<宇佐華鈴の航海日誌>
20XX年6月11日(晴れ時々曇り・凪)
インド洋南部 東経84度12分・南緯27度56分
今日は珍しく、風が止んだ凪の日和だった。
目覚めると同時に感じた、ヨットの穏やかな揺れ。
甲板に上がって見渡す海原は、まるで鏡のように澄み渡っている。
水平線の彼方まで、なだらかなエメラルドグリーンが広がっているのが見える。
こんな静かな海を見るのは、実に久しぶりのことだ。
朝食はオートミールと、少しだけ贅沢にレーズンを加えたトースト。
メインセールの影で食事をしながら、ぼんやりと水平線を見つめる。
青と白と緑のグラデーションは、まるで絵画のように美しい。
潮風に吹かれながら、こうして一人、大海原で過ごす時間は格別だ。
食事を済ませた後は、いつものメンテナンス作業。
機関室やエンジンの点検、機器類の整備と手入れ。
一つ一つ丁寧に、手順を踏んで行っていく。
陸から遠く離れたこの海の上で、自分の命は自分で守らなければならないのだ。
備品の在庫チェックを済ませ、改めて沈んだ気持ちになる。
まだまだ、長い航海は続く。油断は禁物だ。
備蓄の食料と水の量。燃料の残量。細かく記録をつけながら、頭の中で計算する。
点検作業を終えると、ささやかな昼食のひと時。
レトルトカレーに、保存パンを少しだけ。
食材を減らすことなく、できるだけ長く保たせるためのやりくり。
巧やお父さんが教えてくれた知恵は、今こうして私の命綱になっている。
小さな感謝の祈りを捧げながら、海の静けさに耳を澄ませた。
午後からは、ヨットの甲板の手入れ。
錆びついた手すりや、割れたライトの修繕。
一つ一つ、自分の手で直していく。
故障は命取り。常に万全の状態で航海を続けるための、地道な作業だ。
額に汗を滲ませながら、ヨットを撫でるようにデッキブラシを動かしていく。
風もないこの日は、一段と太陽の日差しが容赦ない。
背中を焼くような熱さに耐えながら、ひたすら磨き続ける。
自分の分身のようなこのヨットを、絶対に僕んじない覚悟。
夕暮れ時、ようやく一段落ついたところで、のんびりとコーヒーブレイク。
インスタントとはいえ、淹れたての香りは格別だ。
甲板に腰を下ろし、茜色に染まる空を見上げる。
水平線に沈みゆく夕日は、まるで神秘的な光景のよう。
世界中の海を旅してきた今でも、この美しさに心を奪われずにはいられない。
潮風に吹かれながら、思い出を反芻する。
暮れなずむ空の下、星々が一つ、また一つと瞬き始める。
今夜は月が出ないらしい。空一面を覆う星空は、息を呑むほどに美しい。
こうして星を眺めながら過ごす時間は、この航海の密かな楽しみだ。
北斗七星、カシオペア、ペガスス座。そして、南十字星。
少しずつ、星座の名前と場所を覚えてきた。
広大な宇宙の下で、自分がいかに小さな存在か、しみじみと思い知らされる。
明日からの航海のことを考えながら、そろそろ休むとするか。
この静けさを存分に活かして、英気を養っておこう。
明日はどんな風が吹くのだろう。どんな出会いが待っているのだろう。
胸躍らせながら、未知なる明日への期待を胸に秘める。
ゆっくりと瞼を閉じて、澄み渡る波の音に耳を傾けた。
この静寂の中で、私の夢は、また一歩、前に進むのだから。
終わり。
……こんな一日でした。
こうして文字に起こしてみると、あらためて平穏な一日だったことに気づかされます。
きっと、時折訪れるこの凪の日々が、私に静かな充電の時間を与えてくれているのでしょう。
世界一周の旅は、まだまだ続きます。
この大海原で過ごす一日一日が、かけがえのない思い出になることを信じて。
明日も、希望の帆を高らかに掲げて航海を続けていきたいと思います。
20XX年7月2日(曇り一時雨)
太平洋上 東経162度43分・北緯9度21分
今日は一日中、雨模様の空が続いた。
ポツポツと雨粒が船体を叩く音を聞きながら、ずっと船室で過ごしている。
こうして一人、海の上で過ごす時間は、自分自身と向き合う時間でもある。
窓の外に広がる鈍色の海を眺めながら、ふと思い出していた。
私が、なぜこの航海に出ることを決意したのか。
その理由を、自分の中で問い直していた。
子供の頃から、海に魅せられていた私。
父から聞かされた冒険譚や、母と見た帆船の絵本。
いつしか私の中に、「世界一周に出たい」という夢が芽生えていた。
大人になるにつれ、その夢はますます大きくなっていった。
だけど同時に、自分の弱さにも気づかされるようになっていた。
体力的にも、精神的にも、一人で世界を巡る航海なんてできるはずがない。
そんな不安が、私の中でどんどん大きくなっていった。
