第16話 差別

 走り去ったブライアンの情けなさといったら、その姿だけで喜劇が三本は作れそうであった。

 これはペブルス家の恥として、後生まで語り継ぐべきではないだろうか。

 アレックスのため息がそう物語っていた。


 その一方で、取り残されてしまった令嬢たちからは不満が巻き起こる。


「もう、ブライアン様はダメですわね。私たちを置いていくなんて」

「あーあ!やっぱり、あの時アレックスについて行けばよかったぁ!」

「ねえねえ、ブライアンのことは謝るからさ、私たちとパーティ組まない?」

「え?……えーっと」


 急な方向転換に戸惑うユーリ。

 そんな姿を見て、リーダー格と思われる金髪長身の女性が名乗り始める。


「そう言えば、自己紹介がまだでしたわね。失礼いたしました。私はリジー・レジーナ・ローリーと申します。伯爵家の三女で、パーティでは盾使いをしておりますわ」


 続いて、ツインテールの少女がウインクを決めた。


「あたしは弓使いのシャロン・セイディ・スペンサー!子爵家の五女よ!」


 フリフリドレスの女性がシャロンを押し退け前へ出る。


「私は魔術師のクララ・キャンディ・カールソン。カールソン子爵家の二女なの。よろしくねぇ♡」


 最後に白いローブをきっちり着た少女が、睨み付けるように自己紹介した。


「聖女見習い。ホリー・ヘイゼル・アイゼン。男爵家」


 ……あ、覚えられねぇわ。

 ユーリは各々の自己紹介を聞いて諦めた。

 長いし多いし、そもそも人の名前を覚えるのは苦手である。

 それに大切な脳の記憶力は、できればサラのために使いたい。 


 令嬢①〜令嬢④とかじゃダメかな。などと自分勝手な事を考えながらボケッとしているユーリ。

 対照的に、紳士なアレックスは初対面のホリーに挨拶を交わす。


「ホリー嬢、初めまして。私はアレックス・フィンリー・カーネリアン。爵位は伯爵だ」

「……どうも、アレックス様。お噂はかねがね伺っております」


 粛々と頭を下げるホリーを押し退け、リジーが身を乗り出してきた。


「ああ、アレックス様!お代わりないようで何よりですわ」

「そういうリジーは、少し会わない間に、その盾でも覆いきれないほど華やかさが増したね」

「まあ、光栄ですわ!……ところで、そちらのお嬢さんは?」


 リジーの問いかけに、シエラが慌てて頭を下げる。


「シエラ・セラフィです。聖女見習いです」


 シエラがそう名乗った瞬間、令嬢たちの顔が崩れた。

 華やかで淑女然とした仮面がバラバラと崩壊し、中から差別的嫌悪感の表情が溢れだす。


「あらやだ。庶民でしたの?」

「アレックス、なんで庶民と組んでるのよ〜」

「そんなの、アレックス様の優しさでしょ。ね、ね、そんな女よりぃ、お兄さんのお名前は?」


 クララが甘えるように擦り寄り、上目遣いで甘えるようにユーリの顔を覗き込む。

 しかし、シエラへの対応ですでに引いていたユーリは無感情に返した。


「ユーリです」

「もう、勿体振らないで!あなたの苗字は?」

「無いです」

「「「「!?」」」」


 ユーリの返事を聞いた瞬間、先程までチヤホヤしていた令嬢たちが、弾かれたように一斉に離れた。

 虫やでも見るような目付き。

 理解を拒否した態度。

 ユーリが今世に生まれて、何度も何度も経験した反応だ。


「……え?ま、まさか、貧民なの!?」

「そうですけど?」


 この世界の身分の判別は簡単だ。

 苗字が無いのが貧民。

 苗字があるのが平民。

 苗字とミドルネームがあるのが貴族。

 貧民も苗字を勝手に名乗ること自体はできるが、貧民だとバレた時点で身分詐称で捕まる。そのため、身分を偽る貧民はほぼいない。


 ユーリも貧民であり、苗字は当然ない。だから言わなかった。

 しかしそれ以上に、シエラに対する態度に腹が立ったので正直に答えてやったのだ。俺はお前らの嫌いな貧民なんですよ、と。


 衝撃を受けた貴族の令嬢たちは、顔を寄せ小声でボソボソと話し合う。


「うそ、貧民だなんて。……でも勿体ないよね?」

「そうですわね。あれは価値のある顔ですわ」

「貴族としては、価値あるものは見逃せないよねぇ」


 そうしているうちに、なにやら活路を見いだしたようだった。

 高慢な笑みを浮かべたリジーが、ユーリの前に立ち、手を差し出す。


「決めましたわ。『奴隷』としてあなたを買って差し上げます。あなたの顔には、お金を払う価値がありますもの」

「独り占めはダメですよ、リジー様~!」

「お金を出しあってみんなの奴隷ものってことにしましょ!」


 怒りを通り越して呆れる。

 横暴な彼女たちの言葉に、アレックスもついに厳しい口調で介入しだした。


「いい加減にしたまえ。この国では奴隷制度はもうすでに廃止されている。それくらい知っているだろう?」

「あら、そんなの守っている人の方が少ないのでは?それにたかが貧民の一人や二人、買ったところで誰も文句は言いませんわ」

「むしろ私たちに買われたら、いい暮しさせてあげるしぃ」

「逆にいいことじゃん!」


 この国の貴族は腐り切っているのだろうか。ユーリは不安になった。

 しかし腐っていない貴族アレックスは怒りの声を上げる。



「ふざけるな!!」



 その声は地下一帯に激しく響き渡る。

 あまりの迫力に、令嬢たちは目を丸くした。


「君たちに『高貴たる者の責務』はないのか?法を破り、身分の差を嘲笑うのが君たちの仕事なのか?君たちは人の尊厳というものを知らないのか!出会った頃の純粋な心はどこで失ってしまったんだ!」


