、先輩のライブにバックとしてつくチャンスさえなかったりする。事務所に所属していても全く仕事に呼ばれないこともあるというし、たとえデビューしてもグループの中での扱いの格差に悩むことだって少なくない。
才能と才覚と人柄と運のよさと。そして、もちろん人目を引く容貌と。
いろいろなものを同時にいくつも持っていないと勝ち残っていけない。
厳しい世界なのだ。
どんな仕事でも厳しいのは同じだと思うけど、そんな中で、彼、藤澤 琉生は、めちゃくちゃ健闘しているんじゃないかと、私は思う。
彼の存在を知ったのは、まだ、私が小学生だった頃、2時間もののスペシャルドラマを家族で観ていたときだ。
主人公2人の少年時代を演じた琉生と想太は、そのドラマで、短いながらも、めちゃくちゃ魅力的で印象的なシーンを演じた。
2人の小学生の男の子たちが、自分たちより年上の不良少年たちと闘って、泥まみれになりながらも彼らをみごと撃退し、そのあと、二人して庭で泥を洗い流しながら、ホースやじょうろで水をかけ合って、笑い合うというシーンがそれだ。
太陽の陽差しの中でキラキラ光る水と、可愛らしさの中に、カッコよさが加わりつつある2人の男の子たち。
それはあまりにも爽やかで鮮やかな印象を残して、当時とっても話題になった。
まだ、彼らのことは知られていなかったので、あの子役たちは誰? 何者? とネットでもかなり騒がれていた。
もちろん、私も一生懸命検索した1人だ。
2人とも、カッコ可愛くて素敵だったけど。
私の目が吸い寄せられたのは、サラサラの少し長めの黒髪で、端整な顔立ち、切れ長の涼しげな目元の彼だった。
びっくりしたのだ。
あまりにもそっくりで。イメージ通りで。
こんなことってあるん? って、一瞬鳥肌が立った。
彼は、その頃、私が秘かに書いていた物語の主人公そのものだったのだ。
超絶クールなイケメン。普段は『氷の王子』と呼ばれているのに、いったん信頼して気を許した相手にはとろっとろに優しい。いわゆるツンデレタイプ。すっと切れ長の涼しげな目元、長めの前髪はサラサラと額を横切り……。唇の両端をあげて、滲むように笑う。そのほほ笑みは、至近距離でみたら致死率MAXだ。
そんな人は、想像の中、自分の頭の中にしかいないと思っていた。
それが、ちゃんとこの世に実在していたなんて。
だから。
びっくりした。
びっくりしたけど、めちゃくちゃ嬉しかった。
そして、私の胸に一つの野望? の火が灯った。
(いつか彼が、私の描くこの物語を実写版で演じてくれたなら。いや、いつかきっと。必ず演じてくれる日が来る)
そう思うと、どんどんシャーペンが進んだ。(当時、自分用のPCは持っていなかったので、ノートにせっせと手書きしていたのだ)
暇さえあればノートに向かって物語を書き、彼の出演する番組をチェックし、表情や声、しぐさを観察し、そこから浮かんだイメージで、さらにストーリーを練った。
それは、壮大な(当時の自分にとっては)ファンタジーで。
彼は、反乱の起きた国から命からがら抜け出した王子で。身分を隠し放浪を続ける中で、少しずつ仲間を増やし、自身にも力をつけて、やがて……という、どこかで聞いたような物語だったが、その頃の私は、夢中で自分の物語の世界にはまり込んでいた。
その世界をよりリアルに描くために、いろんなことを調べまくったりもした。
そのための勉強なら、ちっとも面倒じゃなかった。
そして、学校の勉強も、これがまた、考えようによっては、どれもこれも役に立ちそうな気がしてくるのだ。社会でも理科でも算数でも国語でも英語でも。
「え~、家庭科とかってなんでやらなあかんの? 裁縫とか料理とかめっちゃ面倒~」
「理科苦手~。星も動物とかも興味ないし~」
「算数の分数や小数なんか、いらんやん。ややこしい計算は電卓使たらええし」
「学校の勉強なんか、大人になったら役にたてへんことばっかりや、ってうちの親が言うてた」
とかぼやいてる子たちもいたけど。
「いや、どこで何がどう役に立つかわからへんで。覚えてて損なことは何もないと思うで」
と、私は内心思っていた。(でも、口には出さない。『マジメやね~』と皮肉られるのがオチだ)
歴史は、そのまま様々なドラマの宝庫だし、地理は、自分の作品の中に出てくる国を描くのに参考になる。
英語は、英語そのものより、その言葉の生まれた背景を知ると、その文化や社会が見えてきて、普通にめちゃくちゃ楽しいし。
だから、大人になってから役に立つかどうかなんて、どうでもいい。
どの教科も、今の自分に必要で、楽しいのだから、それでいい。(ただし、体育を除く。これだけは、苦痛でしかない)
父親の仕事の都合で大阪から関東方面に転校することになったとき、不安もあったけど、新天地で生活を始める主人公の気持ちを実感できるチャンスだと思った。
でも――――現実はそう甘くない。
たまたま、巡り合わせが悪かったのか、相性が悪かったのか。もしかしたら、その両方か。