夢を語る度に、周りの人は心配そうな顔をしていた。
「海は甘くないよ」「一人で大丈夫なの?」
そんな言葉を投げかけられる度に、私は怖くなっていった。
もしかしたら、私には無理なのかもしれない。
そんな弱気な想いが、心をよぎっていた。
だけど、私の心の奥底には、もう一つの想いもあった。
「自分を信じてみたい」
「夢に向かって、一歩踏み出してみたい」
そんな気持ちが、かすかに燻っていたのだ。
父や母、そして巧の応援の言葉も、私に勇気をくれた。
「君なら、きっとやり遂げられる」
そう言ってくれる人たちの想いが、心の支えになっていた。
悩んだ末に、私は決断した。
夢への一歩を、踏み出してみようと。
たとえ失敗しても、後悔だけはしたくなかった。
自分の可能性に賭けてみたかった。
だから私は今、ここにいる。
広大な太平洋の真ん中で、一人航海を続けている。
時折、嵐に遭遇して、怖くなることもある。
孤独に押しつぶされそうになる夜もある。
だけど、私は前を向いて進み続ける。
自分を信じる心と、支えてくれる人たちの想いを胸に。
この航海は、私自身との戦いでもあるのかもしれない。
弱い自分と、強くありたいと願う自分との戦い。
一人で海の上にいると、そんなことをよく考える。
今の私には答えは出せない。
だけど、この旅を通して、きっと答えが見つかる気がしている。
雨は、いつの間にか上がっていた。
窓の外に、うっすらと夕日が差し込んでいる。
色とりどりの雲が、水平線を染めている。
遠くに、かすかに虹が見えた。
私の心にも、希望の光が差しているような気がした。
夢への航海は、まだ始まったばかり。
これから先、どんな自分に出会えるだろう。
弱さと向き合いながら、それでも前を向いて。
私は、自分の可能性を信じて、航海を続けていこう。
終わり。
……こんな風に、私は考えていました。
自分の弱さと向き合うことは、とても勇気のいることです。
だけど、その弱さを認めた上で、それでも夢に向かって進もうとする。
そんな気持ちを大切にしながら、これからも航海を続けていきたいと思います。
きっと、この旅の終わりに、私は新しい自分に出会えるはずだから。
今はただ、その日を楽しみに、一歩一歩前に進んでいこうと思います。
20XX年9月17日(大荒れ)
大西洋上 西経28度57分・北緯41度33分
恐ろしい一日だった。
今でも手が震えて、ペンを握るのがやっとだ。
今日、私は人生で最も恐ろしい経験をした。
死を、本気で覚悟した日だった。
昨夜から続く猛烈な暴風雨。
うねるような波が、容赦なくヨットを襲っていた。
すさまじい轟音と共に、雷鳴が海上を震わせる。
空が割れんばかりの稲妻が、真っ暗な海を照らし出していた。
こんな嵐は、今まで経験したことがない。
まさに、大自然の猛威を思い知らされる光景だった。
必死に舵を取り、嵐を突き抜けようとする。
だけど、どれだけ頑張っても、ヨットは波に翻弄されるばかり。
これまで味方だったはずの海が、今は私を拒絶しているようだった。
恐ろしいほどの風と波。
まるで世界の終わりのような、終わりの見えない嵐。
一体いつまで、この地獄のような状況が続くのだろう。
絶望感が、じわじわと心を蝕んでいく。
そのとき、巨大な波が、ヨットを直撃した。
すさまじい衝撃と共に、私は海に投げ出された。
一瞬、何が起きたのかわからなかった。
気がついたときには、荒れ狂う大海原に、一人で漂っていた。
周囲は真っ暗闇で、ヨットの影はどこにも見えない。
私は、自分が死ぬのではないかと本気で思った。
絶叫しても、助けを求めても、誰も来てくれない。
冷たい海水が、全身の力を奪っていく。
恐怖で頭が真っ白になった。
このまま、誰にも見つけてもらえないまま、溺れ死ぬのだろうか。
脳裏に、家族や友人の顔がよぎる。
二度と、会えないのかもしれない。
絶望の淵に、立たされていた。
だけど、そんな時だった。
遠くの方に、かすかに明かりが見えた気がした。
ヨットの、位置灯だ。
まだ沈んでいない。
その光を目指して、私は必死に泳ぎ始めた。
凍えるような海水の中、皮膚が焼けつくような痛みを感じる。
何度も、海水を飲み込んだ。
視界がぼやけて、意識が遠のきそうになる。
それでも、私は泳ぎ続けた。
絶対に、諦めたくなかった。
家族や友達との約束を果たしたかった。
夢を、絶対に叶えたかった。
その一心で、かろうじて意識を保ち、光に向かって泳ぎ続けた。
やがて、奇跡的にヨットにたどり着いた。
最後の力を振り絞って、甲板によじ登る。
カタカタと歯を鳴らしながら、抱きついた。