 怒濤の怒りの言葉に、令嬢たちは狼狽するばかり。目を丸くして右往左往、まるで人生で始めて怒られたかのような反応だ。


 刺々しく細められたアレックスの目は、それまで黙っていたホリーに止まった。


「ホリー嬢。君は相手が貧民なら治療しないというのかい?」

「そうだよ」

「……シエラ!アンタは黙ってなさい!」


 しれっと口を挟んできたシエラを、ホリーがキツく睨み付ける。

 しかしそんなのどこ吹く風といった様子で、シエラはつらつらと話を続けた。


「ホリーさんとは、治療院での奉仕活動が一緒だったんだよね。同じ教会の同じ聖女見習いとして派遣されて」


 ホリーは無言で目線を逸らす。


「ホリーさんってば、明らかに上の立場の人しか治療しなかったもん。兵士でも重病人でも、貴族とか役職持ちじゃない人はみーんな私任せ」

「重要な人を優先して治す。それの何が悪いの?」

「悪くはないけど、重要な人治してないですよね?治し終わったら遊びに行ってましたよね?」

「アタシみたいな実力の持ち主は、力を温存しておく必要があるの!アンタみたいなのとは違うの!」

「実力?骨折を治すのに五分もかかるのに?」


 シエラに煽られ追い詰められ、ホリーは俯いてしまう。

 泣き出すのかな?と思った瞬間、彼女はどす黒い感情のままに叫びを上げた。



「なによ!『魔王崇拝者』のくせに口答えするな!」



 その言葉に、貴族の令嬢たちは「ひぃっ!」と声をあげ、慌ててシエラから距離をとった。


「ま、魔王崇拝者ですって!?」

「嘘でしょう!?」

「本当よ!あの女の家は魔王崇拝教の一族なんだから!」


 憎らしげに唇を噛み締め、シエラが反論する。


「私は魔王崇拝者なんかじゃない。説明したよね?私はそんな家族から逃げてきたって」

「どうかしら!影でこっそり患者を殺してたりしたんじゃないの?」

「私は聖女見習いとして、誇りを持って試練に挑んでいるの。バカにしないで!」


 怒りと慟哭どうこくが木の葉を揺らす。

 噛みつかんばかりの表情のシエラに、令嬢たちは大袈裟なほどに怯えて見せた。


「魔王崇拝の家の者が聖女ですって!?あり得ませんわ!」

「教会はなに考えてるのよ!」

「逃げてきたなんて嘘に決まってる!なんて恐ろしいの!」

「そうだな、恐ろしいな」


 ユーリは思わず声を漏らした。

 なるべく冷静になろうとはしているが、拳が震えるのを抑えられない。ギリリと奥歯が噛み締められた。


「考える脳すら無い、お前らの頭が恐ろしいよ」


 ユーリに睨まれた令嬢たちが情けない声を上げる。


「奴隷だの魔王崇拝に違いないだの、本気で言ってるのか?ちゃんと自分の頭で考えてから喋ってるか?」


 顔、身分、表面的な価値でしか物事を測れない彼女たちに心底失望した。

 こんな人間が自分たちの上に立っているのかと思うと、未来の暗さに鳥肌が立つ。


「どうせ、こっち側の気持ちなんて考えたことないんだろ?」


 彼女たちは好きに着飾り、美味いものを食べ、何も考えなくても、何不自由なく生きられるのだろう。

 生きているだけで差別され、否定され、見下される。そんな貧民や魔王崇拝教の身内の苦しみなんて、彼女らからすれば、存在しないも同然なのだ。


 馬鹿にするな。

 俺たちだって生きているのに。


 重苦しい怒りで暴れ倒したいのをぐっと堪える。言葉にしたって、殺したって、きっと無駄なことだろう。

 立ち尽くす令嬢たちを置いて、ユーリは歩き出す。


「行こう。アレックス、シエラ」


 立ち去るユーリたちの背中にただ一人、ホリーだけが「アンタたちなんか……!」と叫び声を浴びせた。


 *


 無言で歩き続けて数十分。

 気持ちの整理がついたのか、やっとシエラが口を開いた。


「……なんかごめんね。私のせいで」

「どこがシエラのせいなんだよ」

「まったく同感だ。悪いのは彼女たちであって、シエラではない」


 そう応えた後、アレックスは悲しそうに呟いた。


「出会った頃は、彼女たちもあんな感じではなかったのだが……。貴族の世界は狭くてね。良くも悪くも、すぐ周りに影響されてしまうのさ」

「お貴族様も大変だねぇ」


 しかし同情はしない。

