美味しく食べて、糧にする ~あの日食べた魚のヘソが何なのかわからない~

きみどり

>゜)))彡

 魚にヘソはない。

 でも私は幼い頃、確かに魚のヘソを食べた。


 それを食したのは、大好きな祖父母の家に帰省したときのことだ。

 祖父は子ども好きな多芸多才の人で、私のこともとてもよく可愛がってくれた。孫のために様々なオモチャを木などで手作りし、体を張った遊びにも付き合い、私から「はげ!」と毛の無い頭をバシンバシン叩かれても笑って許してくれるような人だった。


 そんな祖父が連れていってくれる特別な遊び場のひとつが、川だった。

 記憶にあるのは後ろ姿だ。

 私が岸から見守る中、祖父はざぶりざぶりと、膝下ほどの深さの流れに入っていく。その腕には投網とあみが携えられていて、やがて立ち止まって狙いをつけると、腰のひねりを利用してそれを前方に投げる。すると、網が空中で綺麗に広がり、バシャッ!という音と共に、水面に円が描かれる。川の中に大きく広がった網を手繰り寄せると、小さな魚たちが中でピチピチと光っているのだった。


 当時の私にとってそれは「トアミ」という道具だった。文字も意味も伴わない、音の響きと実際に見た情報だけで理解しているものだった。

 大人になった今は、それが「投網とあみ」であり、読んで字のごとく、川などに投げ入れて魚をとる網であることがわかっている。


 でも、詳しいことは今でも知らないままなのだ。


 投網の全体を初めて目にしたのは、インターネット上だった。持ち手となるロープの先にスカート状の網がついていて、その裾には金属の重りがついていた。

 子どもの頃の記憶から、なんとなくそんな形をしているんだろうなという見当はついていた。でも、実物を見たことはなかった。見たいと思ったこともなかった。

 ネット上には投網の打ち投げ方や仕組みの情報ものっていた。投網を打つ祖父の背中を見ていたのに、そのどれもが私にとって初めて知ることだった。


 私の無知は投網だけにとどまらない。

 投網漁の後は当然、とれたものを持ち帰り、その日の晩ご飯にする。しかし、子ども時代の私は出される料理に「おいしい!」と喜ぶばかりで、自分が食べている魚の名前すら知らずにいたのだ。


 コイ、ナマズ、フナ……確かそんなことを大人たちが言っていた気がする。今でもハッキリとはわからない。どの魚も小さく、丸ごと唐揚げにして食べたと思う。


 それに混ざって出されたのが、魚のヘソだ。


 爪楊枝に三つくらい並んで串刺しにされ、恐らく焼いて塩を振っただけのシンプルな調理法で食卓に出された。記憶の中のそれは直径一センチ弱の小さな白い輪で、残念ながら味や食感は覚えていない。

 ただ、これだけは確信をもって言える。美味しかった。


 当時は魚のヘソと言われても、なんの疑問も持たなかった。魚類にヘソがないことなんて知らなかったし、なんとなく「今食べてる小さい魚のお腹についていたんだな」くらいにしか思わなかった。


 その魚のヘソのことを、二〇二四年九月、突然なんの脈絡もなく思い出した。

 そして、思った。


 魚のヘソって何!?


 思い出した途端、気になって気になって仕方がない。

 丁度いいことに、九月の連休中には親元へ帰省する予定があった。そこで私は、母に「そういえば」と切り出してみた。


「昔、じぃじが投網で魚をとって、みんなで食べたよね」

「うん」

「その時に魚のヘソってあったよね?」

「あー、あったあった」

「あれって、なんなの? 魚のヘソって何? 魚のどの部分?」

「うーん……」


 これで謎が解ける!

 そう思って、ワクワクと返事を待った。しかし。


「何だろうね? ネットで検索したら出てくるんじゃない」


 なんと、母も知らなかった。

 祖父から見たら実の娘なのに!


 期待の外れた私は後日、検索窓に「魚 ヘソ」と打ち込んだ。すると、ボラという魚の幽門という部位がヒットした。


 これだっ!