私が転入したクラスには、生理的に関西弁を受けつけないという子たちがいた。
彼女たちは、私が何を言っても半笑いで微妙な顔をした。いっそ私がギャグを飛ばしまくって、彼女たちを思いっきり笑わすことができたなら。
でも、ただ関西弁nativeなだけの私には、それは到底ムリなお話で。
あたりまえのことだけど、関西人が全員お笑い芸人さんのように喋れるわけじゃない。
『ムダに関西弁』とささやきあう声が聞こえて、私は喋る気力をそがれてしまった。学校では、できるだけ声を出さずにいることにした。毎日が息苦しくて、めちゃくちゃしんどかった。
面と向かっていじめられるわけじゃないけど、いつまでたってもクラスでの居心地は悪かった。
そして、中3の2学期になって、もう一度転校したとき、新しい学校で、私は必要最小限度の言葉しかしゃべらないようにしていた。
私は、関西弁が好きなので、それをバカにされたり笑ったりされるのはいやだけど、周りとぶつかるのも、微妙な関係になるのもいやだった。なので、できるだけおとなしくしていようと心に決めたのだ。
やはり、ここでも、なんとなく微妙な空気が流れていた。
そりゃそうだろう。まともに口をきかない転入生なんて、私だって、扱いづらいと思う。
「じゃあ、標準語しゃべればいいじゃん」と言われそうだけど、案外それも難しい。アクセントも微妙に違ってしまうし。
そして何より。
私が、変えたくなかったのだ。自分の言葉を。
書き言葉の中では標準語を使っても、話し言葉は関西弁でいたかったのだ。
柔らかくて、あったかい響きで、親しみのこもった言葉。
人によっては、ガラ悪くもきつくもなるけれど、どこか愛嬌のある言葉。
私は、関西弁を話すことで、ずっと関西を忘れたくないと思ったのだ。
とはいえ、新しい場所でも、遠巻きに見られている自分が、なんだか情けなくて、さみしかった。
ここにも居場所は、ないのか。
そう思って落ち込みかけたある日。
教室に入ってきた、その人を見て、私は、自分の目を疑った。
(え! え! え! まさか……まさか。藤澤 琉生? 本人? そっくりさん……と、ちゃうよね?)
でも、どこからどうみても、藤澤 琉生、その人だった。
彼は、見慣れない私に、一瞬首をひねったけれど、静かにほほ笑んで会釈して、自分の席に座った。そういえば、転入してきてから、その席に人が座るのを見たのは、初めてだった。
「お。琉生。久しぶり。ちょっとやせたか?」
学級委員の佐藤くんが声をかけている。彼は、私にも、気さくに声をかけてくれる。クラスで一番話しやすい人でもある。
「うん。ていうか、やつれてるだけかも」
琉生が苦笑いしている。
「夏休みの間も、ずっとライブも出てたんだろ。おつかれさん」
「最近は、ライブとドラマと両方重なってた時期もあった~。さすがに、へろへろ」
琉生が眉毛をくたっとさせて、ちょっと情けない顔をして、へへへと笑った。
(うわ。こんな顔もするんだ)
映像の中の彼ではなく、生の感情を伴った彼の表情。
それを見た瞬間、私の落ち込みは、どこか空の彼方へ吹っ飛んでいった。
居場所がない? そんなもんどうでもいい。
一番大事な存在がいる場所に、いられる。
これほどの贅沢ってないやん。
落ち込んでる暇なんかない。
私は、『私』を取り戻す!
どこかの政党のポスターに書いてあったセリフの『日本』のところを『私』に変えて、私は、秘かにこぶしを握った。
それからも表向きは、相変わらず、おとなしく過ごしてはいたけれど、心の中は違っていた。
居場所がなくても、気にしないでいよう。
そして、やりたいことはやろう。
そう思えるだけの元気が私の中に湧き上がっていたから。
その手始めに、私は、なぜか誰もやりたがらなくて空いていた図書委員のポストに手を挙げた。
そしたら、驚いたことに、琉生が、「僕もやります」と手を挙げたのだ。
クラスの女子たちに動揺が走ったけれど、図書委員は、私と彼に決まった。
藤澤 琉生。
彼は、私、織田 空の推しだ。
そして、クラスメートでもある。
しかも、同じ図書委員という任務?を背負い、週に1~2回、私の隣で図書館のカウンターにいる。
そして。
彼は、私の描く物語の主人公の、モデルでもある。
いつか、その役を実写版で彼に演じてもらうこと。
それは、秘かな私の夢、いや、野望だ。
長い長い物語になりそうだけど。
穏やかなだけじゃない、冷静なだけじゃない、いろんな表情の彼を、いっぱい知りたいから。そして、描いてみたいから。
図書館のカウンターで隣に座る彼に、私はそっと話しかける。
「あのね」
「ん?」
彼の眉が少し動いて、優しく唇の両端が上がる。ちょっとワクワクした顔つきだ。
さて。今日は何から話そう。
私も、ワクワクしている。
あのね。 原田楓香 @harada_f
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