 それぞれの事情をスパッと切り捨て、ユーリは続けて不満をこぼした。


「でも、あのポニーって女は確実に良くないだろ。魔王崇拝教は差別されるってわかってて暴露してたよな」

「ポニーじゃなくてホリーね。あの子は出会ったときからウマがあわなかったし……でも」


 シエラは辛そうに虚空を眺める。


「あー、やっぱしんどいなぁ。一生『魔王崇拝教の家族』って偏見がついて回るのかぁ。おかげで嫌な記憶思い出しちゃった……」


 そんな悲しい顔は見たくない。

 ユーリの胸がキシキシと痛んだ。


 シエラとパーティを組んだのは、ダンジョンに潜るの、ほんの少しの寄り道に過ぎない。

 しかしそれでも、ユーリは本気で彼女が心配だった。

 だからこそ、自然と彼女を気遣う言葉が出た。


「偏見からも、家族からも、逃げ切ってやろうぜ。俺たちが手伝うからさ」


 俺たちという言葉に首肯を返し、アレックスが力強く笑う。


「ああ、当然だとも!シエラが世界一の聖女になるまで、私は君を支えよう!」

「世界一はちょっと厳しくない?」

「お前、意外と口悪いもんな」

「はぁ!?ユーリに言われたくないし!」


 少年少女の笑い声が森にこだます。

 三人の足は、そう簡単に止められるものではない。

 確かな絆がそこにはあった。


 *


 未だにバクバクと荒ぶる心臓。

 リジーの脳裏には、アレックスの怒声と、ユーリの冷たい視線が焼き付いている。

 ただ肯定され続ける人生を送ってきた彼女にとって、それは何よりも衝撃的だった。


「ふん、なによ!貧民のクセに顔がいいからって付け上がっちゃってさ!」

「そ、そうよね!誰に向かってお説教なんかしてるのかしら!ねぇ、リジー様!……リジー様?」

「わた、くし、……私は」


 シャロンとクララが、言葉の続きを待つ。


「今まで、お父様の言う通りに生き、ブライアン様の言う通りに行動してきました……。自分で何かを考えるなんて、考えたこともありません……」


 そうして話ながらリジーは、自分がいかに空っぽな存在であるかを自覚し、驚愕した。

 いつだって誰かが誘導してくれて、自分はその示された道を歩けばいい。そうすれば、みんな誉めてくれたし、安心できた。


 でも、それではまるで、お人形さんと同じではないか。


「私は、私の人生は、間違っていたのでしょうか?」

「リジー様!貧民の言葉なんかに騙されないでくださいよ!私たち貴族には関係無いですって!」

「そうです!あんなの虫の鳴き声と同じですわ!」

「そ、う……ですわね」


 仲間に励まされ、リジーはハッと我に帰る。

 そうだ。これまでそうして過ごしてきたのに、今さら何を悩む必要があるのか。

 リジーは仲間に微笑んで見せた。

 しかし、その笑顔はすぐに曇ることとなる。


「それで、これからどうします?」

「……」


 逃げたブライアンを追えばいいのか、地上に出て家に帰るべきなのか、リジーには判断できなかった。

 黙って俯くリジーをオロオロと囲む二人。

 リジーは、何も答えられなかった。



 一方、その輪には加わらず、ホリーは怒りを露わにしていた。



「ムカつくムカつくムカつく!たかが平民のくせに!」


 いくら爪を噛んでも怒りは収まらない。


「ブスのくせに!魔王崇拝のくせに!アタシに盾突くって何様のつもり!?ムカつく!」

「へえ、そんなにムカつくんだ」

 

 突然真横に登場したその声に、ホリー含めた令嬢たちは慌てて逃げ、身を寄せあった。


 いったい、いつの間にそこにいたのだろうか。

 まるで暗闇から生えてきたかのように、その声の主はズルリと現れた。


「いいね」


 黒いローブを纏った男は、少女たちに手を差し伸べる。


「“君たちを、導いてあげよう”」

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2025年1月9日 19:05

君に会いたくて転生した - 前世の記憶で攻略無双、いつか至るダンジョン最下層 - 加賀七太郎 @n4_seven

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