あっちゃんと私

槙野 光

あっちゃんと私

 突然ですが、私はドライな人間です。ひとりが好きだし、ひとりでこもっていられるし、人と会うのが面倒な時もある。

 私はきっと優しい人にはなれません。でも、誰かにとって優しい人でありたいと思っています。優しくありたいと思っています。それは多分、祖母と過ごした日々が起因しているのだと思います。

 大好きな祖母を亡くして十年以上。

 深く潜り込むには辛く、いつの前にか欠けてしまった記憶。犀川さま主催のエッセイ企画をお借りして、飛び散ってしまった記憶のカケラをかき集めてみることにしました。

 祖母から何をもらい、そして、今があるのか。これからも歩いていくため、私は、私のためにこのエッセイを綴ります。

 断片的な部分が多く、穴だらけのしょうもないお話になるかと思いますが、祖母と私のお話に少しばかりお付き合いいただける奇特な方がいらっしゃいましたら、記憶のカケラを拾い集める私の背を見守っていただけますと幸いです。


 それでは、参りましょう。



 私の家は所謂二世帯住宅です。一階に母方の祖父母が住み、二階に私たち一家が住んでいます。内階段はないため、一度外に出てぐるっと大回りしなければなりません。なぜこの家に住まうことになったのかは、両親の話になってくるのでここでは割愛いたします。

 兎にも角にもそんなわけで、物心ついた頃には私の近くには祖母がいて、気付いた時には私は手の施しようもないほどのおばあちゃんっ子でした。

 えっ祖父はどうしたかって? 

 戦争経験者の祖父は認知症でした。常に獣のような唸り声をあげ、自分ひとりでは衣服もまともに身に纏えない。そんな祖父が幼心に恐ろしく、私は祖父の部屋には極力近づかないようにしていました。……薄情なものです。

 祖母は手の掛かる祖父の文句をよく垂れていましたが、祖父が亡くなった時大粒の涙をぼろぼろとこぼしていました。

 その涙の意味は祖母にしか分かりませんが、縮こまった祖母の背中を見て、幼な心に感じ入るものがありました。でも私は、祖母に何の言葉もかけてあげることができませんでした。


 私は祖母のことを『おばあちゃん』ではなく、あだ名で呼んでいました。ここでは仮に『あっちゃん』とでも呼びましょうか。何故あっちゃんと呼ぶようになったかは、母がそのように呼んでいたからです。母がなぜそのように呼び始めたのかは、分かりません。訊いてもちゃんとした回答が返ってきたことはないので、おそらく母自身も忘れてしまったのでしょう。

 私はあっちゃんのことが大好きでした。私の世界の真ん中にはいつもあっちゃんがいて、あっちゃんのいない世界なんて考えられませんでした。


 朝、小学校に行く時、あっちゃんは庭掃除をすると共に私を見送ってくれました。赤いランドセルを背負って「行ってくるねー」と右手を大きくあげて幾度も後ろを振り返る私を、あっちゃんはずっと見守ってくれました。

 あっちゃんが風邪を引いてしまった時は、お見送りはありませんでした。当然です。でも、あっちゃんの姿が見えないと寂しくて寂しくて堪らなくて、どうしてもあっちゃんの姿を一目見てから登校したくて、私はランドセルを背負ったまま庭に回り、掃き出し窓をノックして「あっちゃん」と声を掛けます。そうするとあっちゃんが私に気づいて窓を開けてくれて、早く行きな、と言うのです。素っ気ない物言いですが、それでもあっちゃんの姿を見れただけで嬉しくて、そういう日は授業が終わるや否や飛んで帰り、あっちゃんの元に駆けていきました。あっちゃんは風邪が移るからとあまり良い顔はしませんでしたが、私はあっちゃんの小言を右から左に受け流し、あっちゃんの側にずっといました。


 あっちゃんは八十を過ぎていました。皺だらけで腰は曲がり、ラクダみたいな瘤が背中にありました。でも、誰よりも笑顔が素敵な人でした。


 あっちゃんと一緒にテレビを観ました。水戸黄門や暴れん坊将軍、男はつらいよや渡る世間は鬼ばかり。それに、歌番組やモノマネ番組。ごくせんや僕の生きる道も観ました。

 あっちゃんの好きな黄門さまの主題歌や坂本冬美さんの津軽海峡冬景色を歌う私を、あっちゃんは微笑みながら聴いてくれました。


 あっちゃんと一緒にスーパーに行きました。手押し車を引きながら歩くあっちゃんの背中に手を添えて、並んで歩きました。スーパーに着いたら私が手押し車を引いて、あっちゃんがカートを引きます。一緒に野菜や生鮮食品、お菓子を見て、手が大きくてお財布から小銭をなかなか取り出せないあっちゃんの代わりに、一円玉を出しました。

 その帰りに時折、あっちゃんと一緒にファミレスに行きました。テーブルを挟んで向かい合って、チョコレイトバナナパフェを食べました。テーブルの高さが合わなくて少し食べづらそうでしたが、生クリームを美味しそうに頬ばる甘い物好きなあっちゃんの頬はとても幸せそうに緩んでいました。


 あっちゃんと一緒に駅前の蕎麦屋に出前を頼みました。あっちゃんはかつ丼、私はあんかけうどん。じんわりと伝う炬燵の熱。厚みのあるテレビから流れる賑々しい音。窓越しに舞い落ちる白雪。その時は分かりませんでしたが、何気ない日常の一コマは確かに光り輝いていました。


 あっちゃんと一緒に湯船に浸かりました。あっちゃんと一緒の布団で寝ました。あっちゃんに膝枕をしてもらいました。時折些細なことで口喧嘩をして、わがままを言って困らせることもありました。

