第2話 アリスと冒険者の身支度


「ミア=アヤセ様ですね。年齢は18歳、誕生日は4月24日でお間違いありませんか?」

「ええ、大丈夫です」


 とりあえず冒険者になるのが異世界ものの定番よね、なんてふざけた女神の指示に渋々従い、ミアは森を抜け、近く街の冒険者協会まで足を運んでいた。

 異世界の街並みは煉瓦造りで、近世のヨーロッパを連想させた。剣を携えていたり、動物の耳が生えていたり、日本とはまるで違う光景に興奮しなかったと言えば嘘になる。週に3冊新刊を読むほど読書好きなのだ、それも致し方ないことである。

 しかし弊害ももちろんあった。ヨーロッパ似のこの街は、住人までよく似ている。要は男の体格が馬鹿みたいにいいのである。

 あんなものに前に立たれたら、前などまず間違いなく見えないだろう。160弱のミアなど簡単に押し潰されてしまうに違いない。

 しばらくして、ミアはようやく目当ての建物にたどり着いた。

 女神が用意した地図があるとは言え、初めての街を一人で歩き回るのは不安だったので、ミアは無事到着したことに安堵の息をつく。


「ここが冒険者協会ギルド……」


 興奮と緊張が綯い交ぜになったまま冒険者協会に入ったミアは、早速冒険者申請を行った。

 受付は華奢な女性ばかりで、隣から覗き込まれぬように仕切りが付いていた。

 ホッと息を吐いたミアに優しく微笑みかけた受付嬢の耳は、巻貝のように尖っている。記入用紙に必要事項を書き、彼女に手渡す。


「では、ギルドカードを発行して参りますので少々お待ちください」

「ありがとうございます」


 短く礼を告げて、ミアは仕切りから少しだけ顔を覗かせて室内を観察した。

 天井が高くガラス張りになっていて、そこから陽の光をたっぷりと取り込んでいるため、明るい雰囲気に満ちている。ガタイのいい男たちがジョッキを片手に何事かを話し合っている。

 丸太のように太い腕、大仰な素振りや笑い方、ついでに勃発したいくつかの喧嘩。

 ぐるぐると腹に渦巻く不快感に、ミアは俯いて口と腹を抑えた。

 気持ち悪い、味方がいない、知らない場所に男たち。

 うぅ、と呻き声が小さくこぼれた。


 ――こわい、さむい、さみしい。

 おねぇちゃん


「ミア様? どうなさいました? 体調が優れないようでしたら、保険医を呼んでまいります」


 ふと飛び込んできた柔らかい声に、ミアはゆっくりと顔を上げた。

 小刻みに震えるミアを見て、心配そうに眉を下げている。


「あ……」


 ぱちり、焦点があって、ミアはようやく落ち着きを取り戻した。

 いつもは近寄らない限りは日常生活を送れるため、やはりなれない環境下に置かれて気が動転していたらしい。

 自身の片割れとよく似た眼差しに、心が平常に戻っていく。


「す、すみません。少し疲れていて……でも大丈夫です。ご心配をおかけしました」

「そうですか……。もしよろしければ別日でも問題ありませんが」

「いえ、本当に平気です。続けてください」


 きっぱりと首を振れば、受付嬢は何か言いたげにしながらもカウンターの向こうへと腰を下ろした。


「では、こちらがミア様のカードになります。ご確認ください」


 差し出されたのは、半透明のカードだ。色は薄いグレーで、まるでガラスのような質感だ。

 カードには白文字で名前や性別などの個人情報が記されている。

 自分の名前が書かれたそれをつぅ、となぞる。

 正しい表記としては綾瀬美茜ではあるのだが、漢字のないこの世界でその注文は通らないだろう。アルファベットのような、ルーン文字のような、何やら不思議なこの文字が、世界共通語となっているらしい。ちなみに何故だか世界共通語を話すことができたし、喋ることもできた。


「こちらが冒険者の経験値を元に設定された冒険者ランクです。今は初心者ということですので、Lv.5、Eランクからのスタートになります。初心者のうちは特にランクは上がりやすいので、定期的に更新する必要があります」


 聞き取りやすい丁寧な声音に、ふむふむと相槌を打つ。


「ランクが一定まで達すると今のEランクからDランクになり、より難易度の高い任務を受けることも可能です」

「依頼はどこで確認するんですか?」

「このギルドの中心に大樹が生えており、その幹に張り付けられている紙がご依頼となっております。依頼状はランクごとの色で分けられており、ミア様はEランクですのでD以上の依頼は受けられない仕組みとなっております」