生きていた。
本当に、生きていたのだ。
安堵のあまり、力尽きるように甲板に倒れ込んだ。
嵐は、いつの間にか去っていた。
東の空が、うっすらと明るくなってきた。
夜明けが近い。
新しい一日の始まりだ。
何もかもが、悪い夢のように感じられた。
だけど、私の体の傷と青あざは、紛れもない現実だった。
死と隣り合わせの経験は、私に多くのことを教えてくれた。
自分の命の儚さと、生きることのありがたさ。
そして何より、諦めない心の強さ。
私はこの航海で、確かに強くなったのだと思う。
もう二度と、こんな経験はしたくない。
だけど、この経験があったからこそ、私は前に進める。
自分の夢と、仲間との約束を胸に、もう一度海に向かって。
終わり。
……今でも、あの日の恐怖は忘れられません。
海の脅威を、身をもって味わった瞬間でした。
それでも、私はこの経験を無駄にはしたくないと思っています。
今回学んだことを胸に、これからも前を向いて航海を続けていきたい。
もう怖いものはない。
これからは、自分を信じて、夢に向かってまっすぐ進んでいこうと思います。
新しい自分との出会いを、楽しみにしながら。
20XX年12月24日(快晴)
南太平洋上 西経123度27分・南緯18度54分
今日、私は人生で最も美しい景色を目にした。
今でも、その光景を思い出すだけで、胸が熱くなる。
あの時の感動を、どうにか言葉で表現してみたい。
たとえ拙い文章になってしまっても、この気持ちを記しておきたいのだ。
それは、南太平洋上の小さな島に立ち寄った時のことだった。
補給を終えて、夕暮れ時に島を出航した。
辺りは徐々に暗くなり始め、空はグラデーションのように色を変えていく。
オレンジ、ピンク、紫。
まるで絵の具を溶かしたように、美しい色彩が空を染め上げていった。
水平線の彼方には、ぽっかりと太陽が沈みかけている。
まるで海に溶けていくかのように、穏やかに、ゆっくりと。
そのとき、空に異変が起きた。
オーロラのように、淡い光のカーテンが広がったのだ。
緑、ピンク、ブルー。
神秘的な色彩が、夜空を舞うように揺らめいている。
まさに、天からの贈り物。
自然が生み出した、奇跡の芸術。
言葉を失い、ただただ見上げることしかできなかった。
霞むような視界の先、星々が瞬き始める。
天の川が、乳白色のベルトのように空を横切っている。
海の上には、そのオーロラと星空が映り込んでいた。
水面が鏡になったかのように、完璧に反射している。
遠くから見れば、空と海の境目がわからなくなるほどだ。
私は今、宇宙に浮かぶ小舟に乗っているような錯覚を覚えた。
悠久の時の中を、ひとり静かに航海している。
そんな感覚に、ふと胸が熱くなった。
大自然の神秘。
人知を超えた摂理。
その偉大さに、改めて息を呑む。
同時に、かけがえのない感動を味わっていた。
この景色を、私はきっと一生忘れないだろう。
航海の途中で見た、最高の贈り物。
いつの日か、家族や友人たちと、この感動を分かち合いたい。
そんなことを考えながら、私はただただ、その光景に見入っていた。
気がつけば、空ははっきりと暗くなっていた。
濃紺の夜空に、星々がきらめいている。
オーロラは消え、穏やかな波の音だけが響いていた。
私はしばらくの間、甲板に座り込んでいた。
冷たい潮風が、頬を撫でていく。
遠く、イルカの鳴き声が聞こえた気がした。
平和な夜。
この瞬間だけは、まるで時間が止まったかのようだった。
夢のような時間は、いつまでも続かない。
私は再び、世界一周の航海を続けなければならない。
だけど、この景色を心の支えに、前を向いて進んでいこう。
この感動を胸に刻んで、夢に向かって一歩一歩前に進んでいく。
険しい航海の途中にも、こんな贈り物が待っている。
そう信じていれば、どんな困難も乗り越えられる気がするから。
終わり。
……あの景色は、私の人生の宝物です。
言葉では表現しきれない感動を、心の奥にしまっておきたい。
そしていつか、あの景色を分かち合える人に出会えたら。
そんな風に思いながら、私はこれからも航海を続けていきます。
また新しい感動との出会いを求めて、この海の上を前に進んでいこうと思います。
夢を追いかける私を、あの景色が優しく見守ってくれているはずだから。
【海洋冒険小説】「青い地平線の向こうへ:とある女性航海士の世界一周航路」 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi
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