 朝も昼も夜も、時間の許す限りあっちゃんと一緒にいました。


 あっちゃんは、私にとって酸素のような存在でした。でも、あっちゃんと私の間には埋められない時の隔たりがあって、私がどんなに願ってもあっちゃんはいつか私の前からいなくなってしまうのだと、それが自然の摂理なのだと頭では知っていました。でも、心では分かりたくありませんでした。


 さらに歳をとって、「私がいなくなったら」とあっちゃんが弱音を溢すようになりました。あっちゃんのその姿が悲しくて仕方がなくて、私は顔を伏せて、「あと百年生きるから大丈夫」とおちゃらけることしかできませんでした。

 あっちゃんが好きでした。心から、大好きでした。ずっとずっと、いつまでも側にいて欲しかった。だから、真面目に返すことができませんでした。寂しさを認めたらあっちゃんが今すぐどこかにいってしまいそうで怖くて、だから、言えませんでした。

 私はどうしようもない臆病者で、大馬鹿者でした。

 あっちゃんに「そんなこと言わないで」って、「ずっとそばにいて」って素直に伝えればよかった。でも、伝えられぬまま、あっちゃんは一瞬の内に坂道を転がり落ちていきました。  


 ある日、空気に触れるだけで突き刺さるような痛みが走るのだと、あっちゃんが言いました。

 あっちゃんが身体の痛みを訴えた時、私は大学四年生になろうとしていました。

 病院に行くと、あっちゃんは帯状疱疹だと診断されました。そして、腫瘍が見つかりました。あっちゃんは手術をしました。手術は無事成功しました。でも、病院のベットの上で寝たままになっていたあっちゃんの体力は戻りませんでした。帰宅をしてもほとんど寝たきりになり次第に物忘れが多くなり、同時にひどく頑固になっていきました。そして徐々に肌が滲むように黄色くなっていき、ひどく痒がるようになりました。再び検査をしました。


 あっちゃんは黄疸を発症していました。

 末期の膵臓癌だと、そう告げられました。


 特効薬はない。手術をしても切って縫うだけだと言われました。それでも諦められなくて、信じられなくて、何か手はないかと必死に探しました。そんなある日、ネットで、膵臓に効くと言われる漢方があるという記事を見つけました。とても苦い漢方でした。藁にもすがる思いでした。あっちゃんの好きなさつまいもを砂糖と一緒にくたくたになるまで煮て濾して、すりつぶして水で溶いた漢方を入れた栗きんとんもどきをプラスチックの小さな容器に詰めて、あっちゃんの元へと通いました。

 看護師さんは、あっちゃんに差し入れをする私に注意するわけでもなく、ただひとこと。お孫さん来たわよ、と腰を屈めてあっちゃんの耳元で声を張りました。

 あっちゃんは半開きに口を開いたまま、天井を見ていました。


 何度通っても、あっちゃんは良くなりませんでした。それどころか、どんどん過去を追いかけるようになっていきました。嗄れた声で紡ぎ出される言葉はひどくゆっくりで、溌剌とした笑顔の面影はもうありませんでした。

 私の中で、元気だった頃のあっちゃんの顔が、声が、全てが薄れていくのが分かりました。あんなに一緒にいたのに、あっという間に忘れていく。そんな自分が嫌で嫌で、大嫌いになりました。


 そして、静けさを纏った夜。


 あっちゃんは、縋りついて泣き叫ぶ私を置いて逝ってしまいました。

 私は、泣き続けました。

 棺を前にして、シャワーを浴びながら、布団の中で瞼を下ろして、朝目覚めて、そして電車に揺られながら、あっちゃんのいない世界に絶望しました。


 あっちゃんがいなくなって私の世界は一度終わったんだと、そう思いました。


 七五三、入学式、卒業式、成人式。人生の節目にはいつもあっちゃんの姿がありました。でも、社会人になる前に、あっちゃんはいなくなってしまいました。

 泣いても泣いても悲しみは薄れず、涙は枯れることを知りませんでした。

 だって、これからだったんです。大学の卒業式であっちゃんに袴姿を見てもらいたかったんです。社会人になって初任給であっちゃんにプレゼントを贈りたかったんです。車を運転して、少し豪華な温泉宿に一緒に行きたかったんです。これからたくさんたくさん、あっちゃんが与えてくれたものを返したかったんです。でも、もう終わってしまいました。

 「ありがとう」も「ごめんね」も言えずに、唐突に終わってしまいました。

 私はまだ、あっちゃんに何も返せてないのに――。


 あっちゃん。


 素直になれなくてごめんね。わがままを言ってごめんね。たくさんたくさんごめんね。


 あっちゃん。


 私に沢山優しさをくれてありがとう。楽しい時間を作ってくれてありがとう。たくさんたくさんありがとう。


 欠けてしまった部分もあるけれど、これからもっと薄れてしまう記憶もきっとあるけれど、あっちゃんからもらった大切なもの、私は決して忘れません。

 あっちゃんの側にいれて、私はとても幸せでした。

 あっちゃんが私に優しさを教えてくれたから、だから私は、優しい人でありたいと思うんです。誰かに優しくありたいと思うんです。


 だから、ありがとうあっちゃん。 


 一緒にいてくれて、一緒に笑ってくれて、一緒に話をしてくれて。


 ありがとう。


 あなたはもうここにはいないけれど、私はこれからも歩いて行きます。

 つまずいて挫けそうになって弱さに負けそうになっても、前に進んでいきます。


 だってあっちゃん。

 あなたが光を教えてくれたから。

 あなたが私に光をくれたから。


 だからあっちゃん。どうか心配しないで、ゆっくり休んでください。


 おやすみなさい、あっちゃん。


 ありがとう。


 ――さようなら。


 

 

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