 ……とはならなかった。


 私の中でボラは、そこそこ大きい、海に住んでいる魚だった。祖父が投網をしていたのは川で、ボラはとれないはずだ。だから違う、と思った。

 加えて、ヘソの画像もどれもピンとこなかった。私の覚えているヘソは、真ん中に穴のあるドーナツ型だ。なのに、検索して表示されるヘソには、調理前のものも後のものも、穴があいていなかった。別名「そろばん玉」とも言われるらしいその肉厚な形にも、見覚えがなかった。

 サイズも大きすぎる。焼けば縮むとは思うが……詳しい情報は見つけられなかった。

「コリコリした食感」と書いてあるサイトが複数あったのも、違うという気持ちを強くさせた。そんな独特な食感がしたなら、今でも記憶に残っていそうなものである。


 やはり、魚のヘソは方言的なものなのではないか?

 そう疑っていたからこそ、私はネットで調べず、母に聞いた。

 例えば、今川焼も大判焼きも回転焼きも、呼び方が違うだけで同じ食べ物だ。

 そんなふうに、魚のヘソもその地域だけで用いられている呼称だったら。もっと限定的に、その家庭だけで通じる呼称だったら。調べようがないと思ったのだ。

 その地域だけで食べられている、とんでもなくマイナーなものの可能性もある。


>魚のヘソを調べてみたけどわからなかった。


 モヤモヤが解決しなくて、思わず私は母にLINEした。


>>ボラのヘソで調べてみて!

>形違わない?

>>塩焼きの画像が出てきて、これだ!って思ったんだけど……


 いやいや、私もボラにはたどり着いたし、画像も見たんですよ。と思いつつ再度検索する。

 と、それらしき画像に目がとまった。切り分けたり開いたりしていない、丸ごとのヘソが串に刺さった画像だ。その魚のヘソもドーナツ型ではなかったが、焼いて形が多少引き締まり、私が穴があると記憶していた部分に串が通っていた。

 これは、もしかしたら。

 そう思って今度はボラを検索した。すると、特に幼魚は川を遡上すると書いてあるではないか。


 ボラは川でもとれる。

 加えて、私の記憶にあるヘソが輪の形をしていたのは、もしかして串から外したものを覚えていたからではないか。

 幼魚のヘソだから、当然大きな個体からとれるヘソよりもサイズは小さいだろう。小さければ、食感もパッと見の形も、大きいものとは違ったかもしれない。


 完全に納得することはできていなかったが、筋は通ったと思えた。

 幼い頃の私が食べていた魚のヘソとは、ボラの幽門のことだったのだ!


 多分。


 断言できないのがもどかしい。

 でも、祖父に直接確認できる状態ではもうない。


 記憶の中にあるヘソのことも、川でとれた魚のことも。投網のことも。もうハッキリと知る術のない、取り返しのつかないことなのだ。

 こんなことならちゃんと教わっておけば良かった。祖父がもっていた豊富な知識や技術は引き継がれることなく、永遠に失われてしまった。そんなことを今さら実感した。


 子どもの私は、目の前の楽しいことに夢中だった。祖父と川に出かけても、河原で火打石を探し歩いたり、タモ網と竹の棒を使ってテナガエビを捕まえたり。祖父のしていることを、見ているようでちゃんと見ていなかった。


 でも、火打石の見分け方もテナガエビの捕まえ方もまた、祖父が私に教えてくれたことである。


 詳しいことは今でも知らないままだし、断片的な記憶の正確さも、ちょっと怪しい。

 けれど、楽しかったこと、美味しかったことは今でもハッキリ覚えている。それらは私に取り込まれ、確実に心と身体の糧となった。そして、魚のヘソのように時間を経てからパッとよみがえり、再び私の心を潤してくれる。

 永遠に失われたものもあるけど、のこったものも確かにある。それらは間違いなく、私が祖父から受け継いだ、人生の糧なのだ。


 でも、いまだに気になって気になって仕方がない。

 魚のヘソって何!?

 完全な納得を求めて、私の記憶の中のヘソ探しはまだまだ続く。

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美味しく食べて、糧にする ~あの日食べた魚のヘソが何なのかわからない~ きみどり @kimid0r1

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