「なるほど……わかりました」


 こくりと頷いたミアに、受付嬢はすっと1通の手紙を差し出した。真っ白な封筒に深紅の封蝋のそれは可愛らしくて、ロマンティックだ。

 少女心をくすぐる手紙に頬を緩めながら、これは何かと受付嬢を伺い見る。


「ミア様はまだ装備なども揃っていないようにお見受けいたしましたので……。僭越ながら、冒険者協会と締結しているお店をリストにさせて頂きました。個人経営ではありますが品質は保証いたしますので、もしよろしければ」

「いいんですかっ? ありがとうございます、わざわざ……」


 控えめな微笑を浮かべる彼女に向けて、ミアはにこりと礼を言った。

 どこのライトノベルでも、始まりの街のギルド職員は優秀だと相場が決まっている。例に漏れず、彼女もまた素晴らしい手腕の持ち主のようだ。


「当ギルドでは、冒険者のプライバシーを厳守する為に必ず担当を決めて対応をしています。ミア様の対応は今後、このヘレンが担当させていただきます。冒険者とギルドは一心同体。何かあれば、いつでもお越しくださいませ」


 胸に手を当ててそう告げる彼女のなんと頼もしいことか。

 ミアには後光が射しているように見えた。あまりにも眩しい、好き。

 結局ミアは、今回は依頼状の代わりに女神よりも女神様らしい彼女からの手紙を手に冒険者協会を後にした。

 来た時よりずっと心が軽くなっているのは、きっと受付嬢のおかげだろう。 

 赤い封蝋を慎重に剥がして中身を取り出す。

 読みやすい丸っこい字で書かれたそれにざっくりと目を通した。

 まず必要なものは衣類だろう。今の恰好は部屋ぎとして使用していたワンピースだ。裾が長く生地も薄いので、確実に冒険者とは不釣り合いだ。これは針と布が描かれた看板のソー・コットン。

