大阪の繁華街! の近くの街で!

崔 梨遙(再)

1話完結:2300字

 僕が育った街は、個性的な街だった。と言っても、30年くらい前の話ですので、今、その街がどう変わったのか? それは知りませんけど。



 まず、露店が多かったですね。



 靴を左右片方だけ売ってくれる店がありました。右だけ! とか 左だけ! といった感じで買えるんです(笑)。そして、実際に片方だけ買う人がいるんです! 皆様の街ではどうですか? 靴を片方だけ買える店って、ありますか?



 外国人の露店もありましたよ。人だかりが出来ていましたので、人だかりを割って入ってみたら、ブランド品を売っていたのですが……。


「お兄さん、ヴィ〇ンの財布、新品4千円!」

「ヴィ〇ンで4千円って……」


という感じでした。ヴィ〇ンの財布が4千円って、安いですよね! コロナ前に久しぶりにその露店の通りを見てみたら、もう外国人の露店は出ていませんでしたけど。あの人達は、どこへ行ったのでしょう?



 僕が小学生の時など、昼間から飲んでいるオッチャンが歌いながら街を歩いていたものです。そして、酔っ払ったオッチャン同士が、時々殴り合いの喧嘩をしていました。お互い血まみれになりながら。僕達はそんな光景は見慣れているので、誰も気にしませんでした。そんなオッチャンに興味を持つことも無く、僕等は自転車で街の中を走り回っていました。或る日、血まみれで倒れているオッチャンの顔に座ってタバコを吸っているオッチャンを見ましたが、“あ、勝利の一服なのかな?”と思っただけでした。



 それから、ホームレスの方々が多かったです。ホームレスの皆様、昼間は働いているケースが多いんです。リアカーで段ボールや缶を集めていました。車はリアカーを避けるために車線変更をするんです。夜は、シャッターの閉まった商店街の前に並んで寝ていました。1度、背の高いホームレスさんの頭を自転車でひいてしまったことがありますが、


「大丈夫ですか?」


と聞いたら、


「大丈夫や」


と言ってくれました。


 また、ホームレスさんも小や大をします。道端でホームレスさんが大をしているところを見るのも、僕等にとっては日常風景でした。ですが、驚いたのは、大通りから少しだけ横に入った道で、ホームレスさんが道の真ん中で大をしていて、車がホームレスさんの大が終わるのを待っていたことです。ちょっと渋滞になっていました。



 グランドで野球をしていたら、黒いベンツに乗ったオジサマが車を停めて、“おい、俺も1球打たせてくれや!”と乱入してきたことがあります。その時、グランドの隅で寝ていたホームレスさんが目を覚ましてオジサマの連れのオバサマを見て、


「不細工なオバハンやなー!」


と言ったので、オジサマにバットでしばかれていました。ホームレスさんは“大丈夫や、心配無い”と言っていたので、大丈夫だったのでしょう。



 中学の時は、某中学のやんちゃな生徒が40人くらいで待ち伏せしていたこともあります。僕達の中学は先輩が強くて有名になっていたんです。ですが、僕等の代では武闘派はいなくておとなしくなっていたので、帰ってもらうのに苦労しました。



 オカマの方々も多かったです。ニューハーフさんではなく、オカマさんです。要するに、同性愛の方々です。女性役の方々は、ウイッグをつけて女装してメイクをしていました。そして、街角に立ち、声をかけられるのを待っていたのです。メイクしていても、髭で顎や鼻の下が青い、その程度の女装でした。なので、僕等は同性愛の方々を幼い頃から見てきました。だから、偏見は無かったと思います。



 コロナ前に久しぶりにその街へ行ったら、オカマの方が女装してエレキ・ベースを弾いていました。僕等からすれば、オカマさんは珍しくないので誰も振り向かずに通るのですが、オカマさんは通行人をじっくり見るんです。目が合ってしまい、僕はベースのケースに千円札を入れて去りました。ちなみに、めちゃくちゃベースの上手いオカマさんでした。



 女性も街角に立っていました。なので、僕達は幼い頃から『売春』という仕事を知っていました。勿論、法律に触れるということも知っていました。余談ですが、街角に立っている女性は若くて50代、60代が中心、70代もいたらしいです。



 中学の時、弁当も無く、パンを買うお金も貰っていない先輩がいました。昼休みになると、1人、鉄棒の上に座ってボーッとしていました。そういう、何かしら恵まれていない生徒達も多い学校でした。生活保護の家庭も少なくなかったようです。



 ですが、みんな仲良く一緒に遊んでいました。在日韓国・朝鮮の子もいました。僕等は生活保護だろうが、在日だろうが、日本人だろうが、関係が無かったんです。そういう面では、良い環境だったと思います。差別意識なんて芽生えませんから。



 人情もあるんです。或る日、或る食堂で、お金が無くて荷物を差し出して、


「コレデ ナニカ タベサセテ クダサイ」


と言う客に、


「ええよ、ええよ、困った時はお互い様や」


と言いながら、玉子丼をサービスで食べさせてあげる女将さんを見て、僕は感動してしまい泣きました。



 30年くらい前の話です。今はどうなっているのでしょう? 噂では店が沢山潰れて、中国の方が土地を買い取るケースが増えていると聞きました。中国の方が土地を買うのはいいのですが、あの頃の風情が失われたら寂しいなぁと思います。結構、僕達は地元愛が強いんです。さあ、どうなっているのか? 地元を再び見る機会はいつ来るのか? 今度、今の地元の姿を見るのが楽しみです。



 皆様はこの街、どう思いますか? 皆様の街は、どんな街ですか?







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