 それから武器だ。店名はなし、剣と盾の看板が目印。こちらは十中八九男が店員だろう。覚悟を決めねばなるまい。

 あとは怪我をした際の薬などの薬屋、魔物や薬草の図鑑を売っている書店。使い魔た眷属と従える場合の店もいくつか記載されている。


「まあ、とりあえず服ね」


 ちらりを周りを見渡して苦笑する。日本ではありふれたそれは、異世界ではかなり浮いていた。

 動きやすくておしゃれなものがあればいいなと、ミアはソー・コットンに向かうためにメインメニューから地図を開いた。


 *


「あら。可愛らしいお嬢さんね」


 ソー・コットン店内にて。

 金髪に白を混ぜた淑女はミアを見て上品にそう言った。


「初めまして、ミアといいます。冒険者を始めたのですが、ギルドの方に衣服ならここがおすすめだとお伺いして」

「まあまあ、その通りね。わたしの宝物たちはみんな魔法の糸を使用していますから、他のものより頑丈ですわ。それに、デザイン性もばっちり」


 悪戯っぽく目を細める店主に、ミアも確かにと頷いた。

 小ぶりなシャンデリアが照らす店内はピンクと白を基調にしており、とても可愛らしい。彼女の言う宝物も、どれも魅力的だ。


「冒険者用のお洋服をご所望ね。ちょっといらっしゃいな」


 手招きする店主に従えば、彼女はミアを上から下までじっと見つめた。先ほどまでの柔和な眼差しとは異なるそれに、まな板で捌かれ待ちをする鯉の気分になる。

 次いで手を取られ、肩、腰、足と順々に見分すると、店主はようやく大きく一つ頷いた。


「武器はもう用意してあるのかしら?」

「いえ、でも近接戦闘を考えているので剣がいいかなって」

「お人形さんみたいな子が剣の使い手なんて、素敵だわ。きっと立派な騎士になるわね」


 店主はふふ、と笑うと、試着室までミアを誘導した。


「いくつか見繕って来ますから、少し待っていてちょうだいね」

「わかりました、お願いします」


 カーテンを閉めながら隙間から店主を伺えば、随分と上機嫌な様子で猛然と服をかき分けていた。さながら獲物を見つけたチーターのようである。

 血統書付きの白猫が野生の猛獣に変わった、などと含み笑いをして振り返ったミアは、鏡に写った自分を見てぎょっと目を見開いた。


「……え、何この色」


 英国人の母を持つミアは、全体的に色素が薄い。淡い金茶髪に白い肌は昔から周囲と浮いていて、いじめの対象だったこともある。

 そしてミアの目もまた、日本人離れしたヘーゼル色のはずだった。

 ひたりと鏡に手を当てて、食い入るようにを見詰める。


 ミアの瞳はヘーゼルから紫黄水晶とよく似た色合いに変化していた。

 紫から金色に移ろう様子は夜明けを連想させ、とても美しい。

 ぱちりと瞬きをすれば、照明の光を取り込んで星々のようにちらちらと煌めく。


 美しい反面妖しげなその色彩に、背筋が冷たくなるような気がした。

 きっとあの女神が仕掛けたのだ。

 まるで自身のものだと主張するように瞬く瞳はどう見てもミアのものではない。こんなことができるのは、あの女神だけだ。

 姿なんて見たこともないのに女神のチェシャ猫のように歪む口許が脳裏に浮かび、ミアはぶるりと体を震わせた。

 と、同時に勢いよくカーテンが開かれる。


「お待たせしてしまい申し訳ないですわ!」

「ぎゃあっ!」


 びくりと肩を跳ね上げて鏡から距離を取ったミアに、店主は不思議そうに首を傾げた。手にはカラフルな服の数々。


「ミア様はとても可愛らしいですから、どんなものでもお似合いになってしまって。おかげで時間がかかってしまったわ」

「えーと、その服の量は一体……」


 うふふ、と可憐に微笑む淑女は、その笑みとは反対にとてつもない圧を纏いながら引き攣った顔のミアに迫った。


「さあ、着替えてくださいまし」


 *


 最後の一着を着終えた頃には、ミアの息はすっかり上がっていた。

 ぜぇ、はぁ、と荒い息の少女とは反対に、心なしか肌艶のよくなった店主が満足そうに声を上げた。


「まあ、やっぱりこれが一番ね」


 ミアが纏うのは、ドレスのような黒の衣装だった。軍服を思わせるブラウスは彼女の凛々しさを引き立たせ、左右非対称なスカートからは左脚の太腿がちらりと覗いている。白く細い線で描かれたアネモネの花が、ミアが動くたびに揺れる。銀のチェーンや差し色の金と赤の装飾が随所に施されたそれは、ミアの綺麗な顔立ちによく似合っていた。

 気品あるその佇まいは、荒くれ者の冒険者というよりも王に仕える騎士のような印象を受ける。


「綺麗な服……それに何だか、身が軽くなった感じがするわ」

「それはわたくしが、魔法の糸で誂えた魔法のお洋服ですもの。滅多なことでは破けませんし、様々なバフ効果が付いていますの」


 ふふん、と可愛らしく胸を張る淑女に頬を緩ませて、ミアは右手でメインメニューからコインのアイコンを開いた。

 念のためアイコンの全てを見たので、どこに何があるかは確認済みである。

 この世界には紙幣はないらしく、白金貨、金貨、銀貨、銅貨とそれぞれ花と女性が刻まれたコインが流通しているようだ。

 相場がわからないので、とりあえず一番勝ちが高そうな白金貨を一枚取り出してみる。


「えーと、おいくらかしら。これで足りる?」


 白く輝くそれを店主にかざせば、彼女は少し目を見開いてからほほ、と笑った。


「ええ、もちろんですわ。では白金貨一枚ですので、おつりはこれで」

「えっ」


 えげつない量の金貨と銀貨が返ってきた。両手で持ってようやくのそれを収納して、ひくりと頬を引き攣らせる。

 どうやら明らかに大きすぎる硬貨を出してしまったらしい。

 しかし今まで所持していたコインは白金貨と金貨のみ、ようやく初めて銀貨を見た状態である。


(あの女神、どういうつもりで……)


 まさか餞別のつもりだろうか。ドン引きしているとピロンと軽快な通知音。


——あら、おかしいわね。確かにちょっと盛りはしたけど、ちゃんと同僚の言う通りにしたのに。


 どうやら神とやらは下々の人間とは違い金銭感覚がないらしい。金銭など使う生活はしていないだろうから、それも当然か。

 脱力しつつも誤魔化すように店主に笑いかける。


「大切に使わせていただきます。ありがとうございました」

「いえいえ、こちらこそ。素敵なレディにぴったりのお洋服を見繕えて光栄ですわ。これからもソー・コットンをご贔屓に」


 ぱちん、と茶目っ気たっぷりにウィンクする店主に手を振って、ミアは店を出た。



 外に出れば静かだった店内とは異なり、がやがやと活気に満ちた喧噪がミアを囲った。

 まだちっとも慣れないが、それでも服装のおかげか、先ほどよりもいくらか腑に気に馴染んで見える。

 いい買い物をしたな、と満足げに頷いて手紙を取り出した。


「とりあえず服は終わったから、あとは薬と図鑑、それから……武器」


 上機嫌だった猫目があっという間に不満そうに細まる。じぃっと親の仇でも見るような顔で手紙を睨み付けた。

 地図を確認すればここから最も近い店は武器屋であり、最も遠いのは薬屋だ。地図を閉じて、うん、と頷く。


「ま、まずは薬屋かな」


 ……人間だもの、ストレスは良くない。

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男嫌いアリスは恋を知る 綴音リコ @Tuzurine0406

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